第7話:古文書に隠された手がかり
【シーン1:大商人からの特別許可】
「ロゼッタ様、この度はまことにありがとうございました! 娘が無事に戻ったのも、貴女様のおかげでございます!」
大商人グロスマンは、探偵事務所でロゼッタの手を両手で握りしめ、深々と頭を下げました。その顔には、安堵と感謝の涙が光っています。
「いえ、グロスマン様。娘さんがご無事で、本当に良かったですわ。わたくし、探偵として当然のことをしたまででございます」
ロゼッタはにこやかに答えます。
「お嬢様のお力は、まさに奇跡でございます! 警備隊にも解決できなかった事件を、かくも見事に…!」
リリアが誇らしげに胸を張ります。
「私の分析によれば、警備隊の捜査は物理的な証拠に偏りすぎていました。ロゼッタ様の共感覚がなければ、今回の事件の真相に辿り着くのは困難だったでしょう」
オスカーが眼鏡を上げ、冷静に付け加えます。
「ふん、学者様もメイドも、俺がいなきゃ何もできねーくせに。ロゼッタの力も、俺が活性化してやってるんだからな」
ティムがロゼッタの肩で、ぶっきらぼうに呟きます。
「ティムったら。でも、本当に皆のおかげですわ」
ロゼッタはくすくす笑います。
「ロゼッタ様…実は、貴女様にお願いがございます。わたくしどもが差し押さえている旧リーベンベルク家の屋敷でございますが…」
グロスマンが、おずおずと切り出しました。
「わたくしの屋敷でございますか…?」
ロゼッタは少し驚きます。
「ええ。リーベンベルク家とは、わたくしどもも古くからの繋がりがございました。貴家が没落された後、あの屋敷が荒れ果てるのを見るに忍びなく、いつか貴家が復興される日を願い、わたくしどもが管理を申し出た次第でございます。
娘の件で、貴女様のお力がいかにリーベンベルク家と深く関わっているか、痛感いたしました。
つきましては、娘の命を救ってくださったお礼として、あの屋敷への立ち入りを特別に許可いたします。何なりと調べていただいて結構でございます」
グロスマンはそう言うと、屋敷の鍵をロゼッタに差し出しました。
「わたくしの屋敷に…入ってもよろしいのですか?」
ロゼッタは鍵をじっと見つめます。
「ええ。貴女様には、その権利がございます。どうぞ、ご自由にお使いください。何か、貴女様のお役に立てることがあれば、幸甚でございます」
グロスマンは深々と頭を下げました。
「グロスマン様…ありがとう存じます。わたくし、必ず、そのご厚意にお応えいたします」
ロゼッタは鍵を受け取り、静かに頷きました。
【シーン2:ティムの力と古文書】
翌日、ロゼッタたちは、差し押さえられた旧リーベンベルク家の屋敷を訪れました。広大な屋敷は、かつての輝きを失い、静かに佇んでいます。埃を被った調度品が、過去の栄華を物語っていました。
「お嬢様…ここが、お嬢様の…」
リリアが悲しげに呟きます。
「ええ、リリア。わたくしの…家ですわ」
ロゼッタは、懐かしさと、かすかな寂しさを感じながら、屋敷の中へと足を踏み入れました。
「私の調査によれば、古文書は地下の隠し部屋に保管されているはずです。リーベンベルク家は、能力に関する重要な記録を、厳重に秘匿していましたから」
オスカーが眼鏡を上げ、案内します。
「隠し部屋でございますか。さすが、オスカーさん、詳しいですわね!」
ロゼッタは感心します。
「ふん、学者様はそういうのだけは得意だからな。俺も知ってるぜ、あの隠し部屋。昔はよく、かくれんぼで使ったもんだ」
