CROSS ROAD
バンドスコアを買ってから、時哉は更に練習に熱中した。熱中しすぎて熱中症になりそうなほどに。
毎晩毎晩、母・公香に「うるさいよ」と怒られるまでずっと、ギターを掻き鳴らしていた。
そんな日々が二週間ほど過ぎた頃。時哉は教室で裕介と雑談に興じていた。
裕介は一冊の生徒会報を読みながら、
「もうすぐ文化祭かー」
どんな哀愁を感じたのか、しみじみとそうつぶやく。
「文化祭ねぇ。彼女もいないのに何を楽しめというんだ」
「間違いない。リア充爆発したらいいのに」
時哉が毒づくと、裕介は更に口の悪い言い方で話に乗った。彼女いない歴生まれてずっとな二人はそういうところは気が合うらしく、休み時間が終わるまでずっと、リア充に向かって呪詛の言葉を吐き続けた。
一日の授業を終えた時哉が昇降口に向かって歩いていると、廊下の前方で、何やら揉めている二人組と出くわした。
二人組の短髪の方がなにやらわーわーとまくし立て、もう一人の長い前髪を真ん中で分けた方が飄々と言い訳をしている。
このまま歩くとその二人組の横を通り過ぎることになる。なにやら面倒な臭いがプンプンしたが、わざわざ引き返して遠回りするのも面倒臭い。ここは「何も聞いてませんよー」という顔で足早に通り過ぎるしかない。
そう決めて、二人組に近付いていく。すると二人の言い合いの内容が聞こえてきた。
「だから! バンド内恋愛は禁止って言っただろ!」
「向こうから告ってきたんだからしゃーねーべ? 俺もちょっといいなーって思ってたし」
「しゃーなくない! もうお前らはクビ! 二度と軽音部に顔出すな!」
聞こえない聞こえない。そんな痴話喧嘩なんて一言も聞こえてませんよー。と表情でアピールしながら二人の横を通り過ぎ――ようとした時だった。
短髪の方が急に振り返って駆け出そうとしたものだから、ちょうど隣にいた時哉と肩がぶつかって、二人の鞄が床に落ち、短髪の鞄の中身が派手に散乱した。
「あ、ごめ――」
ん、と言い切る前に短髪に睨まれる時哉。なんだよ、ぶつかってきたのはそっちだろ? と心の中でぼやいていると、短髪はしゃがんで荷物を鞄に掻き入れて立ち上がると、小さく、
「ごめん」
と言って、足早にその場を去っていった。
なんだよあいつ……感じ悪……。
もう一度心中でぼやいて視線を落とし鞄を拾い上げると、その下から一枚のCDが出てきた。表に「軽音部 サンプル」とだけ書いてある白いCD―R。
「あの短髪のかな……」
確認しようにも、短髪はもう廊下を折れて姿はない。前髪を伸ばした方もいつの間にかいなくなっていた。
時哉は仕方なくそのCDを鞄に詰めて、今度会った時にでも返してやろうと昇降口に向かった。
家に帰った時哉は、拾ったCDのことが無性に気になっていた。
「軽音部 サンプル」と題されたCD。ということは、うちの学校の軽音部の演奏が録音されているということだ。恐らくは彼らのオリジナル音源だろう。コピーした曲をわざわざ録音してCD―Rに焼く自意識の高い人間など少ないはずだ。
うちの学校に軽音部なんてあったのか。しかも彼ら、恐らくあの短髪達も部員だろう、そいつらはオリジナル楽曲を創れるほどの腕なのか。と、時哉は半ば感心して、CDをパソコンのマルチドライブに入れた。
プレイヤーアプリを起動して、CDに入っている『Go ahead』と題されたファイルを開く。ズンタズンタジャンガジャンガと、拙いながらも丁寧に演奏された楽曲が流れてきた。
ロックで、スピーディーで、ノリの好い、絶妙なバランスの楽曲。
正直、時哉は驚いた。うちの学校の軽音部がこんな素晴らしいオリジナル楽曲を創っていたなんて。
思わず時哉はギターを抱えて、CDに合わせて弾き始めた。
翌日の放課後。時哉は校舎から少し離れた部室棟の前にいた。目の前のドアには『軽音部』と書かれた手書きの表札。鞄の中には昨日拾ったCD。今日一日学校内をうろついてみたが昨日の短髪の姿を見付けられず、こうして放課後に部室を訪ねてきたというわけだ。
