カフェテラス
緩やかな勾配の道路をのぼりきろうとしたところで、カフェらしき看板と建物、そしてまだぽつぽつ空きのあるテラス席が目にはいり、沙耶は華奢な片肘で休めるようにセレクトレバーに手のひらをついている蒼甫のその腕を小突き、もうひとつの手の人差し指でフロントガラスをさして、
「ねえもう着くよ」
と言いながらちらりと横目に彼をみると、睫毛にかぶさる片目がほんの少しだけこちらを認めて、ふたたび安全運転に移ったのを確かめながら沙耶は満足をおぼえてくすりとほほえみ、そのまま窓の外へ目を移すと、狭い路肩に駐車する真っ黒のセダンに梅雨晴れの陽光がどぎつくはねかえり、沙耶はまぶしいと思うより先にこれからいざ車の外へ出ようとするのがわずらわしくなった。
蒼甫と二人、互いの皮膚感覚をやさしくさぐりあいながら温度風向風量ともにうっとり心地よくなるほど涼やかになった車内から果敢に飛び出して、少し離れた駐車場からじんわり汗をたらしてやっとのことでドアへとたどり着く。
そう考えただけでも今から恐ろしいのに、沙耶としてはぜひとも快適さの約束された店内ではなくテラス席にすわって、パラソルの陰に涼みながらこのひとときを優雅に過ごしたい。いくら暑さが忍べないとはいえ、それは真っ先にきめていたことなので予定を崩すわけにはいかないし、そんな事をしたらすべてが台無しになってきっとあとから後悔してしまう。
そうとも知らない蒼甫はかたわらでおだやかにハンドルを切りながら左折すると真正面にとらえた場所ではなく、なるべく少しでもお店に近い所をと探すかのようにゆっくりと車を進めながら、折よく空きを見定めて向かおうとした時、別の車両がするりとそこへ収まり、それでもわりあい店から近場のところを見つけて、エンジンを切ると一気にじわりと沙耶の額に汗が噴き出した。
「暑いね」
となお炎暑の車外へと踏み出す勇気もでぬままにぽつりとつぶやくと、蒼甫は、
「暑いな。でもすぐだよ」
と言い置いてドアの取っ手に指をかけ、カチャリとひらくとともに颯爽と席を立つので、沙耶はいよいよ耐え切れなくなる蒸し暑さをおそれて溜息をつきながら外へ出ると、暑さこそひどいものの空気は思いのほかからりとしていて、覚えず足早になるうち微風が首すじの汗をひやすのに気を良くし、時折彼をふりかえりながらようやく陰に入りくるりと向き直ると、蒼甫はのんきに長袖のシャツをまくりあげながら悠然と歩いてくる。
シャツをまくりおえてチノパンのポケットに両手を突っ込んだ彼の背中へと影がのびて、その先がぴんとまろやかにとがり、ふと自分の足元を見下ろすともちろん伸びてはいない。影をつくろうとサンダルの足先を日向に差しだし、ぶらぶら遊んでいると、彼が着いて、
「入ろう」
と声を掛けてくれるのに、
「はい」
と沙耶は返事をして上目づかいに見つめると、蒼甫はすうっと横をむき切れ長の瞳をしばたたきながら進んで行くので、その後について店内にはいると生き返るほどの涼しさ。
沙耶は知らず知らず空いている席を見定めてレジで順番待ちをしながら、せっかくひんやりしたボトムスの中さえまたしてもべたつくのを恐れて、見晴らしのいい窓際の席に陣取ろうかとひとり思案をきめると、紺シャツの袖を引っぱりながらその顔を見上げて、
「ねえ、席」
「テラス空いてるじゃん」
「うん。でもわたし。あっちが好いの」
と振りむいて目顔で示しながら唇をつきだし、懇願を目元にふくませつつ向き直ると目の前にいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「テラスじゃなくていいの?」
「いいの」
「でもさっきは外でつめたいのを飲みたいって」
「さっきはさっきだよ」と沙耶は憮然とはにかみながら言い切った。そしてそれを笑みに紛らせ、首を横に振り、
「今は今なの」
「おれはいいけれど、沙耶がそうしたいならそうしよう」と今度は穏やかに微笑むと、袖をつかまれた手をポケットへ突っ込み、レジ裏のメニューを見上げた。
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