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Ticket to Ride

THEAMのライブから遡ること一週間。時哉は雨の中、学友の羽佐間裕介の家に遊びに来ていた。適当に談笑し、漫画を読み、ゲームで対戦していると、不意に裕介が一枚のCDを取り出し、オーディオコンポに入れて再生ボタンを押した。

聴こえてきたのは低音の効いた歯切れのよいリズムと、とめどなく流れる清流のように澄んだギターのメロディー。


「? なにこれ?」

「今人気のバンドの曲。どうだ?」


全く音楽に興味のない時哉。だが聴こえてくる音色はすぅーっと耳に入り、時哉の中に溶けるように浸透していった。


そして一曲目のインストゥルメンタル曲が終わり、二曲目の楽曲のイントロがコンポから流れる。二曲目は一曲目と雰囲気が違い、うねるような重低音と歪んだギターが螺旋を描くように絡み合う、独特のハードロック調の曲だった。

イントロからAメロに入ると澄んだ女性の声が、耳に心地よいメロディーを奏でる。どこかの童話の人魚姫の歌声を想起させるその声音に、時哉は一瞬にして耳と心を奪われた。


「ちょっと、ケース貸して」


裕介からCDケースをかっさらうように奪い取って、ジャケットの写真を見る。

黒い衣装に身を包んだ赤い髪の女性と二人の男性が、椅子に座ってじーっ、とこっちを睨んでいるジャケ写。ジャケ写にはその写真と『THEAM』という文字が写っていた。


「ゼム……これがバンド名?」


訊ねると、裕介はうなずいた。


ケースを開けて歌詞カードを開く。THEAMのメンバーが一人ずつ、見開きで、名前付きで、それぞれに楽器を抱えた写真。1ページ目にはヴォーカル&ギターのアヤネが。2ページ目にはベースのゆーた。3ページ目にはドラムの(あお)。4ページ目には全員揃った写真。


時哉は特にギターのメロディーと歌声が気に入ったので、アヤネの写真を舐めるように凝視した。

赤毛のショートボブ。メイクは若干キツめ。しかし顔立ちは整っていて、おそらくすっぴんでも相当の美女だと推測できる。


黒いポンチョのような衣装から伸びた細く白い腕が、真っ赤なギターを抱えている。この綺麗な細腕が、こんなにも激しい旋律を奏でているのだとは、とても信じられなかった。


時哉はさらにページを捲り、今流れている曲『Beautiful dreamer』の歌詞を読んだ。

そこには『作詞・作曲 アヤネ』とクレジットされている。


歌詞が書けて、曲を作れて、ギターが弾けて、歌も唄える。

そんな才能に恵まれた人間がこの世にいたのかと、時哉は正直、驚いた。


実際、世の中にはそんな人間は五万といるのだが、今まで音楽文化に触れてこなかった時哉は、それは物凄くスペシャルで、神に選ばれた人間にしかできないことなのだと思った。


ページを戻し、もう一度アヤネの写真を見る。

この人が。こんなかっこいい曲を。


「気に入ったか?」


裕介が訊ねてきたので、時哉は素直にうなずく。


「うん……。この曲、すっげーかっこいい……」

「お前、家にパソコンあるだろ? 貸してやるから録音してこいよ」


言って、裕介はCDを取り出して時哉に手渡す。時哉は礼を言ってCDをケースに仕舞った。


「そういえば今週の土曜、ゼップナゴヤでTHEAMがライブするんだってさ」

「マジで? めっちゃ観に行きたい……」


つぶやいた時哉に裕介は小さく嘆息して、


「ばーか。一週間後だぞ? もうチケットも売り切れてるって」


言いながらパソコンを操作して、THEAMの公式HPを開く。公演スケジュールのページを開くと、一週間後のゼップナゴヤでのライブチケットは完売となっていた。


「ほらな」


振り向いて、裕介は両手を肩の位置に上げる。その外国人のようなジェスチャーに時哉は若干イラっとした。


「オークションとかで出てない?」

「多分、定価より高値になってるぞ」


ヤフオクで検索をかける裕介。彼の言葉通りチケットは転売屋によって、とても学生の身分では手が出せない高値で出品されていた。しかも入札もかなり入っていて、入手するのは困難を極めた。