部室のドアに手をかけて引いてみる。鍵が掛かっていた。
どうしよう、CDは返さなきゃだけど、まさか地べたに置いて帰る訳にもいかないしなぁ。などと考えてうーんうーんと唸っていると、突然背後から訝しんだような声がかけられた。
「……何してんの?」
驚いて振り返ると、昨日の短髪がジト目で時哉を見ていた。
時哉は慌てて鞄からCDを取り出して、
「ご、ごめん。昨日これ拾ったから届けようと思って……君のでしょ?」
すると短髪は表情を緩め、嬉しそうにCDを受け取る。
「ありがとう。どこで失くしたかと思ってずっと探してたんだ」
礼を言って軽く頭を下げる短髪。昨日の怒り心頭の時とイメージが随分と違い、その笑顔はどこか、人懐っこい小型犬を思わせた。
「その曲、君が作ったの?」
「あれ、もしかして聴いた?」
「うん……ごめん」
頭を下げる時哉。すると短髪は時哉の横をすり抜けて部室の鍵を開けて、
「中入ってよ。それで感想聞かせて」
時哉を中へ促した。
部室の中にはドラムセットが一式とベースにギターが一本ずつ。ついでにアンプとマイクも何本か置いてあった。
短髪が椅子を出して座り、時哉にも適当に座るように指示する。時哉が手近な椅子に腰かけると、短髪は、
「それで、聴いてみてどうだった?」
いきなり本題を切り出す。
時哉はうんとうなずいてから、
「いい曲だった。メロディも綺麗で聴きやすくて。あとベースもドラムも上手かった。ただ――」
「……ただ?」
「ギターはちょっと、イマイチだったかな……。単調っていうか、ずっと簡単なフレーズしか弾いてなかったし」
意外とズケズケと言う時哉。自分もギタリストだし、何より彩音のプレイを生で見ている身としては、あのCDに入っていた曲のギターフレーズには、正直物足りなさを感じた。
「もしかして、君、ギターやってる?」
そんな時哉の酷評に眉一つ動かさず、むしろ感心した様子で短髪が訊ねてきた。時哉は「うん」とうなずく。すると短髪は「そっかー」と息を吐くように返事して、
「実は、この曲弾いてるギタリストは始めたばっかの初心者でさ。僕の作ったフレーズが弾けないって言って、簡単アレンジしたんだよ」
「あ、そうなんだ。どうりで」
「そ。正直僕は物足りなかったから嫌だったんだけどさ。文化祭も近いじゃん? だから仕方ないかなって思ってたの。そしたらだよ、あのやろう……」
突然短髪の表情が険しくなる。あのやろう、とは昨日の前髪ロン毛のことだろうと、容易に想像がついた。
「バンド内恋愛は禁止って言ったのにさ! ヴォーカルの女子とくっつきやがんの! しかもなんかこじれたみたいで、練習にも身が入ってなくて雰囲気も悪くてさー。もう最悪だったよ……」
今度は肩をすくめて溜め息を吐く。その早変わり百面相は視線を上げて、何かに気付いたように時哉に視線をやる。
「そういえば……君、ギター弾けるんだよね?」
「いや、でもまだ始めてちょっとしか経ってないよ?」
「一回弾いてみてよ。曲は何でもいいから」
言いながら短髪がスタンドに掛けられたギターを取って、時哉に手渡す。時哉はそれを受け取るとアンプに繋いで内臓のチューナーでチューニングして、
「コンポとかある? その曲弾いてみる」
「あるけど……弾けるの?」
「多分ね」
短髪が壁際のCDコンポにCDを入れる。そして流れ出す旋律。その楽曲に合わせて、時哉はギターを掻き鳴らした。ところどころ物足りなかった部分を独自にアレンジしつつ、原曲の雰囲気は壊していない。間奏でもバッキングではなくギターソロを弾き、エンディングまで一気に弾ききった。
その間、短髪はほえー、と口を半開きにして、時哉のプレイに見入っていた。正確には、時哉の奏でる旋律に聴き惚れていた。
曲が終わり、同時に演奏が終わる。すると短髪が立ち上がり、時哉の肩を掴んでぐいぐいと前後に振りながら、
「すごいよ君! めちゃくちゃ上手いじゃん!」
