2話
眩い光の中に一つの人影が見えてくる。
影は徐々に一歩ずつ、一歩ずつこちら側に歩み始め、そしてついには顔と顔が触れてしまいそうな距離に近づいてきた瞬間に世界が大きく変わった。
「君、大丈夫かい?」
光が晴れ、私の目の前にいたのはさらさらとした淡い栗色の髪に、少女のような可愛らしい顔立ちをした優しい笑顔の少年だった。
私を見下ろし、細く白い手を私に向けていた。
まるで私が好きだった人と瓜二つ……
「え、どうして貴方が……」
そう言葉を続けようとしたが、私は直ぐに異変に気づく。
彼の制服は私の通っている高校の制服とは違うことだ。
男子の制服はブレザーではなく学ランと決まっている。
そしてなにより、現実の彼と確実に違うところは笑顔が本物ではなく、作り笑顔なところだ。
私、個人をただの情報だと思っているのがわかる。
そこで私は彼が乙女ゲーム「黄金のシンフォニア」のキャラクターということに気づいた。
彼が差し出してくれた手を取ると、同時に脳内へ膨大な量の情報が流れ込んでくる。
脳内に入り込んできた情報は彼が「黄金のシンフォニア」の攻略キャラクターの一人 天王寺隼人という名前で、どうやら私はこのゲームの主人公として夏木市西ヶ原へ引越してきたようだった。
学級委員長である天王寺くんに街を案内してもらっている途中だったらしい。
「黄金のシンフォニア」の世界観がわからない以上、素直に彼の言うことは聞いた方がいいな、気は乗らないけど。
天王寺くんはまるで当たり前だと言わんばかりに街や学園を案内してくれたが、私は気が気ではなかった。
現実の彼とは違う、違うんだということを頭の中で理解しているのにも関わらず、天王寺くんは私の気持ちなんか知らずに優しく丁寧に私を導いてくれた。
彼の横顔を見た瞬間、私は複雑な気持ちを抱き始めていた。
私が通うことになる西ヶ原大学付属高校は市内ではトップの進学校で一年で十人ぐらいの学生が難関大学の合格を勝ち取っているらしい。
私立高校ということもあり、資金はかなり豊富にあるのか、学内の施設は充実している。
有名カフェチェーンから有名講師が開催する学内塾等、上げるだけでキリがないほど西ヶ原大学付属高校は生徒をサポートしていると天王寺くんは流暢に語ってくれた。
「じゃあ、僕は学級委員長の仕事があるからまた学校で」
天王寺くんは顔の表情が描かれていないキャラクターたちと共に別のところへ行ってしまった。
結局、彼とは何も進展がなかった。
当たり前だ、会話を踏み込もうとしてもパラメーターが足りないとエラー表示が出て強制的にイベントが終わってしまった。
どうやら私個人の初期パラメータを上げない限り、発展イベントは起きないみたいだ。
「可愛さ、かしこさ、かっこよさ、美しさのパラメータがまさかこんなに低いなんて……」
まるで某猫型ロボットアニメに出てくる主人公並のパラメータだ。
目を覆いたくなるが、学内の施設を利用すればパラメータは上がるみたいだ。
イベントが起きない以上、恐らくストーリーは勝手に進む仕様なのか、強制的にメニュー画面が目の前に表示をされた。
「う〜ん……屋上に行ってみようか」
現実にいた際、気分が乗らないときは茜と一緒に屋上に行ってよく授業をサボっていた。
屋上に行くには簡単でメニュー画面を目の前に表示させ、移動のボタンを押せば行先が表示される。
そこで屋上を選べば、あら不思議。
いつの間にか屋上へとワープしている。
天王寺くんと行動を共にする時間がまさかチュートリアルだったらしく、私はそこで移動の仕方を覚えた。
屋上には庭園があるらしく、よく生徒たちが気分転換にやって来るらしい。
現実世界とは大違いだ。
本来なら人で溢れかえっている屋上へと続く階段には誰も人はいなかった。
「何か変だ……」
屋上へ出向くとそこには地獄が映し出されていた。
血溜まりの中で倒れている複数の生徒たちを前に私は我を忘れそうになる。
それと同時に鼓動が早くなっていくのが分かった。
屋上庭園がある筈だった場所には既に炎が広がっていた。
炎の中に浮び上がるのは鋭いキバと血濡れの長い腕を持つ怪物たち。
その不気味な咆哮が屋上全体に響き渡る。
怪物たちの群れは一人の少女に目掛けて走り出していた。
「貴方、来ちゃダメよ! 逃げなさい!」
地獄絵図としかいいようが無い光景であるのにも関わらず、少女は命の灯火を照らし続けている。
───黄金のシンフォニアははっきり言ってゲームでしかない、私が何もしなくてもストーリーは勝手に進んでいく。
全身が震えているのがわかる、はっきり言って怖い、逃げ出したい。
でも、それでいいのだろうか?
