BOY MEETS GIRL
翌日。学校で授業を聞き流し放課後を迎えた時哉。鞄に勉強道具を詰めて、その足で軽音部の部室に向かった。もちろん、背中に自前のギターを背負って。
部室棟に行くには一旦校舎を出て、体育館の前を通る。時哉が体育館の前を意気揚々と通り過ぎようとした時、急に扉がバン! と開き、一人の女子が飛び出してきた。
出会い頭に二人はぶつかり、女子の方が派手に転倒する。
「あ、ごめん! 大丈夫!?」
なんとか転倒を免れた時哉が女子に向かって手を伸ばす。女子は涙に潤んだ瞳で時哉を見上げ、控え目にその手を取って立ち上がった。
女子の涙を見て時哉は、
(マズい……泣かせてしまった……)
鞄からハンカチを取り出して女子に差し出す。
「ごめん……どこか怪我してない?」
すると女子は慌てて手をブンブンと振って、
「ち、違うんです……これは……」
「…………?」
ハンカチを受け取ろうとしない女子。困った時哉が視線を下げると、女子の短いスカートの裾の下、膝元から血が一筋滴っているのに気付いた。
「ケガしてるじゃん! ちょっとごめん!」
時哉は急いでしゃがんで、滴った血をハンカチで拭きとる。近くで傷を見ると、どうやら擦り傷のようだった。
「保健室に行こう」
「だ、大丈夫ですよ、このくらい……」
「だめだよ! 傷が残る!」
半ば強引に女子の手を取って、時哉は女子を保健室まで連れて行った。
養護教諭に適切な処置を受けて、時哉と女子は保健室を出た。廊下で時哉は改めて頭を下げる。
「ごめん……」
すると女子は何事もないようにぱたぱたと手を振り、
「いえ、そんな。急に飛び出したのは私の方なんで。それより……こっちこそすみません。ハンカチ、汚しちゃって……」
「そんなの、怪我に比べたら大したことじゃないよ。ほんとごめん、泣くほど痛かったんでしょ……?」
沈痛な面持ちで訊ねると、女子は「はぇ?」みたいな顔で目をきょとんとさせる。それからはっ、とし
て、視線を伏せる。
「いえ、泣いてたのは痛さにじゃなくて……部員と喧嘩しちゃったんです、体育館で」
「……喧嘩?」
「……はい。私、演劇部で――あ、まだ名乗ってなかったですね、すみません。私、一年四組の新田あずさって言います。あなたは?」
「ああ、俺は紫藤時哉。一年一組。そうなんだ、演劇部なんだ。……演劇部で何で喧嘩を?」
「……実は……今度の文化祭で演劇するんですけど、その演出について部員と言い争いになっちゃって……」
話を聞くと、その演目の脚本を書いたのはあずさらしい。だが演者の部員は解釈の違いから、あずさの目指した方向性とは違う演技をした。それが引き金となり口論となり、終いにはお互いに怒鳴り合い――堪えきれず体育館を飛び出したそうだ。そこで出会い頭に時哉とぶつかった、という感じらしい。
「そっか……演劇ってそんなに熱くなるものなんだ……」
演劇なんて幼稚園のおゆうぎかいでしかしたことのない時哉には、そんな世界のことが全く分からなかった。
時哉が沈んだ声音でそう言うと、あずさは微苦笑を浮かべて、
「そりゃ、熱くなりますよ。みんな必死ですもん」
「必死……か……」
あずさのその声から、特段その部員と仲が悪い、という風ではないことが窺えた。みんな必死だからこそ、言い争いも起こるのだろう。それだけ部員達が真剣に、演目に携わっているという証だ。
時哉には今まで、誰かと喧嘩して涙を流すほど、必死になれるものがなかった。
けれど、今は違う。今の時哉にはギターがあり、刹那に享という自分を認めてくれた仲間もできた。まだ喧嘩したことはないけれど、それでも、真面目に、真剣にお互いを認め合える仲だ。
あずさの言葉から演目への想いを汲み取った時哉は、やや強い声音で告げた。
「だったら、早く戻らないとね」
「え?」
