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夏色

文化祭が終わり、生徒たちは各々に思い出を胸に詰め、銘々に帰路に就く。

そんな中時哉は持ってきた機材の片付けに追われていた。舞台袖で機材を片付けていると、とてとてっとあずさが寄って来て挨拶した。


「お疲れさま、紫藤くん」

「ああ、お疲れさま、新田さん」

「ギター上手いんだね。すっごくかっこよかったよ」

「あはは、ありがと。最後こけちゃったけどね」

「うん、あれはびっくりした。怪我してない?」


くすくすと笑いを拳で隠しながら訊ねるあずさに、時哉は「全然大丈夫」と笑って答える。


「新田さんこそ、演技上手かったよ。でもてっきり主役なんだと思ってた」

「あれは主役の子を想定して書いた脚本だから」


あずさはかぶりを振りながらそう言った。


「ところで――紫藤くん、この後何か用事ありますか?」


上気した頬で上目遣いに訊ねるあずさに、思わず時哉の鼓動が早くなる。


「い、いや……何もないけど……」

「じゃあ、打ち上げ一緒に行きませんか?」

「…………打ち上げ?」


肩透かしを喰らったような気分になって、思わず時哉の口から気の抜けた声が漏れる。しかしあずさは気にした様子もなく話を続ける。


「はい、打ち上げです。文化部合同でやるらしいんで、よかったら行きませんか?」

「いや、でも俺、軽音部の部員じゃないし……」


そう答えると、隣で撤収作業をしていた刹那が驚いた風に声を上げた。


「えぇ!? 時哉、軽音部じゃないの? てっきりもう入部してくれたと思ってたのに!」


おやつが貰えそうで貰えない子犬のように、くりっとした瞳に困惑の色を浮かべる刹那。時哉は首を振って、


「だって、入部届出してないし」

「じゃあ書いて! 今すぐ書いて!」


半ば叫びながら刹那は鞄から入部届を取り出し、時哉に押し付ける。時哉は軽く嘆息すると、刹那から借りたボールペンで署名して返す。


「おし! これで今日から時哉は軽音部だかんね! じゃあ打ち上げ行こう!」


晴れて軽音部員となった時哉に微笑んで、刹那はそう言った。



打ち上げは学校近くの焼き肉屋で行われた。参加したのは科学部と美術部の一部、そして演劇部全員と軽音部の三人。総勢20人余り。

焼き肉屋に着くと、奥の座席に案内された。この焼き肉屋は2980円で90分食べ放題ドリンクバー付きで、タブレットでメニューを注文する方式の店だ。演劇部部長・長野美樹が仕切って最初のオーダーを済まし、各自がドリンクバーから飲み物を持ってきたのを確認して、乾杯の音頭を取る。


