第8話:罠と反撃
【シーン1:組織の罠】
港街エテルナの朝は、いつもと変わらぬ穏やかさでした。
しかし、探偵事務所のドアの隙間から差し込まれた一通の封筒が、その平穏を打ち破ります。それは上質な紙でできており、封蝋には見慣れない紋章が刻まれていました。
「お嬢様、これは…見慣れない封筒でございますね」
リリアが封筒を手に取り、警戒するように言いました。その表情は、普段の穏やかさとは異なり、わずかに引き締まっています。
「私の分析によれば、この紋章は、先日ジン殿が報告してくれた『孤高の守り手』のシンボルに酷似しています」
オスカーが眼鏡を上げ、封筒を覗き込みます。彼の声には、緊張が混じっていました。
「まさか…あの組織から…?」
ロゼッタは不安そうに呟き、封筒を受け取りました。その手は、わずかに震えています。
封筒の中には、一枚の紙が。そこには、冷たい筆跡で、簡潔なメッセージが書かれていました。
「リーベンベルクの古文書を渡せ。さすれば、貴女の『大切なもの』は守られるだろう。港の倉庫街、深夜。一人で来い」
「『大切なもの』…? これ、わたくしへの脅迫状ですわ…!」
ロゼッタの顔からは、血の気が引いています。その瞳には、恐怖の色が浮かんでいました。
「お嬢様、これは罠でございます! 彼らは、お嬢様を誘き出すつもりです! 『大切なもの』とは、きっと私たちや、街の人々のこと…! お嬢様を危険に晒すわけにはいきません!」
リリアがすぐにロゼッタの前に立ち、強く言いました。
「私の分析によれば、彼らはロゼッタ様の共感覚を刺激し、罪悪感を煽ろうとしています。古文書を手に入れることが目的であることは明白ですが、その手段は巧妙です。決して彼らの思惑に乗ってはなりません」
オスカーが眼鏡を上げ、冷静に状況を分析します。
「くそっ、卑怯な真似しやがって! 人間ってのは、どこまで汚いんだ! 奴ら、ロゼッタの優しい心に付け込みやがって!」
ティムがロゼッタの肩で、怒りに震えるように叫びました。小さな体が、怒りでぴょんぴょんと跳ねています。
「わたくしが…わたくしが行かなければ…! 彼らが、街の人々に何かしたら…! わたくしのせいで、誰かが傷つくなど…」
ロゼッタは立ち上がろうとします。その表情には、強い使命感が浮かんでいました。
「お待ちください、お嬢様! それは彼らの狙いです! 衝動的な行動は、かえって危険を招きます! 彼らは、お嬢様の共感覚を刺激しようとしているのです!」
リリアがロゼッタの腕を掴み、強く引き止めます。
「リリアさんの言う通りです、ロゼッタ様。彼らの真意を見極める必要があります。この状況で飛び込んでも、彼らの思う壺です。冷静な判断を!」
オスカーもまた、ロゼッタを諭します。
【シーン2:ジンの情報とティムの活躍】
その時、事務所のドアが勢いよく開かれました。
「お嬢さん! メイドさん! 学者さん! 奴らの罠だ! 港の倉庫街に、妙な動きがあるって情報が入ったぞ!」
ジンが息を切らしながら飛び込んできました。彼の顔には、焦りの色が浮かんでいます。
「ジン殿! どういうことですか!?」
リリアが驚いて問いかけます。
「俺の仲間が、倉庫街で奴らの動きを掴んだんだ。どうやら、古文書を手に入れたら、そこから逃げるつもりらしい。他にも能力者らしき連中が、何人か集められてるって話だ。奴らは、能力者たちを『保護』と称して、集めてやがる!」
ジンは息を整えながら、報告します。
「なんですって…!? 倉庫街に…!?」
ロゼッタは目を見開きました。その瞳には、驚きと、新たな情報への探求心が宿ります。
「私の推測が当たりましたね。彼らはあくまで、ロゼッタ様を誘き出すことが目的。脅迫状でロゼッタ様の共感覚を刺激し、罪悪感を煽ろうとしたのでしょう。そして、そのために、能力を悪用している…」
オスカーが眼鏡を上げ、冷静に分析します。
「くそっ、やっぱり汚い手を使うな! ロゼッタの優しい心を利用しやがって! 人の心を弄ぶなんて、許せねー!」