昔、誰かに言われたことがある。
諦めたらそこで終わりなんだと。
私は自分に張り付けられていた糸を無理やり剥がしていき、彼女の方へ振り向き直す。
今、目の前にいる彼女を置いていくのはダメだ。
例え
気がつくと、私は怪物たちの顔面を蹴り上げていた。
私の行動に呆気を取られたのか、少女は人形のような小さく可愛らしい目で見つめていた。
怪物たちは突然の出来事に対応出来ず、跡形もなく消え去っていた。
……反撃が来るかもしれないと身構えていたのに結局何も起きることは無かった。
「貴方……その力……」
先程までいた彼女は既に姿はなく、そこにいたのは一人の女の子だった。
彼女がふと息を吹きかけただけで、地獄絵図を象徴していた炎の海は消え去った。
まだ、季節は春だというのに彼女の周りには雪の結晶が降り注いでいた。
その光景に私はつい、見惚れていた。
雪のような透明な輝きを持った髪を靡かせ、彼女は含みを帯びた笑顔で私を見ていた。
「誰……?」
私の問いかけに彼女は堂々とした態度で答える。
「私はリーネ。この学園に蔓延る厄災の王たちを封印する為に現代に蘇った聖女です。ただ、今の私は力を失い、貴方のような力ある人を探していました」
彼女の堂々した態度に圧倒されながらも、私は疑問を飲み込めない。
「え、どうして私なんかに?」
本来であれば主人公であるヒロインは地獄のような光景で恐怖し、逃げる。
だけど勇気を振り絞ってもう一度助けに戻るのが正解だったとリーネは答えた。
ただ、私は外から来たイレギュラーな人物。
そんな決まり事なんか知らずに普通に怪物を倒してしまった。
「この世界がゲームだということに貴方はもう気づいているのでしょう? ですがそれだけではありません、この世界はバグに侵されている。そして貴方にしか出来ないことがあるのです」
「私にしか、出来ないこと?」
リーネ自身もまた、バグに侵されているのか、会話の途切れ途切れにノイズが走っているのがわかる。
ここで既にシナリオ通りではないことに気づく。
本来なら怪物を倒してリーネに聖女の力をもらって次の話に行く筈。
なのに彼女はこの世界にバグがあることを理解してしまっている。
「攻略対象であるキャラクター全員を攻略し、ストーリーをクリアに導くこと。これが出来れば現実世界に戻れます。ただし、ストーリーをクリアすることが出来なければ貴方は一生この世界に取り残される」
「私がやらなくても主人公がいるんじゃないの」
彼女の言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
私は興味本位でゲームを起動しただけで、まさかゲームの世界に入って攻略対象を全員攻略しなきゃいけないなんてはっきり言って無理。
私の選択肢で私の未来を決めるなんて……
主人公がいるなら私じゃなくて彼女がやればいい。
「本来いた主人公は貴方というイレギュラーな存在が来てしまったことで、モブキャラクターに成り下がりました。これがどういうことか分かりますよね?」
鬼気迫るリーネの表情に私は拒否を示そうとしたけど選択肢には「はい」しか出てこなかった。
でも彼女は私をイレギュラーな存在だと言った、ならこの選択肢も無視できるんじゃ……
「言い忘れてましたが、黄金のシンフォニアで身につけたパラメータは現実世界にも反映できるみたいですよ? 最高値まで高められたらきっと、好きだった彼も振り向いてくれるのでは無いでしょうか」
私は彼女から持ちかけられた取引に素直に受け入れることにした。
これを逃したらもうチャンスはない。
現実にいる彼には振られたばかりだ、確かにもう諦めた方がいいかもしれない。
でも彼は伝説の不良と呼ばれていた私を蔑むことなんかせずに、私を仲の良い友達と言ってくれた。
……だから私はもう一度彼の傍にいる為にチャンスがあれば掴みたい。
私が考えている間にいつの間にか、野次馬が集まってきていた。
本当にメインのキャラクターじゃなければ顔の表情が描かれないんだ。
「これで契約は成立しました。貴方がこの世界を脱出できるようにサポートしますよ」
バグだらけのこの世界で私は私だけの為に攻略対象のキャラクターたちの人生に触れていく。
……覚悟を決めろ、櫻葉琴音。
こうして私は聖女として華々しくデビューを迎えた。