満面に笑みを浮かべ称賛する。時哉は首をがくんがくん言わせながら「ありがとう」と答える。
すると短髪は手を離し、時哉にキスするくらいの勢いで顔を近づけて、こう言った。
「お願い! 文化祭でギター弾いてくれない!?」
「え……でも……俺軽音部じゃないし……初心者だし」
「そんなの関係ないよ! さっきも言ったでしょ? ギターが抜けて、このままじゃ文化祭に出られないんだよ……だからお願い! この通り!」
短髪はがばっ! と、腰を曲げて頭を下げた。もう一度断ったら土下座でもしそうな勢いだった。
時哉はふいと嘆息すると、
「……うん。分かった。一緒にやるよ」
「ほんと!? ありがとう!」
満面の笑みを浮かべて、短髪は謝辞を告げた。それからまだ自己紹介していないことに気付き、「ごめん」と謝ってから名乗り上げた。
「僕は森刹那。刹那でいいよ」
「俺は紫藤時哉。よろしく」
「よろしくね、時哉」
互いに自己紹介を終えて、二人はがっちりと握手を交わした。
「ところで――他のメンバーは?」
「ああ、ギターとヴォーカルはもう来ないだろうけど、ドラムのやつがもうすぐ来ると思う。それまでちょっと合わせてみようよ」
そう言って、刹那はベースを抱えてアンプに繋ぐ。べーんべーんと弦を弾きチューニングを終えて、時哉に振り返る。
「適当に弾くから合わせてみて」
刹那がベースを弾き始める。簡単なコード進行だったので、時哉はそれに合わせてギターを鳴らす。すると刹那は嬉しそうに微笑んで、
「いけるじゃん! さすがだね!」
「いやいや」
刹那からの賛辞に照れ笑いを浮かべる時哉。
「ソロとか弾ける?」
「やってみる」
刹那のベースに合わせてギターソロを弾く。
テケテケテケテケと進行に合わせて速弾きプレイ。ここにきて、THEAMのバンドスコアを見て必死に練習してきた成果が表れた。
流れるように紡がれる旋律に、思わず刹那の手が止まってしまう。ベースが途切れたことに気付いて時哉は手を止めて刹那の顔を見る。
「? どうしたの?」
問われて刹那ははっ、と我に返り、
「ごめん……あんまりにも上手かったから思わず……時哉、ほんとに初心者?」
「初心者も初心者だよ。ギター買ったのだって二週間前だし」
「エレキギターは初心者だけど昔クラシックギターやってたとか?」
「いやいや、全然。楽器自体が初めてだよ」
「マジか……」
驚愕の表情で口をあんぐりと開ける刹那。
すると部室の扉が開き、栗色の天然パーマの髪をいい感じにセットした男前が入ってきた。
「うーす。……誰?」
挨拶もそこそこに、天然パーマは時哉を見付けて刹那に訊ねる。すると刹那は声を張って、
「享! すごいよ! すごい逸材を見付けた!」
天然パーマもとい享は時哉をちらと見て、
「へぇー。新しいギタリストなん? どんくらい弾けんの?」
バリバリの三重弁で話しかける。その質問に刹那が答えた。
「すごいんだって! 『Go ahead』完璧に弾ききってるんだから!」
「マジ? ほな一回合わせてみよ?」
言いながら荷物を下ろし、中からドラムのスティックを取り出す享。そのままドラムセットの椅子に座り、
「4カウントからいける?」
時哉の顔を見て訊ねる。時哉はうんとなずいて、
「やってみる」
その言葉に享と刹那もうなずいた。
そして、享がハイハットをちっちっちっちと鳴らし、『Go ahead』の演奏が始まる。
演奏を終えて、享は時哉を睨んだ。まるで親の仇を見るような鋭い視線に時哉はたじろぐ。そして、享が重ために口を開く。
「自分……」
「……はい、何か……」
思わず腰が低くなる時哉に、享は打って変わった笑顔を向けた。
「すごいやん! 完璧! あのアホとは全然違うわ!」
「でしょ!? だから言ったじゃん、すごい逸材だって!」
「ほんまやな!」
盛り上がる享と刹那。時哉はそのやり取りを聞いてすこし気恥ずかしくなった。
が、その気恥ずかしさよりも、初めて生バンドで演奏したという興奮の方が勝っていた。
