五日目 2025.8.2
『源氏物語』と友達になる。五日目 2025.8.2
高校の頃、真面目に古典やってたことを、ちょっと思い出してきた。
たくさん辞書引いたランキング、一位は、助詞「に」だったと思う。
日本語の母音について、ドナルド・キーンは、芭蕉の「しずけさやいわにしみいる蝉の声」を挙げて「いわにしみいる」の「い」の連続が、心地よい音を引き出していると言っていた。
母音によって、男性的だったり、女性的だったりする語がある。言葉の持つイメージを「音」が担っているという説に、僕はとても共感する。
【新出単語とか】
・さらに……いっそう
・お目馴れて……見慣れて
・恥もこそ……恥があっては大変だ
・心づかい……気配り
・さのみも(〜打ち消し)……そうまでもは
・いかまほし……行きたい、生きたい
・たゆげなり……気の抜けた、怠そうな
【今回読んだ範囲】
始め「その年の夏、御息所、はかなき心ちにわづらひて……」
終わり「……わりなく思ほしながらまかでさせたまうつ」
【考えたこと】
「はかなき心ちにわずらひて」は、「に」が気になる。「によって」という意味かな。原因・理由というやつか?
「言に出でても聞こえやらず」を訳すと、「言葉にして言い伝える」となるけど、ここで「も」ってどんな役割を果たしているんだろう。副助詞じゃなくて係助詞ってこと?
体調をおして仕事に出て、体調が悪くて仕事にならず、有給も乏しくて、みたいな辛い状況をなんとなく思い描いた。桐壺の女御は病を患っている。
昔は「体調が悪い」というのがよくわからなかった。保健室に行ったりする状況が、うまく想像できなかった。
最近、体調悪くて休んだりするのが、普通になって、眠くなったり、吐き気がしたり、頭痛がしたりするのが、よくある。
眠れないことは、昔はなかった。今は、薬がないと眠れない。
肉体的苦痛も精神的苦痛も、耐えようと思えば耐えられる。苦しいと感じる心を切り離せば。
苦しみのために生きているような気もする。苦しみを引き受けることが、生の根幹に思われる。最後には死ぬ。
苦しみや死は、フィクションのように思われる。帝も、そう思ったのだろう。目の前の人の苦しみを、かたみに引き受けることはできなかった。
苦しみの個人性は、たとえ「共感」という心理作用があるにしても、覆すことはできない。
これはもちろん、キリストの受難のような話ではないけれども。