To Be with You
翌日曜。
前日のライブから未だ興奮冷めやらぬ時哉が向かったのは、市内で一番大きなショッピングモール『ベルシティ』。多種多様な専門店が軒を連ねるそのモールには、国内最大手の楽器専門店もある。時哉は16年間貯め続けたお年玉貯金の大半をATMで下ろして、モール二階の楽器店『島村楽器』の門扉を叩いた。
店舗の手前の方には楽器関連小物の棚。その列を通り越して店の奥に行くと、様々な色形のエレキギターがわんさか展示してあった。アルファベットのAやXの形をしたものから丸っこいもの、やたらととんがっている前衛的なものまで色々とあり過ぎて、時哉にはどれを買えばいいのか全く分からなかった。
(……ネットで色々調べとくんだった……)
軽く後悔しながら棚を見て回る。どうやら値の張るギターは壁際の上の方、お求めやすいギターは床のスタンドに並べられているらしい。
(彩音さんのギターって、やっぱ高いのかな……)
彩音の持っていたギターに似た形のものを探すが、この店には置いていないらしい。
一〇分ほどエレキギター売り場をうろうろしていたら、男性店員が営業スマイルで声をかけてきた。
「よかったら音出せますよー。どれか気になるのあります?」
まるで服屋の店員の「試着できますよー」みたいなノリで声をかけられ、思わず時哉は店員と距離を取る。時哉はあまりこういうのが得意ではないらしい。
しかし店員は更に一歩詰めてきて、カモを見るような表情で時哉の顔を覗き込む。恐らく売り上げでボーナスの額も変わってくるのだろう、店員も品物を売るのに必死だ。
時哉はすごくこの場から逃げ出したくなったが、心の奥では「ギターが欲しい」という情熱がたぎっている。なにより自分で買うと決めて店を訪れたのだ、ここで逃げては男が廃る。
意を決して、時哉は店員に顔を向けて口を開いた。
「あの……初めてなんですけど、どれを買えばいいですか……?」
「全く初めて?」
「……はい。触ったこともありません」
訊ねてくる店員に、時哉は若干の恥ずかしさを覚えながら答えた。すると店員はさっきまでの営業スマイルから、まるで旧知の友人に向けるような笑顔に変わり、
「そっか、初めてかー。何でギターに興味持ったの?」
どこか嬉しそうに訊いてきた。
「昨日、ゼップでTHEAMのライブ観て……それで……」
「あぁー、THEAMね。アヤネだよね? 若手なのにギター上手いもんね。っていうかよくチケット取れたね?」
「え、ええ、まぁ……」
バックパスで関係者席から観たとは言えないので、時哉は曖昧に言葉を濁した。だが店員は気にした様子もなく、話を続ける。
「俺も行きたかったんだけどねー。休み取れなかったしチケットも取れなかったしでさ」
「そうなんですか……」
超どーでもいい話を聞かされ、時哉は内心げんなりし出した。大丈夫かこの店員……と思って訝しんでいると、店員は一本の瓢箪みたいなギターをスタンドから取って、シールドコードで展示品のアンプに繋いだ。
「そっかそっか、それでギターをね」
言いながらチューニングを合わせて、じゃらーんと音を鳴らした。それからテケテケとギターを弾き、テロテロと弦を鳴らす。太くて重たい、いい感じの音が聞こえてきて、普通に上手かった。
「……上手いですね……」
「俺も君くらいの歳からギター始めてさ。まぁプロにはなれなかったんだけど」
ぎゅおんぎゅおんとギターを唸らせる。
「持ってみる?」
店員が時哉に顔を向ける。
「え、でも何も弾けないんで……」
「最初は誰だってそうだよ。とりあえず持ってみなよ。ネックの太さとかフレットの幅とか、色々と好みが別れる部分だから」
「あ……じゃあ……」
お言葉に甘えて、椅子に座ってギターを受け取る。
「このギターはレスポールっていうギターでね。世界で一番多く売れてる部類のギターだよ」