ドラムのビートが身体の芯まで響き、ベースの音色が肚の奥で渦巻く。そしてそのリズムに、自分のギターの音色が重なって、一つの旋律となってあふれ出る。
初めて味わったそんな感覚に、時哉の身体は震えた。
――バンドって、楽しい!――
やいのやいのと賑々しく沸いている二人をよそ目に、時哉は自分の左手を見詰めた。
自分の旋律で、この二人がこんなに盛り上がっている。
時哉がギターを始めようと思った時に考えたこと――誰かの心を動かせられたら。それが今、叶ったのだ。
彩音と比べるべくもない少ない人数、たった二人だったとしても。この二人は時哉のギターを聴いて、こんなにも盛り上がっているのだ。それが嬉しくないはずがない。
時哉は左手をぐっと握り、心の中で勝ち鬨をあげた。
ドラムの享(苗字は千葉というらしい)とも自己紹介を交わして、刹那・享と連絡先を交換して、その日は別れた。
学校からの帰り道、時哉はまだ興奮していた。
初めて生バンドで演奏したことがとても嬉しくて、楽しくて。その嬉しさを誰かに伝えたくて知ってほしくて。自然と時哉はスマホを取り出し、彩音にラインを送っていた。
〈お疲れ様です。今日初めて生バンドでギター弾きました! あれってめっちゃ楽しいですね!〉
彩音はツアー中で忙しい身だと知りながら。それでも、先ず一番に彩音にこの興奮を伝えたかった。
正直、返事は期待していなかった。が、予想とは裏腹に返事は直ぐに返ってきた。
〈お疲れー(^_-)-☆ マジか! よかったね! バンド組んだんだ?〉
〈組んだっていうか、今度の文化祭でギター弾いてくれって頼まれまして。それで、今日はその練習みたいな感じで〉
〈そっかそっかー。みんなで集まって弾くのも楽しいけど、やっぱ人前でやるのが一番面白いからね(#^^#) 頑張って!〉
〈はい! 頑張ります!〉
そう会話を締めくくってスマホをポケットに仕舞おうとした時。スマホが着信音を鳴らした。画面を見ると『彩音さん』の文字が、着信音のリズムに合わせて踊っている。
「もしもし?」
スマホを操作して電話に出ると、彩音の快活な声が聞こえた。
「やほー。あたし。今大丈夫?」
「大丈夫ですよ。彩音さんこそ大丈夫なんですか? ツアー中でしょ?」
「今開演待ちだからねー」
「全然大丈夫じゃないじゃないですか!」
思わずツッコむ時哉。彩音はからからと笑ってから、
「大丈夫大丈夫。5分や10分押したところで問題ないよ」
「そんなことはないでしょう……」
「あははー。ところで、文化祭って一般公開するの?」
「あー、残念ながら一般公開はしないですね。学内だけです」
「そっかー……。じゃあ時哉の演奏見れないね」
「そうですね。なんか、すみません」
残念そうな彩音の声を聞いて、時哉はなんだか悪いことをした気分になって謝った。
「いやいや、時哉が悪いわけじゃないし」
笑いながら言う彩音の言葉に、何故か救われた気がした。
すると電話の向こうで、彩音が誰かと喋っている声が聞こえた。断片的に聞こえてくる彩音のセリフから、どうやらライブ会場のスタッフと話しているらしい。
「ごめん、時哉。そろそろ開演だって」
「仕事でしょう? ライブを優先してください」
「うん、そうだね。お客さんも待たせてることだし、行ってくるね」
「はい。頑張ってください。応援してます」
時哉がそう言うと、電話越しでも笑顔を浮かべているのがわかるような声音で、彩音は応えた。
「ありがと。公演前に時哉の声が聞けてよかったよ。これで今日一日頑張れる。じゃ、行ってくるね。愛してるよ、時哉☆」
そう締めくくって、通話は切られた。
最後に何かとんでもないことを言われた気がしたが、彩音には時哉をからかって遊ぶ趣味があるのを思い出して、溜め息を吐く。
「……愛してるなんて……こっちが本気にしたらどうする気だよ……」
そう毒づいて、時哉は今度こそスマホをポケットに仕舞った。