ティムがロゼッタの肩で、得意げに言います。
「ティムったら。あなた様は、本当に昔からいらっしゃるのですね」
ロゼッタはくすくす笑います。
オスカーの案内の元、彼らは屋敷の奥にある書斎の隠し扉を見つけました。重い扉の向こうには、ひんやりとした空気が漂う地下室が広がっています。その中央に、古びた石の台座があり、その上に一冊の分厚い古文書が置かれていました。
「これが…古文書…」
ロゼッタは古文書にそっと手を伸ばします。
「文字が…読めませんわ。これは、どこの国の言葉なのでしょうか…」
古文書のページをめくると、見たことのない文字がびっしりと書き込まれています。
「これは、古代の秘文字です。通常の解読は不可能かと。しかし、ロゼッタ様ならば…」
オスカーが言います。
「ロゼッタ、俺の精霊魔法『増幅』を使え。お前の共感覚を最大限に引き出してやる。そうすれば、文字に込められた感情や記憶が、お前に流れ込んでくるはずだ。集中しろ」
ティムがロゼッタの耳元で、真剣な声で囁きました。
ロゼッタはティムの言葉に従い、深く集中しました。古文書に触れると、指先から、これまで感じたことのないほどの強い感情と、膨大な記憶が、まるで洪水のようにロゼッタの脳裏に流れ込んできました。
それは、リーベンベルク家の歴代当主たちの喜び、悲しみ、そして、能力を巡る苦悩の記憶でした。
「…っ! 見えます…聞こえますわ…! 悲鳴が…そして、絶望…! 能力を持つ者が、迫害され…そして、それを守ろうとする、リーベンベルク家の先祖たちの…苦悩が…!」
ロゼッタは苦しげに顔を歪めます。
「お嬢様! 大丈夫でございますか!?」
リリアが心配そうに駆け寄ります。
「ロゼッタ様、無理はなさらないでください! 一度に多くの情報を読み取るのは、精神的な負担が大きいかと推測されます!」
オスカーが焦ったように言います。
「大丈夫ですわ…わたくし、見届けなければ…この古文書に込められた、リーベンベルク家の真実を…!」
ロゼッタは、古文書から目を離さず、その記憶の奔流に身を委ねました。
【シーン3:オスカーの解析】
事務所に戻ったロゼッタは、古文書から読み取った断片的な情報を、オスカーに伝えました。彼女の表情は、まだ記憶の残滓に囚われているかのようでした。
「古文書には、能力を増幅させる方法が記されていましたわ…でも、それは、とても危険な力で…能力を持つ者を、破滅へと導くような…」
ロゼッタは震える声で言います。
「なるほど…私が調べた記録にも、能力の暴走に関する記述がありました。古文書に記された増幅方法は、能力者の精神に極めて大きな負荷をかけるものと推測されます。それは、平和のためではなく、むしろ能力を悪用するためのものだったのかもしれません」
オスカーは眼鏡を上げ、ロゼッタの言葉と古文書の情報を照らし合わせながら、必死に解析を進めます。
「つまり、あの『孤高の守り手』は、その増幅方法を使って、能力者を支配しようとしている、ということなのでしょうか?」
リリアが真剣な顔で尋ねます。
「可能性は極めて高いです。彼らは『保護』と称して能力者を集め、その力を利用しようとしている。そして、その最終目的は、能力を暴走させ、世界を『支配』することにあるのかもしれません」
オスカーが断言します。
「ふん、やっぱりな。人間ってのは、力を手に入れると、すぐにろくでもないことを考えるんだよ。俺は知ってるぜ、そういう奴らを」
