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第1話:探偵事務所の設立と共感覚の目覚め

【シーン1:何でも屋の開店】


港街エテルナの、細い路地裏にひっそりと佇む古びたアパートの一室。そこが、リーベンベルク家の元令嬢、ロゼッタ・フォン・リーベンベルクの新しい住まいでした。


かつては広大な庭と豪華な調度品に囲まれ、使用人の足音で賑わっていた屋敷は、今はもうありません。大規模な事業失敗の報と共に、両親もまた、時を同じくして他界。ロゼッタは、一夜にして財産も家族も失い、天涯孤独の身となってしまったのです。


しかし、ロゼッタの瞳から、悲しみの色はさほど感じられませんでした。

柔らかな金髪のボブヘアは陽光を受けてきらめき、澄んだ水色の瞳は、新たな生活へのわずかな希望を宿しています。彼女の隣には、変わらず尽くしてくれる一人の女性がいました。


リーベンベルク家に代々仕える護衛家系の出であるメイドのリリアです。


ロゼッタの両親の遺言を受け、リリアはロゼッタの唯一の肉親の代わりとして、彼女の保護と世話を献身的に担っていました。質素な生活ながらも、リリアの作る料理はいつも温かく、部屋は隅々まで清潔に保たれています。


「ロゼッタお嬢様、この看板でよろしいでしょうか?」


リリアが差し出したのは、手書きの看板でした。「何でも屋」と大きく書かれたその下には、「どんな小さな悩みでも解決します」という、ロゼッタの少し拙い文字が添えられています。


ロゼッタは目を輝かせ、その看板を両手で受け取りました。


「はい、リリア! とても素敵ですわ! あなたが書いてくださった文字は、本当にいつも綺麗で憧れますの」


リリアはロゼッタの純粋な言葉に、ふわりと頬を染めました。


「も、もったいないお言葉でございます、お嬢様。お嬢様のお心を表した文字こそ、最も美しいと存じます」


「あら、リリアったら。ふふ」


ロゼッタはにこやかに頷くと、看板をアパートの玄関先に立てようとしました。


しかし、貴族令嬢として育ったロゼッタにとって、看板を真っ直ぐ立てるという行為は、想像以上に難しいものでした。看板は右に傾き、次に左に傾き、ついにはぐらりとバランスを崩します。


「あわわ……! ま、また傾いてしまいますわ!」


「お嬢様、わたくしにお任せください」


危うく倒れそうになった看板を、リリアがすかさず支えます。そして、鍛えられたしなやかな腕で、難なく看板を地面に固定し、真っ直ぐに立て直しました。その手際の良い動きは、長年のメイドとしての経験と、護衛としての訓練の賜物です。


「リリアは本当にすごいですね! 何でもできてしまわれますもの。私には、こんな簡単なことさえも…」


ロゼッタは少ししょんぼりと肩を落とします。リリアはすぐに優しく首を振りました。


「いいえ、お嬢様。わたくしはただ、お嬢様の足りぬ部分をお補いしているに過ぎません。お嬢様には、わたくしなどには決して及ばぬ、素晴らしいお力がきっとございます」


「そうでしょうか…?」


ロゼッタは首を傾げましたが、リリアの真っ直ぐな瞳に、ほんのりと心が温まるのを感じました。ロゼッタの明るく前向きな性格は、このようなリリアの献身的な支えと、亡き家族への深い愛情によって保たれています。


何でも屋として新たな一歩を踏み出すロゼッタの背中には、目には見えないけれど確かな家族の温もりが感じられるようでした。


【シーン2:迷子の猫と妖精との出会い】


何でも屋の看板を掲げて数日。最初の依頼人は、アパートの前に現れた小さな女の子でした。その子の手には、擦り切れた革の首輪だけが握られています。


「あの…お姉さん。うちのミャー子が、どこかに行っちゃったの…」


女の子の瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほどの大粒の涙が浮かんでいます。ロゼッタは優しくしゃがみ込み、女の子の震える手をそっと握りました。


「ミャー子さん?お名前は猫さんでしょうか?ご心配なさらないでくださいませ。わたくしが必ずお探しいたしますわ」


「ほんと? お姉ちゃん、ミャー子見つけてくれるの?」


「ええ、必ず。わたくしの名にかけて、お約束いたしますわ」


ロゼッタはそう言うと、女の子の手から首輪を受け取りました。その古びた首輪が、ロゼッタの指先に触れた瞬間です。


ふと、指先から微かな温かさが伝わってきました。そして、どこか遠くから、猫の「寂しい」「怖い」という感情の断片と、特定の方向を指し示すような「あっちへ行きたい」という漠然とした想いが、ロゼッタの心に流れ込んできたのです。


「え…?これは…?何でしょう、この感覚…」


ロゼッタが驚きに目を見開いた、その時でした。彼女の肩に、手のひらサイズの小さな影が、ふわりと舞い降りました。鮮やかな水色の髪と、キラキラと光るつぶらな瞳。小さな羽を持つ、生意気そうな妖精です。