ティムが怒りに震えるように叫びました。
「わたくし…まんまと騙されるところでしたわ…彼らの『大切なもの』という言葉の裏には、こんなにも恐ろしい真実が…」
ロゼッタは悔しそうに唇を噛みます。
「お嬢様、ご安心ください。これで彼らの真意が分かりました。次はこちらの番でございます。彼らの悪事を暴きましょう。そして、能力者の方々を救い出しましょう」
リリアがロゼッタの手を優しく握ります。
「ロゼッタ、俺の精霊魔法『増幅』を使え。お前の共感覚を最大限に引き出してやる。奴らの本当の居場所と、狙いを正確に掴むんだ! 奴らの心の奥底まで、見通してやるんだ!」
ティムが提案しました。
ロゼッタはティムの言葉に従い、深く集中しました。ティムの精霊魔法が発動すると、ロゼッタの共感覚が研ぎ澄まされ、倉庫街にいるローブの人物たちの感情が、まるで目の前にあるかのように鮮明に感じ取れます。
「見えましたわ! 彼らは倉庫街の奥、古い貨物船の近くにいます! 強い『焦り』の感情が…! 能力者らしき方々も、何人かそこに…! 皆、怯えていますわ…!」
ロゼッタは叫びました。
「貨物船…! そこならば、逃走経路も確保しやすい。なるほど、理にかなっています。ジン殿、倉庫街の詳しい情報を!」
オスカーが頷きます。
「任せとけ! 詳しい地図を渡す。逃走経路になりそうな場所も、全部書き込んでやる! 俺も向かうぜ!」
ジンはそう言うと、地図をリリアに渡し、事務所を飛び出していきました。
「リリア、オスカーさん、わたくしは…」
ロゼッタは二人を見つめます。その瞳には、強い決意が宿っていました。
「お嬢様はここで待機していてください。危険です。これからは、わたくしたちの出番でございます。お嬢様の安全が最優先ですから」
リリアが力強く言います。
「ええ、ロゼッタ様。私の護身術とリリアさんの戦闘能力があれば、問題ありません。ティム殿、ロゼッタ様の護衛をお願いします。万が一のことがあってはなりませんから」
オスカーも頷きます。
「ふん、任せとけ。ロゼッタは俺が守る。お前らも、せいぜい頑張れよ。無茶はするなよ!」
ティムがぶっきらぼうに言います。
「いいえ、リリア。オスカーさん。わたくしも参りますわ」
ロゼッタは、まっすぐに二人を見つめました。
「お嬢様!?」
リリアが驚きに目を見開きます。
「ロゼッタ様!? 無謀でございます!」
オスカーも声を上げました。
「わたくしは、この目で、彼らの『保護』とやらが、本当に正しいのか、確かめたいのです。そして、能力者の方々を、わたくし自身の力で、救い出したい。皆がいてくださるから、わたくしはもう、一人ではありませんもの」
ロゼッタは力強く言いました。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていました。
リリアとオスカーは、ロゼッタの強い意志に、反論の言葉を失いました。
「…かしこまりました、お嬢様。わたくしが、命に代えてもお守りいたします。決して、お嬢様には指一本触れさせません」
リリアは覚悟を決めたように、深く頭を下げました。
「私も、ロゼッタ様をお守りいたします。私の知識とこの身を賭して、必ずお守りいたします」
オスカーもまた、決意を固めました。
「ありがとう存じます、皆。さあ、参りましょう!」
ロゼッタは、二人の護衛と共に、港の倉庫街へと足を踏み出しました。
【シーン3:リリアとオスカーの反撃】
港の倉庫街は、夜の闇に包まれていました。潮の匂いが混じる空気の中、ロゼッタ、リリア、オスカーは、ローブの人物たちが集まっている倉庫へと静かに近づいていきます。
「リリアさん、敵は正面に3名。右の倉庫の陰に2名、左の屋根の上に1名、狙撃手と推測されます。合計6名。警戒を怠らないでください」
オスカーが冷静に状況を分析し、リリアに耳打ちします。