ティムがロゼッタの肩で、呆れたように呟きます。
「ティムったら。でも、わたくし、そんなこと、許しませんわ。この力が、誰かを傷つけるために使われるなんて…」
ロゼッタは固く拳を握りしめました。
「お嬢様、ご安心ください。わたくしたちが、必ず阻止いたします。お嬢様のお力は、平和のためにあるべきものですから」
リリアがロゼッタの手を優しく握ります。
「ええ。私の知識も、ロゼッタ様の共感覚も、全ては正しい目的のために使われるべきです。この古文書の真の力を、彼らに悪用させてはなりません」
オスカーも力強く頷きました。
【シーン4:リリアの過去】
アパートの夜。リビングのランプの光が、二人の顔を優しく照らしていました。ロゼッタが自室で眠りについたことを確認した後、リリアとオスカーは、古文書の解析結果について、そしてロゼッタの未来について、静かに話し合っていました。
「お嬢様が、あんなにも強くなられて…わたくし、本当に嬉しいですわ。ご両親も、きっと喜んでいらっしゃるでしょう。
あの日、全てを失われた時でさえ、お嬢様は決して希望を捨てられなかった。あの小さな肩で、どれほどの悲しみを抱えていらしたことか…それを思うと、わたくしは…」
リリアは温かい紅茶を淹れながら、瞳を潤ませました。
「ええ、ロゼッタ様は、その悲劇的な境遇にもかかわらず、常に前向きでいらっしゃる。その強さに、私も日々感銘を受けています。彼女の存在は、まさに希望そのものですね。
私がリーベンベルク家にお仕えしていた頃、書斎で一人、静かに本を読まれるロゼッタ様の姿をよくお見かけしました。あの頃から、彼女の内に秘めた輝きを感じておりました」
オスカーが紅茶を受け取り、静かに頷きます。
「わたくし、お嬢様のご両親から、お嬢様をお守りするよう、直接お言葉をいただきました。あの、最後の夜に…『リリア、ロゼッタを頼む』と。命に代えても、お嬢様をお守りすると…それが、わたくしの使命でございます。わたくしの全てをかけて、お嬢様をお守りいたします」
リリアの瞳に、強い決意が宿ります。その手は、固く握られていました。
「私も、リーベンベルク家に仕える者として、ロゼッタ様の才能と、その命を守る使命があります。古文書に記された、能力者の悲劇を繰り返してはなりません。
リーベンベルク家の歴史は、ロゼッタ様が正しく継承すべきものです。私の知識は、全てロゼッタ様のためにあります。彼女の輝きを、決して曇らせてはなりません」
オスカーが眼鏡をクイッと上げ、言いました。彼の声には、揺るぎない覚悟が込められています。
「オスカーも、お嬢様への愛は、わたくしに負けておりませんわね。本当に、あなた様も、お嬢様のこととなると、熱くなりますわ。隠しても無駄ですわよ。
わたくし、知っていますのよ? お嬢様が風邪を引かれた時、わたくしよりも心配なさっていたではありませんか!
夜通し、書物を読み漁って、最適な薬草を探していましたわね!」
リリアがふと、オスカーを見つめます。その瞳には、からかいの色が浮かんでいました。
「な、何を仰るのですか、リリアさん! 私はあくまで、ロゼッタ様への忠誠を誓っているに過ぎません。
それに、リリアさんのような感情的な愛とは、根本的に異なります! 私の愛は、より論理的で、普遍的な…データに基づいた…!」
オスカーは顔を赤らめ、慌てて反論します。その声は、いつもより少し上ずっていました。
「あら、感情的ですって? お嬢様への愛に、理屈など必要ございませんわ!