実際に抱えてみるとボディのくびれ部分が丁度太腿に乗り、いい感じの抱き心地だった。だがネックが太く、左手は若干握り辛い。
「ちょっとネックが太くて初心者には弾き辛いかもね」
店員の説明をふむふむと聞きながら、見様見真似で左手を動かしてみる。当然の事ながら、彩音やこの店員のようには弾けなかった。
時哉がてけてけと意味のない音を出していると、店員はもう一本、別のギターを用意してきた。
「こっちはストラトキャスターっていうモデル。そっちのレスポールより歴史は浅いけど、こっちも世界中で愛用者が多いギターだね」
丸っこい角が二本生えたような形のギターを抱えて、さっきと同じように弾いて見せる。このギターからは細くて繊細な音がした。
「音が違いますね」
「お、よく分かったね」
時哉が言うと、店員は嬉しそうに笑顔を浮かべ、ギターのボディにある、円筒形に六つの丸が付いた部品を指差す。
「このパーツ。ピックアップっていうんだけど、このストラトはこれが一本。それが三つ取り付けてある。で、そっちのレスポールはピックアップが二つ並んで取り付けてあるでしょ?」
言われて今持っているギターを見る。確かに、四角い枠の中にピックアップが二つ並んで付いていた。
「このピックアップが弦振動を電気信号に変えるパーツなんだけど、ストラトみたいにシングルコイルピックアップのギターは概ね細くて軽い音になる。で、レスポールなんかの二つ並んでるやつはハムバッカーピックアップっていって、シングルより太くて重い音がするんだ」
ピックアップについて熱く語る店員の声を、時哉は真剣な面差しで聞いていた。ギターに関する知識が全くない時哉には、そんな話がとても新鮮で、且つ、これからギターをやっていくのに大事な知識だと思った。
「こっちも持ってみなよ」
言いながら、店員がストラトを渡してくる。レスポールと取り換えて、ギターを抱える。こちらはレスポールと比べてボディが軽く、ネックも細身で弾きやすい。
「あ、左手持ちやすいですね、これ」
「でしょ? ギターって一口に言っても色々あるんだよ」
「へぇー……」
感心して溜め息を漏らす時哉。テロテロと左手を動かして音を出してみる。が、弾きやすいのは弾きやすいのだが、音が好みではない。もっと重たくず太く、はっきり言えば彩音のギターのような音を出したかった。
「左手はいいんですけど、音はそっちの方が好みですね……」
「そっか。じゃあハムバッカー積んだギターの方がいいね。それでネックも細身となると……これかな」
今度はストラトの角をシャープにしたギターを持ってきてくれた。そのギターのピックアップは、ハムバッカーが二つ。
「これはスーパーストラトっていう俗称のギターでね。メタルバンドなんかがよく使ってるやつだよ」
説明を受けギターを受け取り、音を出してみる。ズギャーンと太くて派手な音がした。
「うわ、こういう音好きです!」
「だと思った」
テンションの上がった時哉に、店員は笑顔を浮かべる。
「ストラトとレスポールのいいとこどりみたいなギターだけどね。実は面白いギミックがあるんだ」
店員はへの字に曲がった棒を取り出して、ギターのボディの『ブリッジ』というパーツに差し込む。
「? なんですか、これ」
「これは『アーム』って言ってね。音鳴らして、そのアームを押し込んでみて」
言われるままに適当に弦を鳴らして、アームを操作してみる。うにゃ~んと音が変化した。
「何これ面白い!」
アームの動きに合わせてうにゃ~んうわ~んにゅわわわわ~んと変化する音色。これはかなり楽しい。
「FRTタイプのブリッジだからね。面白いでしょ? 確か、アヤネのギターもFRTブリッジ積んでたはずだよ」
と、いうことは。このギターを持てば、彩音の真似ができるということだ。