「それじゃ、第68回飯野高校文化祭、お疲れさまでした! 乾杯!」

「「かんぱーい!」」


それぞれがグラスを掲げ、口に運ぶ。そして運ばれてきた肉を銘々に焼きながら、談笑にふける。すると美樹が時哉達が食べているスペースにやってきて、


「刹那、お疲れー」

「あ、長野さん。お疲れっす」


刹那が挨拶を返す。


「演奏すごい良かったよ。メンバーが抜けたって聞いた時は正直どうするんだろうって思ったけど、いいメンバー見付けたじゃん。前のギターより全然上手いし」


賛辞を告げながら時哉に視線を送る美樹。時哉は照れながら会釈した。

刹那はおやつを貰った子犬みたいに微笑んで、


「でしょ? 時哉すごいんすから。一日であの曲覚えて、二週間であそこまでアレンジしたんですよ? すごくないっすか?」


興奮気味にまくし立てる。美樹は驚きの表情を浮かべて、


「へぇー、それはすごいね。いい逸材見付けたんじゃないの?」

「ほんとっすよー。棚ぼたっていうか瓢箪から駒っていうか」


二人に褒められすぎて、時哉の顔がアルコールを飲んだように赤くなる。もちろん学生なのでソフトドリンクを飲んでいる。念のため。

するとその話をきいていたらしいあずさも時哉の隣にやってきて、


「ほんと、すごかったですよ。特にギターソロ。超かっこよかったですもん」


とろんとした瞳で称賛する。もちろん彼女もアルコール類は飲んでいない。


「いやぁ、俺なんか全然、まだまだですよ」


謙遜する時哉に、美樹が焼けた肉をトングで差し出しながら、


「またまた、謙遜しちゃってー」

「謙遜じゃないですよ。まだギター初めて一か月も経ってないですし」


小皿を出して肉を受け取る時哉。するとあずさが「えっ!?」と驚いた声を出した。


「一か月も経ってないのにあんなに弾けるんですか!? それって十分すごいじゃないですか!」

「そ、そうなの?」


時哉は刹那を見る。刹那はうんとうなずいて、


「僕がベース始めて一か月の頃なんて、全然弾けなかったよ。だから時哉はすごいんだよ」

「せやな。普通、一か月で耳コピできる人間なんておらへんで?」


享も刹那に同意した。


「そうなの……? よく分かんないけど……」


こうまですごいすごい言われたら、本当に自分がすごい人間なんじゃないかと錯覚してしまう。時哉はてへへ、と照れ笑いを浮かべた。

そんな時哉を見て、美樹がしみじみとつぶやく。


「一か月であのステージかぁ。よっぽど肝が据わってるか、本番に強いかのどっちかだね、その度胸」


あずさもその話題に乗っかる。


「ほんと、度胸もすごいですよ。どうですか? その度胸を活かして演劇やりません?」

「いやいや、演技なんて無理だから……」

「大丈夫! 紫藤くんならできます、絶対!」


熱弁するあずさ。すると美樹が冷やかすように言った。


「お、あずが口説き始めたよー。あず、ステージの時ずっと時哉くんのことガン見してたもんねー」


にやにやと笑いながら言う美樹。あずさは顔を真っ赤にして、


「ちょ、部長!?」

「あー、顔真っ赤だー。これは惚れたな? 時哉くんに」


ぷふふ、と笑って返す美樹に、あずさは声を荒げて叫ぶ。


「部長! それ以上言ったら部長が恥ずかしい目に遭う脚本書きますよ!」

「いや、それは勘弁」


右手の平を突き出して固辞する美樹。

その後も熱心に演劇部に勧誘してくるあずさに、時哉は苦笑しながら断り続けた。



わいわいがやがやとしていたら、あっという間に90分が経った。幹事の美樹にそれぞれが参加費を渡し、一括で会計を済ませて店を出る。

駅に向かうグループと住宅街に向かうグループに分かれて、美樹が締めの言葉を告げた。


「それじゃあみんな、お疲れさま! 二次会は銘々でってことで、とりあえずこれで! 解散!」


それぞれが「お疲れでしたー」と口にして、別の方向に歩き出す。時哉は自転車を押して住宅街へ向かうグループの中にいた。そこにはあずさの姿もある。


「新田さんもこっちなんだ?」

「はい。大木中学なんで。紫藤くんは?」

「俺は灘中。となりの学区だね」

「そうですね。でも今まで通学路で会いましたっけ?」

「会ってないかも。俺いつも家出るの遅いから」


そんな他愛ない話をしながら歩いていくと、一人また一人と、グループのメンバーが家路に向かって去っていった。

最後に残ったのは同じ中学出身の美樹とあずさ、そして隣の学区の時哉の三人。


やがて交差点に着くと、美樹が言った。


「じゃあ、あたしこっちだから。時哉くん、お願いがあるんだけど、いいかな?」

「? なんですか?」

「あずを家まで送ってあげてもらえないかな? ほら、もう暗いし」

「っていうか部長の家ってあっちじゃないむがっ!?」


割って入ったあずさの口を両手で塞ぎ、美樹はあずさに耳打ちする。


「二人きりにしてあげようって言ってんの。知ってるんだぞー? 彼のこと、気になってるんでしょ?」

「ふごふっ!?」


何かを言おうとしたあずさだったが、見事に口を塞がれているので言葉にならなかった。


「いいじゃん、時哉くん。顔もそれなりだし性格もよさそうだし」

「ふがふが!」


もがきながら何かを言おうと必死なあずさをよそに、美樹は時哉に視線を送る。

時哉はすっかり陽の落ちて暗くなった空を見上げて、


「そうですね。何かあっても困りますから、責任持って送りますよ」

「うん、ありがと。じゃああずのこと、よろしくね」


そう言って美樹はあずさを手から放し、ばいばーいと手を振って道を曲がっていった。その背中が見えなくなるまで二人は見送って、


「じゃ、行こうか」

「……はい……お願いします……」


あずさの頬に朱が差しているのに、時哉は気付かなかった。



自転車を押しながら、時哉はあずさの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。あずさは時哉の半歩後ろを、うつむき加減についていく。