「お互いに必死なんでしょ? だったら、お互いに想いをぶつけ合わなきゃ。それで、もっといいものを創ればいいんだよ」
「……紫藤くん……」
呆けたような表情でつぶやいて、あずさは強くうなずいた。
「はい! 戻ります! それでちゃんと話してきます!」
「うん。頑張って!」
頭を下げて駆け出していくあずさを見送って、時哉も部室へと歩き出した。
「遅かったね。何かあったの?」
部室のドアを開けると、目が合った刹那が訊ねてきた。時哉は「うん、ちょっとね」と曖昧に答えて、ギターをケースから出す。
「お、自前のギター?」
「うん。持ってきた」
訊ねる享に答える時哉。それから機材を一式揃えてアンプに繋ぐと、既に準備していた刹那が、
「じゃあ、始めよっか」
言って、享の合図で練習を始めた。
一曲を何度も何度もみんなで合わせる。その度にお互いに指摘し合って、細部をアレンジし、最高の楽曲を目指す。
何度も。何度も。何度も。
文化祭までもう日がないから、何度も何度も練習する。
そうやって下校時刻を迎えるまで、三人は熱く楽器を弾き続けた。
そしてやってきた、文化祭当日。
体育館の舞台上では演劇部の演目が行われ、生徒達はそれに魅入っていた。あずさが脚本を書き上げ、部員と喧嘩してまで作り上げた劇に心を奪われる生徒達。
劇は魔法少女として覚醒した主役の女子が、親友の助けを借りてラスボスである魔女を倒して大団円を迎える。カーテンが締まると観客席からは歓声が上がり、一部の生徒達はハンカチで目尻を押さえていた。
こうしてあずさ脚本の演目は大成功を収めた。
そしてついに、時哉達の出番がやってくる。
舞台袖から機材を運ぶ途中、時哉はあずさとすれ違った。すれ違いざまにあずさは両拳をぐっと握り、
「頑張ってくださいね!」
「うん! ありがと!」
掃けていくあずさを見送って、時哉はアンプと機材のセッティングを終える。刹那と享もセッティングを終えて、三人は顔を見合わせてうなずきあう。
すると体育館内にアナウンスが流れる。
「続きまして、軽音楽同好会によるバンド演奏です」
アナウンスの後、ゆっくりとカーテンが開かれる。
カーテンが開ききった瞬間。享の4カウントから始まる楽曲、『Go ahead』。時哉が初めて聞いた音源よりも格段にクオリティが上がった楽曲に仕上がっている。
イントロを弾きながら、ヴォーカルも担当する刹那がマイクに向かって叫ぶ。
「どうもー軽音部でーす! それじゃいくよー! 『Go ahead』!」
Aメロから激しく唄い上げる刹那。時哉と享は抑えめに、けれど出だしの盛り上がりに欠けることなく楽器を鳴らす。
Bメロで若干トーンを落とす刹那に合わせて、時哉と享も控え目に、この後のサビへと向かって静かに演奏する。
そしてやってきたサビ。刹那が叫び、時哉が掻き鳴らし、享が頭を振りながらスティックを叩き付ける。
観客席の生徒達からは歓声が上がり、拳を突き上げる者もいた。
そして生徒達のボルテージが最高潮に達したところで、いよいよ見せ場のギターソロ。それまではコードプレイがメインだった時哉がステージ前方に出て、グリッサンドでハイフレットに移動しての速弾きソロプレイ。これには観客も大いに驚き、思わず全員が立ち上がった。
降り注ぐ歓声の中、時哉はギターソロを終えて元のポジションに戻る。途中目が合った刹那と享が、ぱちりと笑顔でウインクしてきた。
そしてBメロを経て大サビ。刹那が今までにも増して激しく叫ぶ。
三人の奏でる音色とリズムが完全にユニゾンし、一つの音の塊となって観客達の心を揺さぶる。
曲の最後に三人は顔を見合わせて、享のシンバルに合わせてジャンプする。時哉が着地に失敗してステージを転がったが、それにすら生徒達は歓声を贈った。
――こうして、時哉の初ステージは大成功の元に幕を閉じた。