三日目 2025.7.31
『源氏物語』と友達になる。三日目 2025.7.31
この日記を始めてすぐ、モンテーニュの『エセー』でやればよかったかな、と、思った。
たぶん、『源氏』は正解選択なんだけど、昔、浪人していた時に和歌山の市立図書館で読んでいた『エセー』を思い出して、そう惑った。
自転車をこいで、市立図書館でみじめな浪人生活を送っていたのが懐かしい。鬱だったし、あれほど苦しいことはない。
麻痺した脳で、もがきながら、本に助けを求めて、『エセー』を読んでいた。
【新出単語とか】
・よし……情趣、たしなみ
・もてなす……執り行う
・めづらかなり……普通と違う
・寄せ重く……後見がしっかりしていて
・上ずめかす……貴人らしく見える
・わりなく……道理なく
・ゆゑある……理由、由緒、趣がある
・ふしぶし……時々
・あながちなり……むりやり
・御前さらず……主君のそばを離れない(特別の寵愛を受ける)
【今回読んだ範囲】
始め「父の大納言は亡く成りて、母北の方なん……」
終わり「……この御方の諌めをのみぞ猶わづらはしう心ぐるしう思ひきこえさせたまひける」
【考えたこと】
帝の、子供を早くみたいという描写「いつしかと心もとながらせ給ひて」の「いつしか」、「心もとながらす」の音の感じがすごい素敵だ。今の日本語にはないのに、どちらも今の日本語に残っている。
いつしか=いつになったら(産まれるんだ)。心もとなし=じれったい(心配だ)
間延びする和語が、意味を伝える前に、音で雰囲気や感情、メタな思い、書き手の気持ちを表している。
わたくし物=私生児にする、というのも、実に人の気持ちが入り込んでいる。意味としての「私」ではなく、「わたくし」という言葉が持つ、極めて「プライベート」な語感にくすぐられる。
好きなもの、美しいものを愛でる帝は、諌めを受ければ反省するのに、それでも桐壺のことを寵愛せずにはいられない。
反感や不和を引き起こすことがわかっていてさえ、である。帝は単なる公的な存在というだけではない。でも私的に振る舞えるのは、その時代公的な権力を持っている存在だけ。夏空を見上げる感がある。