美樹と別れてからこっち、妙にあずさが静かになった。気になった時哉が歩みを止めて振り返ると、あずさはびくんっ! と身体を硬直させて、


「な……何か……?」

「いや……やけに静かだからどうかしたのかなって……」


するとあずさは両手でスカートの裾をもじもじといじりながら視線を逸らし、


「いえ、その……迷惑じゃ、ないですか……?」

「? 全然?」

「すみません……私、男の子と二人きりになったことがないんで……ちょっと……」


頬を赤らめながら言うあずさ。そんな彼女に時哉は苦笑いして、


「あはは……俺って信用ないんだね……」


自嘲気味に笑う。と、あずさは視線を上げて時哉の瞳を強く見詰めて、


「ち、違います! そういうんじゃなくて! 紫藤くんのことは信用してますから!」


語気を強めて言った。その剣幕に時哉は若干引いたがすぐに持ち直すと、


「あはは。ありがとう」


微苦笑を浮かべる。

するとあずさのスマホが着信音を鳴らした。その音に一瞬びくっ、とあずさは驚きながら、スマホの画面を見る。母親からの着信だった。


「すみません、母からです」


時哉に断って電話に出る。


「もしもし。……うん。……大丈夫、今帰り道だから。…………うん、分かった。じゃあね」


短めに会話を終えて、電話を切る。


「どうしたの?」


時哉が訊ねると、あずさは小さく嘆息した。


「早く帰ってこいって……」

「そっか……。じゃあ後ろ乗ってよ。その方が俄然早いし」

「いいんですか……?」

「いいよ。早く帰んなきゃまた怒られちゃうしね」


時哉の言葉に甘えて、あずさは自転車の荷台に腰掛ける。


「落ちないようにね?」

「……はい」


答えて、あずさは細腕を時哉の腰に回す。その柔らかな感触に時哉はドキドキした。が、今は彼女を一刻も早く家に送るのが最優先だ。ラブコメっている場合じゃない。


「じゃ、行くよ」

「はい……」


ペダルを漕ぎ出す。あずさは見た目よりもずっと軽かった。


すいすいと自転車を走らせる。二人の間には道案内の会話くらいしかなかったが、あずさはこの時間がずっと続けばいいのに……なんてことを思った。

あの日、あの時、あの場所で。時哉と出会っていなければ、きっと劇は上手くいかなかった。部員と喧嘩したまま時だけが過ぎ、内容の薄い中途半端な劇になっていただろう。


だから、あずさは時哉にすごく感謝していた。時哉の言葉に背中を押され、部員と話ができ、劇も成功して観客を沸かせられた。この時点ですでにあずさの心は揺らいでいたが、その揺らぎをもっと大きくしたのは、時哉のギタープレイだった。


ステージに凛と立ちギターを掻き鳴らすその姿は、最高にかっこよかった。思わず聴き惚れ、時哉だけをずっと見詰めていた。

彼を見ていると心が揺れて、締め付けられて痛くなる。なのに、身体の芯が火照って心臓が強く脈打つ。


これは恋なのだと、あずさは直ぐに気付いた。


だから今こうして、時哉の背中に頬を預けている状況がたまらなく嬉しくて。自分の気持ちが少しでも伝わるように、あずさは強く時哉の腰元を抱き締めた。

が、自転車といってもそれなりに速度が出る。あずさの気持ちとは裏腹に、直ぐにあずさの家の近くまで来てしまった。


キ゚ッ、と短いブレーキ音を鳴らして自転車が停まる。あずさは名残惜しそうに腕をほどくと荷台から降りて、


「もう近くですから。ありがとうございました」


悲しげな微笑みを浮かべて、時哉に礼を告げる。


「うん。気を抜かずに、家まで帰ってね」

「はい。それじゃ……」

「うん。また、学校で」


小さく手を振って、時哉は自転車を漕いでいく。その背中を愛おしそうに見つめながら見送って、あずさは踵を返して歩き出した。

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