六日目 2025.8.3
『源氏物語』と友達になる。六日目 2025.8.3
大学時代の友達と月末定例の電話通信。いろんな話をする。
今僕は、社会人としてはずいぶん下っ端。だから時間がある。電話する時間も、まだ手元にある。
時間がなくなることは、想像できない。本が読めなくなったり、小説を書けなくなったりするのは、果たしてどうなんだろう?
難波優輝の『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』を読んでいる。三十過ぎ、僕と同世代の哲学者・美学者。僕たちの世代も、自説を社会に問う時期が来たか。本当に面白い。
これから僕たちは、新しい理論や解釈を、どんどん世に問うていく。いくらでもアイデアはある。だから、そろそろ席を譲ってもらわないとな。
【新出単語とか】
・いぶせし……憂鬱だ、不快だ
・あへなし……がっかりだ
・思いわく……判断する、識別する
・よろし……普通だ
・まして……なおさら、それ以上に
・かひなし……無駄である、取るに足らない
・ひたふるなり……ひたすらだ、一途だ
・思ひなる……そう思うようになる
・さかしう……判断力がある
・もてわづらふ……もてあます
・すげなし……そっけなく
・さまあし……みっともない
【今回読んだ範囲】
桐壺の更衣、死去
始め「御胸つとふたがりて露まどろまれず、あかしかねさせ給ふ……」
終わり「……「なくてぞ」とはかかる折にやと見えたり」
【考えたこと】
桐壺の更衣が死んだ。物語の席を譲るみたいにあっさりと。
帝とどんな話をしたのか、愛情を受けてどう感じていたのか。幸せだったのか。
桐壺は帝をどう思っていたのか。そんなに単純ではないから、『源氏物語』は五十四帖もある。宮廷の力場は、まるで別世界を作っているみたいだけれど、そこには「世界の形」が保存されている、気がする。