「なんだ、お前。やっと能力に気づきやがったか、鈍い奴め」


妖精はロゼッタの肩でちょこまかと動きながら、不遜な口調で話しかけてきました。ロゼッタは驚きのあまり、目をパチパチさせます。


「あ、あなた様は…?そして、今のは…何かの魔法でしょうか?」


「魔法だぁ? ちげーよ。俺はティムだ。そして今のは、お前の家系に代々受け継がれてる能力だ。共感覚ってやつさ。お前は物に触れるだけで、そいつの感情や記憶が読み取れるのさ」


ティムはそう言い放つと、ロゼッタの頭の上で得意げにくるりと宙返りしました。


「物に触れるだけで、感情を…? それは、本当なのでしょうか?」


「信じるも信じねーもお前の勝手だが、このティム様がお前なんかの肩に乗って、嘘をつくわけねーだろ? もっと精進しろよ、お嬢様」


「お嬢様…? あ、あなたは私のことをご存じなのですか?」


「くっくっく。それはいずれわかるさ。まずは、その猫とやらを見つけ出して、俺の力を見せてやるよ」


ロゼッタは、彼の突然の出現と、自身の秘められた能力に驚きつつも、どこか不思議な高揚感を覚えました。両親の他界と没落の悲しみの中で、彼女の中に眠っていた力が、今、目覚めようとしているのです。そして、この生意気な妖精が、その力の鍵を握っているのだと、ロゼッタは直感しました。


【シーン3:元司書オスカーとの再会】


ミャー子の首輪から読み取った漠然とした感情と、ティムが指し示す方向を頼りに、ロゼッタは手がかりを探しに街の古本屋へ向かいました。


古本屋は、古びた紙とインクの匂いが混じり合い、天井まで届くほどぎっしりと本が並んでいます。ロゼッタは幼い頃、リーベンベルク家の図書館で本を読むのが好きでした。


その懐かしい記憶に浸りながら、本棚の間を歩いていると、ふと見慣れた背中が目に入りました。


「オスカーさん!?」


ロゼッタが思わず声を上げると、銀縁の眼鏡をかけた細身の青年が、驚いたように振り返りました。リーベンベルク家の図書館司書だったオスカーです。


没落以来、会う機会がなかった彼との突然の再会に、ロゼッタの顔には喜びの色が浮かびました。


「ロゼッタ様! まさかこのような場所で…ご無事で何よりです」


オスカーはロゼッタの姿に安堵の表情を見せ、深々と頭を下げました。彼は変わらず丁寧で、どこか学者然とした雰囲気を漂わせています。


「オスカーさん、こんなところで何をしているのですか? お元気でしたか?」


「はい、ロゼッタ様もご健勝のようで何よりです。私は…この古本屋で、古文書の整理を手伝っておりました」


ロゼッタはミャー子のことを説明し、首輪から読み取った感情について、そして肩のティムについて話しました。オスカーは眉一つ動かさずに、ロゼッタの話に耳を傾けます。


「なるほど、共感覚…やはり、ロゼッタ様の中にもその力が発現しましたか。そして、その妖精は…ティム、と仰るのですね」


オスカーはロゼッタの肩に止まっているティムを、まるでそこに存在するかのように見つめていました。ロゼッタは驚きます。


「オスカーさん、ティムが見えるのですか!?」


「はい。リーベンベルク家の古文書には、共感覚を持つ者には、時に妖精や精霊が見えることがあると記されています。私も幼い頃から、稀にそういった存在を認識することがありました。ロゼッタ様の能力の発現と共に、私もより明確にその姿を捉えられるようになったようです」


ティムは腕組みをして、オスカーをじろりと見つめました。


「へぇ、こいつ、なかなかやるじゃねーか。俺が見える人間なんて、そうそういねーぞ」


「お褒めに預かり光栄です、ティム殿」


オスカーがティムに向かって恭しく頭を下げると、ティムは満足そうに鼻を鳴らしました。


オスカーの言葉に、ロゼッタは安堵と喜びを感じました。これまで自分にしか見えなかったティムの存在を、オスカーが理解してくれる。それは、天涯孤独の身となったロゼッタにとって、大きな心の支えとなりました。


家族のいないロゼッタにとって、両親の遺言を受けて支えてくれるリリア、そして自身の秘めた力を理解してくれるオスカーは、新たな「家族」のような存在となっていく予感が、確かにそこにあったのです。


【シーン4:探偵事務所の誕生】


オスカーの知識とティムの導きのおかげで、ミャー子探しはあっけないほど簡単でした。ミャー子は、パン屋の裏にある、焼きたてのパンの香ばしい匂いに誘われて、うっかり入り込んでしまった古い物置に隠れていたのです。