「かしこまりました、オスカー。狙撃手はわたくしが対処いたします。残りの者は、あなた様にお任せしても? あなた様の護身術ならば、十分に時間を稼げるはずですわ」
リリアが応じます。
「ええ、問題ありません。私の護身術で、彼らの動きを封じましょう。リリアさんの動きを阻害しないよう、最大限のサポートをいたします。私の知識が、リリアさんの盾となりましょう」
オスカーはナイフを構え、構えを取ります。
「では、参ります!」
リリアが叫び、倉庫の陰から飛び出しました。その動きは、まるで夜の風のようです。
「能力者たちを離しなさい! あなた方の『保護』は、彼らを怯えさせているだけです! その歪んだ理想、わたくしが打ち砕いて差し上げます!」
リリアの声が、倉庫街に響き渡ります。
「抵抗は無意味です。彼らは我々の仲間となるべき存在。無駄な争いは避けましょう。我々の理想を理解せぬ愚か者め」
ローブの一人が冷静に言いますが、その声には焦りが混じっていました。
「黙りなさい! お嬢様の大切な依頼です! お嬢様の願いを叶えるため、わたくしは容赦しません! お嬢様の笑顔を曇らせる者は、誰であろうと許しません!」
リリアは素早い体術でローブの人物たちを次々となぎ倒していきます。その動きは、まるで嵐のようでした。
「リリアさん、左の狙撃手、動きます! 距離、20メートル! 射線に注意してください!」
オスカーが叫びます。
リリアはオスカーの指示に従い、一瞬で屋根へと跳躍しました。屋根の上で狙撃手と対峙すると、流れるような動きで相手の武器を奪い、無力化します。
「オスカー、お見事ですわ! 素晴らしいご指示、わたくしの動きがより円滑になります! あなた様の分析は、常に的確でございます! まさに、わたくしの剣でございますわ!」
リリアは屋根の上からオスカーに声をかけます。
「リリアさん、褒めている場合ではありません! 集中してください! 私はあくまで、リリアさんの戦闘を補助しているに過ぎません! 早く残りの敵を制圧してください! 私も、これ以上は持ちません!」
オスカーは汗を流しながらも、冷静さを保ち、残りの敵と対峙します。彼は相手の急所を狙い、的確な一撃で動きを封じていきました。
「くっ…このメイドと学者が…何者だ…! まさか、リーベンベルクの護衛団か…!?」
ローブの人物たちは、二人の連携に戸惑い、次第に劣勢に立たされます。
集められていた能力者たちは怯えながらも、リリアとオスカーの活躍に希望の光を見出しました。激しい戦闘の末、リリアはローブの人物たちを制圧し、能力者たちを保護しました。
【シーン4:リーダーの登場】
ローブの人物たちを制圧し、能力者たちを保護したリリアとオスカー。しかし、倉庫の奥から、冷たい気配が漂ってきました。
「よくぞここまで来たな、リーベンベルクの血を引く者たちよ。そして、その護衛たちよ」
低く、しかし響き渡る声が、倉庫の奥から聞こえてきました。
「この声は…! 強い能力を感じます…!」
リリアが警戒します。
「私の分析によれば、この声の主は、我々が追っていた組織のリーダーである可能性が極めて高いです。警戒を最大限に!」
オスカーが眼鏡を上げ、構えを取ります。
倉庫の奥から、一人の男が姿を現しました。ロゼッタと同じ金髪ですが、やや無造作で、瞳の色は深く落ち着いた青。かつての貴族らしい品格は残しているものの、どこか影があり、常に物憂げな表情を浮かべています。
「貴様が…『孤高の守り手』のリーダーか! 名を名乗れ!」
リリアが剣を構えます。
「私はレオン・フォン・リーベンベルク。貴様たちと同じ、共感覚の能力を持つ者だ。そして、この組織の真の指導者だ」
男は静かに名乗りました。その名は、ロゼッタの遠縁の親戚にあたる、リーベンベルク家の分家筋の人間でした。
「まさか…リーベンベルクの…!?」
オスカーは驚きに目を見開きます。
「そうだ。そして、お前たちも、私と同じ孤独を抱えているはずだ。能力を持つ者ゆえの孤独をな。能力を持たぬ者には、我々の苦しみなど、決して理解できない。だからこそ、我々能力者だけが、真に理解し合える理想郷を築くのだ」