「ま、諦めろ。そのうちライブDⅤDが出るはずだからそれ買えば?」

「いつ出るのさ?」

「ツアー終わってからだから来年とかじゃね?」

「遠いなー……」


肩を落とす時哉。そんな時哉を慰めもせずに、裕介はブラウザを閉じる。


「ま、しばらくはCDで我慢しとけ」

「おう……」


悔しそうにCDを鞄に仕舞う時哉。それから窓の外を見て、とっぷりと空が暗くなっているのに気付き、


「んじゃ帰るわ。CD借りてくぞ」

「おう。レンタル屋にも置いてあると思うから気になったら借りてくれば?」

「そうする」


鞄を担いで、時哉は裕介の家を出て、自転車を漕ぎ出した。

夕暮れ時の小雨空を背景に自転車を漕ぐ。頭の中ではさっき聞いた『Beautiful dreamer』のメロディーが延々と流れていた。思わずふんふふーんと鼻歌まで口ずさみ、水溜まりの水を撥ねながら自宅に向かって自転車を走らせる。


路地を曲がると、向こうから自動車が走ってくるのが見えた。時哉は自転車を左に寄せて、減速して通過しようとする。

すれ違いざま、自動車が水溜まりの水を撥ね、時哉の頭から盛大に飛沫をぶっかけた。


「ぉぶっ!」


顔面にモロに飛沫を喰らい、時哉はよろけてそのまま転倒。がしゃーん、と自転車が金属音を鳴らした。


「痛ってぇー……なにすんだよバカ!」


転倒したまま後ろ向きに叫ぶ。と、自動車が停止して、ハザードランプを焚いて運転席のドアが開いた。


「っ……!」


降りてきたのは細身の女性。女性は急いで時哉の元まで駆け寄ると、


「大丈夫!?」


ひどく心配そうな顔で時哉の顔を覗き込んだ。

赤毛のショートボブが雨に濡れるのも構わずに、女性は自転車を立てて、時哉に手を伸ばした。


「あ……ども……」


時哉がその手を取ると、女性はぐっ、と引っ張り上げて時哉を立たせる。それからスマホを取り出して、


「やばー、事故っちゃった……警察に電話しないと……ケガはない? 救急車はいるかな……?」


ダイアルして警察に電話を繋ぐ。


「あ、いや、大丈夫っすよ? こけただけなんで……」


しかし女性は聞く耳持たず、電話の向こうの警官と話を進めている。そして事故の場所、状況、被害の有無などを伝えて、電話を切った。


「ほんとごめんなさい! 暗かったから見えにくくて……」


時哉に向き直りがばっ! と頭を下げる女性。それから時哉の身体を舐めるように見回して、肩やら肘やらをさわさわと触る。


「ケガは? どっか痛いとこない?」

「いや、ほんと大丈夫ですから」


実は膝が痛いのだが、実際は車両と接触すらしていないので、そんなことを言い出したら当たり屋である。なので時哉は「ほんと大丈夫ですよ」と繰り返す。

すると女性は顔を上げて時哉の手を引き、


「とりあえず、警察来るまで車の中にいて? ここじゃ他の車が危ないし」


自分の車まで引っ張っていった。

やたらと丸っこい三次曲線を多用した大排気量スポーツカーの助手席に座らされる時哉。シートは白いレザー張りのやや堅めの座り心地で、この車には相当な金額がつぎ込まれているのが見て取れた。


すると女性が運転席に乗ってきて、ルームランプを点けて時哉の顔を覗き込む。


「ケガは……見えるとこにはなさそうだね」

「いや、だから大丈夫なんですって」

「ううん、事故のケガって後から来るっていうし。あとで病院連れて行ってあげるから。とりあえず、携帯の番号教えて?」

「?」


女性は「警察に連絡先交換しとけって言われたから」と言いながら、スマホを取り出す。つられて時哉もスマホを取り出して、自分の番号を伝える。すると女性がその番号をダイアルして、時哉のスマホから着信音が鳴った。