もう、これを買うしかない。時哉は一瞬でそのギターに心を奪われた。
「これください!」
瞬間、時哉は叫んでいた。
「いいの? 値段とか形とか色とか、他にも色々あるけど」
いや、これしかない。ボディの抱き心地も好いし、左手のグリップも自分の手にぴったり合う。これはもしかしたら運命の出会いかもしれない。
――実際の話、ギタリストにとってギター選びというのは運命的なものを多分に含んでいる。大体のギタリストは一目惚れしてギターを買う。その一目惚れの要素は形や色、或いは音色など個人によって様々だが、あるギターを買おうと決めて楽器店を訪れて、別のギターに目移りして買ってしまうなんてことはザラにある。恐らくこれは、ギタリストだけに留まらないはずだ。
時哉は店員に強くうなずいて、視線でこれをくれと強く訴えた。すると店員が値札を持ってきて、時哉に見せる。十分に手持ちの金額で足る値段だった。
けれど、と店員が言った。
「エレキギターを鳴らすにはアンプっていうのが必要になるんだよ。ほら、これがアンプ」
店員が棚を指差す。ギターから繋がれたコードの先に、四角い箱があった。
時哉はそのアンプの値札を見て、驚いた。
「に、20万……!?」
アンプ単体でも手持ちの金額をオーバーしていた。なんということだ。エレキギターを始めるのにはこんなにも巨額の資金が必要なのか……!
金額に戸惑って目を白黒させていると、店員が意地悪っぽく笑った。
「あはは。これは高いアンプだからね。初心者向けのアンプもちゃんとあるよ」
その言葉に、時哉は胸を撫で下ろす。と、そんな時哉に店員が軽い感じで訊ねてきた。
「予算はどのくらい?」
「えっと……15万円下ろしてきました」
「けっこう本気で来たんだね……」
用意した金額を聞いて、店員は若干引き気味に答えた。だがうんとうなずくと胸板をどんと叩いて、
「じゃ、15万で収まるように揃えてあげるよ。ギターが10万5000円だからアンプは2万くらいで抑えて、あとはチューナーとかエフェクターを……」
言いながら時哉を連れて、店内の棚を見て回る店員。その背中に頼もしさを感じて、時哉は「この人、いい人だ……」と心の中でつぶやいた。
それから時間をかけて周辺小物も選んで、レジに立つ。結局購入したのはギター本体、エフェクター内臓の高機能小型アンプ、シールドコードと高性能のチューナー。
店員がそれぞれのバーコードを読み取って、レジを操作する。それからチンとキーを叩いて、
「初ギターのお祝いに、全部で15万ぴったしに負けてあげるよ」
商品を選ぶときにチラ見した値札を大雑把に足し算しても、軽く15万を超えていた。なのに店員はそう言って、笑顔を向けてくる。
この人は神だ。と、時哉は心の中で手を合わせて拝んだ。支払いを済まし、ケースに入ったギターを担ぎ、アンプと周辺小物の詰まった袋を両手に持つ。
「大丈夫? 帰れる?」
「あはは……親呼んで迎えに来てもらいます」
店員に頭を下げて店を出る時哉。それから母親・公香に電話して車で迎えに来てもらった。
家に帰った時哉はさっそく機材を広げ、アンプに繋いで音を出してみた。
ぎゅおーんずぎゃーんばいーん。
アンプに内蔵されたエフェクターを操作して、色々な音を試してみる。そして意味のないフレーズをテケテケと弾く。元々意味のないフレーズなので途中で飽きて、時哉はサービスで付けてもらったストラップをギターに着け、肩から担いでみた。
――ヤバい、今俺、ギタリストっぽい!
そう思うと顔がにやけ、胸もルンルンと弾んでくる。そこで時哉はライブ中の彩音を思い出して、様々なポーズを姿見の前でとってみた。
姿見の前で、何度も何度も、ストラップの長さを調節しながら一番かっこいいポーズを探求する。
そうやって夜遅くまでずっと、時哉はギターを抱えていた。