レオンは静かに言いました。
「孤独…? わたくしたちは、孤独ではありません! お嬢様は、決して孤独ではございません!」
リリアが反論します。
「ふん、強がりを言うな。能力を持たぬ者には、我々の苦しみなど、決して理解できない。だからこそ、我々能力者だけが、真に理解し合える理想郷を築くのだ。それが、我々の使命だ」
レオンは冷たい目で二人を見つめます。
「そのために、このような強引な手段を…! 無関係な人々を巻き込み、心を操るなど、許されることではありません!」
オスカーが問いかけます。
「これは、必要な犠牲だ。能力を持たぬ者から、能力を持つ者を『保護』するためにな。お前たちも、いずれ理解するだろう」
レオンはそう言うと、ロゼッタのいる事務所の方をちらりと見ました。
「くっ…ロゼッタを狙っているのか…! 貴様には、指一本触れさせん!」
リリアが剣を強く握りしめます。
「ふん、レオンか。やっぱりお前だったか。お前も、随分と拗らせたな。相変わらず、面倒くせー奴だぜ」
ティムがロゼッタの肩で、低い声で呟きました。
【シーン5:ロゼッタの選択とティムの援護】
ロゼッタは、リリアとオスカーの制止を振り切り、一人、港の倉庫街へと向かいました。レオンが待つ倉庫の入り口に立つと、ロゼッタは深呼吸を一つしました。
「レオン様…わたくしは、ロゼッタ・フォン・リーベンベルクでございます。あなた様と、お話がしたいのです。あなた様の苦しみを、理解したいのです」
ロゼッタの声が、静かな倉庫に響き渡りました。
レオンはロゼッタの姿を見ると、わずかに目を見開きました。その表情に、一瞬だけ驚きが浮かびます。
「来たか、ロゼッタ。お前も、私と同じ孤独を抱えているはずだ。能力を持つ者ゆえの孤独をな。さあ、こちらへ来い。お前も、我々の理想郷へ。そうすれば、もう孤独ではない」
レオンの声が、倉庫の奥から聞こえてきました。
「わたくしは、孤独ではありませんわ。わたくしには、リリアも、オスカーさんも、ティムも、そして街の皆がいますもの。わたくしは、一人ではございません。だから、あなた様の理想は、間違っていますわ」
ロゼッタはまっすぐにレオンを見据え、力強く宣言しました。
そのロゼッタの言葉に、レオンの表情がわずかに歪みました。彼はロゼッタの共感覚の強さに気づき、その力を利用しようと、無言で精神的な圧力をかけ始めます。ロゼッタの顔が苦痛に歪みました。
「お嬢様!」
リリアが叫び、レオンに斬りかかろうとします。
「ロゼッタ様!」
オスカーもナイフを構え、レオンの隙を突こうとしました。
しかし、レオンの共感覚の力は、リリアとオスカーの動きを鈍らせ、彼らの精神に直接干渉し始めます。
リリアの脳裏には、ロゼッタが危険に晒される悪夢のような幻覚が、オスカーの脳裏には、古文書に記された能力者の悲劇が、鮮明に蘇ります。二人は苦しげに顔を歪め、その場に膝をつきました。
「くっ…これは…!?」
リリアが頭を抱えます。
「精神的な…干渉…! 恐るべき能力…!」
オスカーが歯を食いしばります。
「ふん、お前らごときが、俺を止められると思うな。ロゼッタ、さあ、私のもとへ来い」
レオンは冷たい目で二人を見下ろします。
その時でした。ロゼッタの肩にいたティムが、大きく身を乗り出しました。
「てめぇ、ロゼッタの仲間を弄ぶな! 俺の精霊魔法、くらえ!」
ティムが叫ぶと、その小さな体から、まばゆい光が放たれました。精霊魔法『閃光』!
光はレオンの精神干渉を一時的に遮断し、リリアとオスカーの幻覚を打ち消しました。二人の体が、わずかに自由になります。レオンもまた、突然の光に、一瞬だけ動きを止めました。
「リリア! オスカーさん! 今ですわ!」
ロゼッタが叫びます。
「お嬢様!」
「ロゼッタ様!」
リリアとオスカーは、再び立ち上がり、レオンへと向かいます。ティムの精霊魔法は、彼らに一瞬の隙を与えたのです。