1.最悪の初夜
「……セリオント様、その女性は誰ですか?」
結婚初夜の寝室に現れたのは夫になる予定のセリオント公爵子息だけではなかった。セリオントにしだれ掛かって、妖美な笑みを浮かべた女性がいる。その女性の腰にはセリオントの手が回されていた。
この状況は一体なんだ? 盛大な結婚式を終えて、契りを交わす大事な時だというのに……どうして夫となる人は知らない女性を寝室に招き入れたのか。
その真意を知りたくてセリオントに視線を向けると、冷たく見下すような目でこちらを見ていた。こんな目で見られるのは初めてだ。つい数時間前までは、慈しみのある目で見てくれていたのに……。
すると、見知らぬ女性が口を開いた。
「ふふっ、この子まだ分からないみたいよ。はっきりと言ってやらないと分からないんじゃない?」
見知らぬ女性はセリオントの胸に頭をすり寄せている。そして、勝ち誇ったような表情をしてこちらを見た。
どうして? 今日、式を上げてセリオントの妻になるはずなのに……どうしてそんな女性の傍にいるの?
耐え切れず声を上げようとした時。
「すまないな、アザリエ。愚鈍な姫だから、お前にも迷惑を掛ける」
数時間前まで私に向けていた慈しみの視線がアザリエと言われた見知らぬ女性に注がれる。それだけじゃない、空いた片手でアザリエの頬を撫で、首筋を撫で、肩を撫でた。
これじゃ、二人が夫婦みたいじゃないか。じゃあ、私は一体なんなの?
「まだ分からないのか、レティシア。お前はもう用済みなんだよ」
「私が……用済み?」
「叡智を兼ね備えた才媛の姫。その姫を降嫁を受けたフィダンツァ公爵家。これで我がフィダンツァ公爵家の立場が盤石なものとなっただろう。お前と結婚したのは、その名が欲しかっただけだよ」
「名が欲しかっただけ?」
その言葉が信じられなかった。今までの事が走馬灯のように頭の中に過る。
政略結婚だったのに、セリオントはとても親密でいて温かく私を受け入れてくれた。この人となら、政略結婚だとしてもやっていけそう。そう信じられる人だった。
なのに、現実は残酷だ。
「お前のご機嫌取りは本当に大変だった。俺には美しいアザリエがいるのに、こんな幼稚な女に構わなければいけないのだからな」
「セリオント様の機嫌を直すのは大変だったから、私に感謝して欲しいわ」
「アザリエがいなかったら、今頃俺は壊れていたよ。本当にお前は出来た女だ」
そう言って二人は私の前でいちゃついて見せた。この二人の交流が本物で、私たちの交流は偽物だっていうの? 今までの優しい言葉は全部嘘?
「ふふっ、どうやらセリオントの本心を知らなかったみたいね。とても驚いている顔をしているわ」
「学問も芸術も武術もなんでもこなしていたレティシアだったが、俺の本心が見抜けなかったみたいだな。所詮、この程度の女だったという訳さ。まさに、お飾りの存在に相応しい」
「……お飾り?」
「そうだ、お前は形だけの公爵夫人になるんだ。領地経営や貴族との交流をお前に行ってもらう。その間、俺たちは二人だけの世界に入れる」
「あなた、良かったわね。お飾りの存在だとしても、必要としてくれるみたいよ」
それをずっと考えていたっていう事? 私をお飾りの存在として置いておき、その間に心から愛している人と仲睦まじい生活をする。そんな事が許されていいの?
「俺はこの時を待っていたんだ。正式に夫婦になると、お前は逃げられない。この先、俺たちの働く駒として生きていくんだな」
「ふふっ、王女様から転落した惨めな生活ね。あなたは私たちの奴隷になるのよ」
「……契約を結ぶまで隠していたんですね」
「そうさ。お前を逃げられない檻に入れるのは苦労をした。だけど、これからは苦労が報われる。俺たちのために精々働くんだな」
人をゴミを見る様な目で見てきた。これが、セリオントの本心だ。
――そう、やはりそのつもりだったのね。
私は早歩きで扉に向かった。
「契約は結んで正式な夫婦となった今、お前はどこにも逃げられないぞ」
セリオントには私がこの場から逃げるように見えたらしい。だけど、私は逃げているんじゃなくて、未来のために動いているだけだ。
「ふふっ、逃げるなんて無様な女。ねぇ、あんな女ほっといて楽しい事しましょう?」
「あぁ、そうだな。もう、俺たちの邪魔をする者はいない」
そう言って、二人は部屋の奥へと消えていった。それを横目で見ると、私は早歩きで廊下を進む。
しばらく歩いていくと、目的の場所に辿り着いた。その扉をノックすると、すぐに部屋から物音がする。その扉から現れたのは、王宮の時から傍にいてくれた侍女のセリナだった。
「レティシア様、いかがされましたか?」
「これをお父様に渡して」
「これは……記録の魔道具。ということは、まさか」
「えぇ、そのまさかよ。セリオントが契約を破っていた」
「こうしてはいられません! 今から王宮に向かいます! レティシア様はどうか、私のお部屋に籠っていて下さい!」
セリナが驚くべき早さで着替えると、記録の魔道具を持って屋敷を出て行った。一人残された私は行くところがない。なので、セリナの部屋に入らせてもらうことにした。
扉を締めると、一気脱力してその場にへたり込んでしまった。セリオントが裏切っていた事実はとても衝撃的だった。
だけど、その為の準備はしてきた。
「ふふっ」
小さく笑う。
「……第一段階突破ね」
『おめでとうございます』
誰もいない部屋で呟くと、無機質な声が私の頭の中で響く。