「あたし水嶋彩音。君は?」

「あ……紫藤時哉です……」


つい答えてしまう正直な時哉。女性――彩音は時哉の番号と名前を登録した。


「ちょっとごめんね」


言って彩音は手を伸ばし、グローブボックスから車検証と自賠責保険証を取り出す。

時哉の顔の前に彩音の横顔。赤く染めたショートボブからはシャンプーのいい匂いがする。


と。不意にその横顔をどこかで見た気がした。どこだったかなーと首を捻っていると、思い出す。もしかしたら――


時哉は鞄をまさぐり、先程裕介から借りたCDを取り出し、歌詞カードを抜き取る。それから見開きのページを開いて、運転席で冷や汗を浮かべている彩音を見やった。


赤毛のショートボブ。化粧の感じは違うが、パーツの印象はとても似通っている。

――そっくりだ。っていうか、名前も一緒だ。


時哉は意を決して、彩音に話しかけた。


「あの……もしかして、THEAMのアヤネさん、ですか……?」

「えっ!?」


彩音は肩をビクンっ! と跳ねさせて振り返る。やっぱり写真と同じ顔だ。


「あちゃー……バレちゃった?」

「じゃあ、やっぱり?」


訊ねると彩音は観念したようにうなずいた。


「そ。あたしはTHEAMのヴォーカル兼ギターのアヤネ。あたしのこと知っててくれたんだ。ありがとう」

「いやぁ、たまたま今日友達の家でこれ聴いてハマっちゃって……」

「あー、じゃあ新規ファンの子だね。……ごめんね、そんな子をこんな目に遭わせちゃって」


彩音は盛大に溜め息を吐く。その溜め息には深い自責の念が混じっていた。

そんな彼女に時哉はぶんぶんと手を振って、


「いや、だからほんと、接触してないんですってば。水被っただけで」

「それでも大事(おおごと)だよ……。芸能人がファンの子に迷惑かけたんだから……」


ハンドルを握って頭を垂れて、彩音はまた溜め息を吐いた。


すると道路の向こうから赤色灯を焚いた事故処理車がやってきた。ハザードを焚いて停めてあるスポーツカーの後ろに事故処理車を止めて、二人の警官が降りてくる。彩音はドアを開けて外に降りて、状況の仔細を説明する。

と、もう一人の警官が助手席の窓をコンコンと叩いた。どうやら時哉とも話があるらしい。


時哉も降りて、接触していないこと、ただ水を被って転倒しただけだということを説明する。警官は彩音の車と時哉の自転車を慎重に調べて、事故ではないと結論付けた。しかし交通弱者を危険に晒したため、彩音は厳重な注意を警官から受けて、しょぼーんと肩を落とした。


それから警官は無線で何やら言って、彩音に「気を付けてくださいね」と言い残して車に乗って帰っていった。

それを丁重に見送って、彩音は時哉に振り返る。


「あはっ、怒られちゃった」


てへぺろっとおどけたように言う彩音。時哉はバツの悪そうな表情で、


「すみません、なんか、迷惑かけちゃって……」


ぼりぼりと頭を掻いた。


「いやいや、ちゃんと見てなかったこっちが悪いんだし。何かお詫びしたいんだけど……今何も持ってなくて……。この車じゃ自転車乗らないし……」

「いや、そんな、お詫びだなんて」


丁重にお断りしようとする時哉を無視して、彩音は顎を摘まんで考えている。そして何かを思いつき、車の後部座席からバッグを取り出すと、


「大したものじゃないけど、よかったらこれ、受け取って?」


パスケースのようなものを差し出した。その表には『BACK STAGE PASS』と書かれている。


「今週の土曜にゼップナゴヤでライブするの。その時にちゃんとお詫びするから、今はとりあえずってことで。これがあればタダで会場に入れるから」

「え!? いいんすか!? そんなの貰っちゃって」

「今はこれしかないんだ……だからこれで許して」

「許すも何も……ほんとにいいんですか!? チケット完売のやつですよね!?」


驚きながら時哉がそう言うと、彩音は苦笑いしてから、


「あはっ、おかげさまでね。っていうか、そんなことまで知ってるんだ?」

「ライブあるって聞いて調べましたから」

「そっか……じゃあ、是非貰って」


ぐいとパスを突き出す彩音。時哉はそれを両手で受け取って、


「ありがとうございます! 絶対観に行きます!」


感謝の意を込めて強く言う。彩音は屈託のない笑顔を浮かべてうなずき、


「その前に、一応病院にも行ってね?」

「あはは……はい」


うなずき返す時哉に微笑んで、踵を返して車に乗り込んでいった。時哉は手を振ってそれを見送ると、自転車に跨って自宅へと向かった。

膝の痛みも忘れ、ルンルン気分で自転車を漕ぐ。チケットの手に入らなかったTHEAMのライブが観れる。そう思うとアドレナリンが分泌され、痛みどころか全身に力がみなぎってきた。


思わず、時哉は「ひゃっほぅ!」と奇声を上げながらペダルを漕いでいた。

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