あなた様は、お嬢様が転んで膝を擦りむいた時、わたくしが手当てをしている間、顔色一つ変えずに、最適な消毒薬の成分について熱弁していらっしゃいましたわね! それが、感情的でなくて何なのですか?」
リリアがプンプンと頬を膨らませます。
「それは…傷口の感染症リスクを最小限に抑え、治癒を促進するための、医学的見地に基づいた助言であり…決して、感情的な動機では…」
オスカーは必死に弁明します。
「言い訳は聞きませんわ! あなた様も、わたくしと同じくらい、お嬢様を大切に思っていらっしゃるのですから! 素直にお認めなさい! 認めれば、わたくしも、あなた様を少しは見直しますのに!」
リリアは腕を組み、オスカーをじっと見つめます。
「くっ…リリアさん…あなたは…!」
オスカーは言葉に詰まり、顔を真っ赤にして俯きました。
「あらあら、リリアもオスカーさんも、本当に仲良しでいらっしゃいますこと。まるで、夫婦漫才のようですわね。ふふ、見ていて飽きませんわ。
わたくしのことで言い争っていらっしゃるなんて、可愛いらしいですこと」
ロゼッタの声が、静かな夜の部屋に響き渡りました。
その言葉に、リリアとオスカーはぴたりと動きを止め、互いに顔を見合わせました。二人の頬は、林檎のように真っ赤に染まります。
「お、お嬢様!?」
「ロゼッタ様!? ま、まさか、お聞きになっていらしたのですか!? い、いつから…!?」
二人は同時に叫び、慌てて目を逸らしました。ロゼッタは、そんな二人の反応に、こっそりと口元を緩めます。そのコミカルな反応は、ロゼッタへの深い愛情と、彼女を守り抜くという揺るぎない決意が秘められているからこそ、生まれるものでした。
【シーン5:決意の再確認】
翌朝、探偵事務所にロゼッタ、リリア、オスカー、そしてジンが集まりました。窓から差し込む朝の光が、彼らの顔を明るく照らしています。
「ジン殿、組織の動きについて、何か新たな情報は?」
オスカーが尋ねます。彼の表情は、昨夜のコミカルなやり取りとは打って変わって真剣です。
「ああ。奴らは、能力者を集めて、どこかへ連れて行こうとしてるらしい。最終的な目的地は不明だが、何か大きな計画を企んでるって噂だ。街のあちこちで、能力を持つ者が狙われている。特に、最近能力が発現したばかりの者が狙われているようだ」
ジンがぶっきらぼうに報告します。
「大きな計画…それが、世界を危険に晒すものなのですね…もう、これ以上、悲しい思いをする人を出したくありません。両親の悲劇を、繰り返したくありませんわ」
ロゼッタは真剣な顔で言います。その瞳には、強い決意が宿っていました。
「お嬢様、わたくしたちは、この組織の『誤った理想』を正さなければなりません。これ以上、悲しい出来事を起こさせてはなりません。お嬢様のお力を、正しい方向へ導くのが、わたくしたちの使命です。ご両親の願いを、わたくしたちが引き継ぎます」
リリアが力強く言いました。
「私の分析によれば、彼らの思想は、最終的に破滅へと向かうでしょう。それを阻止するのが、我々の使命です。能力者が、能力を持たぬ者と共存できる世界を築くために。私の知識は、そのためにあります」
オスカーが眼鏡を上げ、断言します。
「ふん、やっと本気になったか、お前ら。俺も協力してやるぜ。俺の精霊魔法で、奴らの計画をぶち壊してやる。ロゼッタを守るためなら、俺はどんなことだってしてやる。俺は、お前たちの味方だからな」
ティムがロゼッタの肩で、得意げに言いました。その小さな体から、確かな頼もしさが感じられます。
「ジン殿、あなたのお力も、お貸しいただけますか? あなたの力は、私たちにはない、とても大切なものです。街の裏のことは、あなたにしか分かりませんもの」
ロゼッタがジンに問いかけます。
「ああ、いいぜ。俺も、あんな胡散臭い奴らがのさばるのは気に食わねぇ。裏社会の情報は、俺に任せとけ。お嬢さんのためなら、喜んで協力してやるさ。ただし、報酬は弾んでくれよな」
ジンはニヤリと笑いました。
「ありがとう存じます、皆。わたくしたちの新たな目標は、この『孤高の守り手』という組織の、誤った理想を正すことです。そして、共感覚の真の力を、人々のために使うこと。皆で力を合わせれば、きっとできますわ! わたくしたちの力は、きっと世界を変えられます!」
ロゼッタは力強く宣言しました。その声は、小さな事務所に響き渡り、皆の心に希望の光を灯しました。
港街エテルナの空に、希望の光が差し込みます。
小さな探偵事務所の、新たな戦いが、今、幕を開けたのでした。