12.侯爵家(キリル)
婚約者の住んでいる侯爵家の屋敷はそれほど遠くない。
先ぶれを出しているため、馬車が着いた後はすぐに応接室へと案内された。
そのままリリアナ嬢が応接室に来るのかと思ったら、
執事はお茶の準備ができたので中庭へ案内するという。
呑気にお茶なんて飲んでいる場合じゃないんだがと思いつつ、
仕方なく執事の後について中庭へと移動する。
遅咲きの薔薇が咲いている中庭の東屋には、リリアナ嬢と侍女が待っていた。
俺が来たことに気がついても、立ち上がることも挨拶もなかった。
まだ婚約者とはいえ俺は公爵家のものなのだが、リリアナ嬢はそれを理解していない。
無礼だと怒り出して帰ってもいいのだが、そうするといつまでたっても話はできそうにない。
リリアナ嬢が貴族らしくなるまで待っていたら、いつになるかわからない。
それほどまでにリリアナ嬢は礼儀作法が身についていないというか、
自分の立場というものを理解していない。
確かに宰相の娘ということでそれなりの扱いをされているだろうが、
それはあくまで父親の宰相の地位があってこその話。
リリアナ嬢は侯爵家の娘だというだけで、何一つ自分のものではない。
嫁ぎ先によっては身分が全く変わってしまう、
侯爵令嬢という身分はとても危ういものだ。
そのことに全く気が付いていないから、
先日の夜会のような奔放な行動をしてしまうのだろう。
…今さら気がついても噂は消せないし、評判を取り戻そうとしても遅いだろうが。
「あら、キリル様。
急にいらした理由は、先日の謝罪かしら。」
「謝罪?」
あいかわらず胸元が開けたドレスを着ているリリアナ嬢に、
夜会でもないのにどうしてこうもはしたない姿なのかとうんざりする。
出会った頃のリリアナ嬢はこのようなドレスを着ることは無かった。
ドレスに関してはまだ幼い少女だったからでもあるだろうが、
礼儀作法はその頃のほうが身についていた。
あの頃は俺と話すだけで恥じらうような令嬢だったはずなのに、
いつのまにか少しずつ言動が派手になっていった。
それもこれも…リリアナ嬢の後ろについている、侍女のリイサのせいに思える。
俺より少し年上のリイサはもうすでに一度嫁ぎ、リイサの不貞で離縁していた。
リリアナ嬢の乳母の娘だそうで、仕方なく侯爵家の侍女として雇ったと聞いたが…。
リイサがリリアナ嬢についてからというもの、どんどんおかしなことになっている。
宰相にも侯爵夫人にも忠告はしたのだが、真剣に考えてくれなかった。
それを思えば…こうなったのも侯爵家の自業自得というべきか。
「ええ。先日の夜会で私を置いて帰ってしまったでしょう。
夜会の後、一人で帰るのはとても寂しかったのですよ?
その謝罪に来たのかと思ったのですけど、違いますの?」
まだ十六歳だというのに、手慣れている夫人のようなねっとりした話し方。
これが魅力的だと思っているのだろうか。
それに、あの夜会のことを侯爵から叱られもしなかったのか。
うんざりとしながらもため息を殺して、答えを返す。
「あぁ、あの夜会か。
もう帰る時間だと思って探しに行ったのだけどね。
リリアナ嬢は薄暗い中庭の東屋で令息とお取込み中だったから、
邪魔するのも悪いと思って帰ったんだ。」
「え?見ていたのですか!?」
「ああ。」
婚約者以外の令息との逢瀬を見られて焦ったり顔色が悪くなるというのはわかるが、
なぜかうれしそうに聞き返されて…それはどうなんだと思う。
浮気を見られて喜ぶって、何を考えたらそんなことになるのか。
「…キリル様は…それで、どう思いましたの?
私が他の令息に取られるとか…俺のものだとか思いました?」
は?
うれしそうに頬を染めて俺に聞くリリアナ嬢と、
その後ろで満足げな顔をしている侍女の様子になるほどと思う。
「気持ち悪いと思ったな。」
「は?」
「婚約者がいる身だというのに、
他の令息とあんな風にふしだらな真似をする令嬢なんて気持ち悪いと。」
「えぇ?」
「そんな令嬢とは結婚できない、そう決意したよ。」
「うそ…。」
みるみるうちに真っ青になっていくリリアナ嬢に、後ろの侍女も焦っているのが見えた。
まずいことになったと、今さら反省しても遅い。
どうやらこの様子だと、俺に嫉妬させて仲を深めたいとか考えていたんだろう。
だけど、自分とは口づけすらしていない婚約者が他の男と絡んでいるのを見て、
尻軽な令嬢だと幻滅しないわけがない。




