十日目 2025.8.7
『源氏物語』と友達になる。十日目 2025.8.7
夏の夜の空の高さを見るのが、昔はとても好きだった。
人が汗をかいて、匂いを空に吐き出すように、建物や草木や電灯までもが、雰囲気だけでなく、夏の香りを振り散らす。
鼻で一息吸うだけで、夏の星空と一体になれる。星空が自分の内側に吸い込まれて投影される。内外が薄い自分という膜を隔てて、ぴたりとくっつく。
夜外を歩くのは好きだったけど、最近はもうしない。昂る代わりに失うものが多いから。失うなんて、昔は考えもしなかったけど、手元にあるもの(健康とか)を守らないといけない。
循環させることも大切なことだけど、腐ってしまっても抱えなきゃいけないものがある。
夏空と一体になるのは、心地よい体の巡りをもたらす。それが簡単だった時期もある。でも一部でも、わずかでも手元にないとやっていけなくなった。宇宙と一体になった自分を離れ、純粋な僕を仮想しないといけない。
それは不健康なのかもしれない。淀みなのかもしれない。泥に滲む足跡のように、不確かでも、僕は今は、それでよしとする。
【新出単語とか】
・もよほし顔……(涙を)誘うような
・いとどしく……ますます
・かこと……うらみごと
・さうざうしく……物足りない、心寂しい
・そそのかす……勧める
・すがすがと……こどわりなく
【今回読んだ範囲】
歌の贈答、形見の品
始め「月は入り方に、空きよう澄みわたれるに、……」
終わり「……すがすがともえまゐらせたてまつり給はぬなりけり」
【考えたこと】
節冒頭の「月は入り方に、空きよう澄みわたれるに」の「月は」の「は」にはいつもハッとさせられる。もし「月入り方に」と「は」がなかったら、それでもハキハキしてていいけれど、「月は」は対象を遠ざけて、実にのびのびと詠じる語感を受け取らずにはいられない。