「ミャー子ー!」


女の子はミャー子を抱きしめ、大粒の涙を流しながらも、その顔には満面の笑みが浮かんでいます。ロゼッタは、その笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じました。財産を失っても、両親を失っても、この温かい気持ちだけは、決して失われることはありません。


探偵事務所に戻ると、リリアが早速、お茶を淹れてくれました。その横では、オスカーが何冊もの分厚い本を広げ、何やら真剣な顔で書き込みをしています。


「ロゼッタ様、この能力は、きっとロゼッタ様が街の人々を助ける大きな力となるでしょう。私にできることがあれば、何なりとお申し付けください」


オスカーは眼鏡をクイッと上げながら、いつもの真面目な口調で言いました。


リリアも静かに頷き、温かいお茶を差し出します。


「わたくしは、ロゼッタお嬢様の身の安全を、命に代えてもお守りいたします。お嬢様が安心して、そのお力を使えるよう、全力で支えさせていただきます」


リリアとオスカーの言葉に、ロゼッタの心は温かい光に包まれました。


「リリア…オスカーさん…ありがとう存じます。わたくし、決めましたわ。この何でも屋を、本格的な探偵事務所としてやっていこうと!」


ロゼッタは、二人の頼れる仲間を見つめ、力強く宣言しました。


オスカーはすぐに立ち上がり、恭しく頭を下げました。


「それは素晴らしいご決断でございます、ロゼッタ様。このオスカー、微力ながらもロゼッタ様のお力となれるよう、全力を尽くす所存でございます」


リリアもまた、瞳に強い決意を宿して頷きます。


「わたくしも、お嬢様のお傍でお仕えできること、この上ない喜びでございます」


オスカーは知恵袋として、リリアは護衛として、それぞれの役割を担うことを誓います。こうして、路地裏の小さなアパートの一室に、リーベンベルク探偵事務所が正式に誕生したのです。


「くっくっく…ロゼッタ様の探偵業とやら、見ていてやるよ。せいぜい俺を楽しませろよな」


ティムがロゼッタの肩で得意げに笑いました。リリアはティムの姿が見えないため、ロゼッタが一人で楽しそうにしているのを見て、不思議そうに首を傾げます。


オスカーはそんな二人を微笑ましく見つめながら、今後の探偵事務所の運営計画を黙々と立てていました。


【シーン5:夜の団欒と新たな日常】


夕食の時間。リリアが作った温かいポトフが、部屋中に優しい香りを漂わせています。ロゼッタ、リリア、オスカーの三人は、食卓を囲んでいました。


グラスに注がれた自家製のリリア特製フルーツジュースが、ろうそくの灯りを反射してキラキラと輝いています。


「リリアのポトフは、いつも体が温まりますわね。寒い日には特に、心まで温めてくださるようです」


ロゼッタがにこやかに言うと、リリアは嬉しそうに微笑みました。


「ロゼッタお嬢様が毎日元気でいらっしゃるよう、わたくし、精一杯腕を振るわせていただきます。冬に向けて、もう少し体を温める食材を増やしましょうか」


「それは素晴らしい献身です、リリアさん。しかし、栄養バランスの観点から見ると、もう少し緑黄色野菜を増やすべきかと。私が調べた古文書によれば、この時期は特に免疫力を高める成分が重要で…」


オスカーが真面目な顔で持論を展開し始めると、リリアの顔にわずかに不機嫌な色が浮かびます。


「オスカー、あなたには料理の腕はございますか? わたくしの料理に口を出すのはおやめください。お嬢様のお好みは、わたくしが一番よく存じております」


「いえ、私はあくまで客観的な事実を述べているに過ぎません。理論に基づいた栄養管理は、身体を健やかに保つ上で不可欠です」


「なんですと!? わたくしの献身は、理論では測れませんわ!」


二人がロゼッタへの奉仕を巡って些細な言い争いを始めると、ロゼッタは微笑ましくその様子を眺めています。ティムはロゼッタの肩で、温かいポトフの湯気に文句を言いつつも、どこか嬉しそうに目を細めていました。


「おいおい、あいつらまた始まったぜ。ロゼッタのことになると、すぐこれだ」


ロゼッタはティムの声に、くすりと笑います。


「ふふ、でも、皆で食べるご飯は、本当に美味しいですわね。こんなに賑やかな食卓は、久しぶりですもの」


ロゼッタがそう呟くと、リリアとオスカーはぴたりと口論をやめ、ロゼッタの笑顔に顔を見合わせてから、照れくさそうにそれぞれの皿に目を落としました。


「お嬢様がそうおっしゃるなら、わたくしは…」とリリア。


「ロゼッタ様がご満足されているのなら、何よりです」とオスカー。


港街エテルナの夜の帳が降り、アパートの窓からは、小さな探偵事務所の温かい光が漏れています。


ロゼッタたちの、ほのぼのとした新たな日常が、今、始まったばかりです。

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