9.神の住処?
「…ずいぶん訳あり、なんだね?
わかった。早いのが良いのは本当なんだ。
すぐにやろう。説明はそのあとでにしようか。
儀式さえ終われば、説明も短くて済むと思う。
さぁ、行こう。」
立ち上がったキリルさんにまた手を差し出される。
その流れるような自然な振る舞いに、素直に手を乗せてしまう。
この世界の男性は歩くときにエスコートするのが普通なんだろうか。
絨毯がふかふかすぎて歩きにくいのもあるし、
さっきまで意識を失っていたこともあるのか少しフラフラしている。
遠慮なくキリルさんに支えてもらうことにする。
歩きながら横を見ると、私の視線はキリルさんの肩にも届かない。
律よりも大きいとは思ったけれど、肩幅というか体格ががっしりしているからか、
実際の身長差よりも大きく差があるように思う。
私だって身長は162センチだから…女性として特に小さいとは思わないけど。
キリルさんと一緒に歩いていると、子どもか何かのように見えそう。
それでも歩幅は私にあわせてくれているようで、特に困らなかった。
ふと、足元の感覚が変わったと思ったら絨毯が消えていた。
石畳の廊下に変わり、壁も同じように石が積み上げられている。
先ほどまでの廊下と違って窓がなく、奥が見えないほど暗い。
薄暗い中、キリルさんが手をあげると光がともる。
何か懐中電灯的なものを出したのかと思ったが、
よく見るとキリルさんの指先から光が出ているように見える。
そこには道具っぽいものは何一つ見えない。
「…キリルさんの手が光ってる?」
「うん、魔術だよ。これもそのうち教える。
見慣れないと思うけど、ユウリは使えるようになるから。」
「…魔術。」
自分の常識が常識じゃなくなった時、人は何も考えられなくなるらしい。
あれこれ聞きたいことは山ほどあるけど、
聞いたところで理解できるようなことでは無い気がした。
もう黙ってキリルさんについていこう。
そう思ったら、キリルさんの足が止まる。
ん?何もないけれど、また隠し通路?
そう思ったら、ガクンと足元が丸くくりぬかれた様に下に沈んだ。
「ふわぁ?」
「あ、ごめん。抱きかかえておけば良かったか。」
慌てたようにキリルさんに持ち上げられ、縦抱きにされる。
まるで子供をひょいっと抱えるお父さんのように軽々とされている間も、
そのまま足元はどんどん下へと降りていって…
あまりのことにキリルさんに抱き着いたまま、悲鳴を上げるような余裕もなかった。
恐怖で固まった私をキリルさんが大丈夫だと落ち着かせようとする。
怖すぎて涙も声も出ない。ただただキリルさんにしがみついていた。
足元はかなり下まで降りた後、ガクンと止まった。
「もう大丈夫、着いたよ。」
「…着いた…?」
そこは、まるで広い鍾乳洞の中にいるみたいだった。
洞窟のような空間、つららのように石がいくつも垂れ下がっている。
私たちが降りてきたのがどこなのか、上を見上げてもわからない。
ひんやりとした空気の中、静かな場所に私たちの声が響いていく。
誰一人ここにはいない。人の気配は全く感じない。
生物すらいないんじゃないかと思うような、そんな場所だった。
うっすらと青白く光る空間の中、奥のほうには水が見える。
こういうのって地底湖っていうんだっけ?
こんな感じの場所が東北のどこかにあるのを写真で見た気がする。
ゆっくりとキリルさんが私を下におろしてくれる。
まだ足が震えていて、キリルさんの腕にしがみついて、ようやく立てている。
「奥にある湖が神の住処って呼ばれている。
その水に手を浸すだけでいい。
そうしたら神に呼ばれて向こう側に行ける。
すぐそばまで俺も一緒に行く。怖いことは無いよ。」
「…わかりました。でも、綺麗すぎて、少し怖い…。
すぐ近くにいてもらってもいい…ですか?
一人で近づくのは怖くて…。
できるだけ一緒にいてもらえませんか?」
あの場所に一人で行けって言われても、足が動かない気がする。
神に呼ばれていくって、確かに神様がいるならこの状況が何なのか聞きたい。
だけど、その前に…一人で近づくのはちょっと…無理。
涙目でキリルさんに訴えると、困った顔をされる。
少しだけ黙ったキリルさんは、ためらいながらお願いを聞いてくれた。
「…俺とつないだまま手を入れることもできるけど、そうする?」
「いいの?お願いします!そうしてもらえると心強いです。」
出会ってまだ一時間もたっていないと思うけれど、
今この手を離されたら怖さで崩れ落ちてしまう。
この場にいるのが私とキリルさんだけで、何一つ状況がわかっていない。
もし一人で取り残されでもしたら…。
神の住処は近くで見るとうっすらと発光しているように見えて、
ますます綺麗すぎて怖い。
綺麗すぎて怖いという感情が正しいのかはわからないけれど、
神聖な神社を見て、罰が当たりそうだと思うのと少し似ている。
キリルさんとつないでいる手を離さないように、ゆっくりと手を前に伸ばす。
その手が水にふれたと思ったけど、感触が水じゃなかった。
薄い膜を突き破って中に手を入れたような…そんな感じがした。
すぅっと周りの景色が消えて、何もない場に残される。
慌てそうになった私に気が付いたのか、手をきゅっと握られる。
隣には変わらず心配そうな顔しているキリルさんがいた。
あぁ、よかった。一人じゃなかったことにほっとする。
「大丈夫…ここが神の住処だよ。」
「え?湖の中に入ったってことですか?」
『そうだ。』
「え?」
キリルさんとは違う声にどこにいるかと探したけれど、誰も見えない。
男性でも女性でもない、大人でも子供でもない、不思議な声に聞こえた。
『探しても見えないだろう。声だけで許してくれるか?
おかえり、この世界の魂から産まれた娘よ。』
「…神様、ですか?」