5話 不慣れな弟子
「お師匠様! ご飯ができた……じゃなくて、できましたよ!」
ネマは二階に上がり、扉をいきおいよく開いた。
師匠がギロリとこちらを睨み、言った。
「ノックは……」
「すみません」
にやりと笑いごまかす。
「今日は上手くできたんです! 早く早く!」
気が早って師匠の手を引き、階段を降りた。二脚の椅子が向かい合ったテーブルの上には、黒こげのパンとスープ、お肉が並ぶ。
「あのぉ、パンは焼きあがるのを待ってるときにちょっとだけ、ほんのちょっとだけ寝ちゃって焦がしちゃったんだけど、スープは上手くできたの! 食べてみてください」
パンの皿を自分の方に引き寄せ、自信作のスープを師匠のもとに近づけた。
じゃがいもとニンジンを入れ塩コショウで簡単に味付けした野菜スープである。一口食べた師匠は開口一番、
「固い」
そのまま苦しそうにごくりと飲み込んだ。
「えぇ!? 嘘」
試しに一口サイズのニンジンを食べるが、固くはない。むしろ、食べ応えがあってちょうどいいくらいだ。
「馬鹿! あんたの歯と私の歯が同じかい?」
「あ、そっか……」
ネマの耳がしおしおと折れる。狼の半獣であるネマには牙があり、普通の人間の師匠には嚙み切れないことがすっかり頭から抜け落ちていた。
ネマは師匠の指摘で別のことを思い出した。レイスの料理はいつもネマにとって丁度いい固さだった。つまり、無理をさせてしまっていたということだ。
師匠は余罪を許さない。ネマの背後のガラス戸を指差して言った。
「あと、マグカップを割ったね」
「なぜそれを!?」
「食卓に出てないのにマグカップが一つ足りない」
ガラス戸の棚には、食器に調味料、缶詰、薬草等々がきれいに並べて整頓されている。それに加え、師匠の家の食器類は全て二組ずつ用意されているため、すぐ気づいたのだろう。
ネマは消え入りそうな声で誤った。
「すみません……」
ネマには、隠蔽しようなどといったやましい気持ちはなかった。謝ろうとは思っていたのだが、用事が多く後回しにした結果忘れてしまったのだ。
言い訳をしても火に油を注ぐことは目に見えているため口をつぐんだ。
次に師匠は立ちあがり外に出た。
嫌な予感がする、というよりかは思い当たる節が多すぎる。
腹を括って師匠の後を追えば、立ち止まったのは小屋の真横の洗濯物干場だ。洗濯物干場と言っても木と木の間にロープを結び付け、そこに洗濯物がかかっているだけの簡易的なものである。
ネマは、師匠と洗濯物の間に入り込み押し戻そうとした。
「お師匠様! あの、お料理が冷めちゃうし……」
師匠はネマの言葉を無視して、人差し指を宙につきだし手前に引いた。すると、その中の一枚が、師匠によく似た洗剤の匂いを漂わせそのまま片手に収まった。
その一枚は全体的に茶色く濁ったリネンのシャツだ。師匠には何もかもお見通しらしい。
師匠が言った。
「落としたね」
「……すみません」
悪気はなかったのだ。
一通り洗い終えた後、白のシャツだけ風で飛んでいきそのまま地面に落ちた。そこで泥まみれになったシャツを混乱してこすり合わせてしまい、さらに汚れを強固にしてしまった。今でもなぜ自分がそのような行動に出たのかは分からない。
「乾いてからもう一回チャレンジしようとは思ってたんです! サルサナ草でこすったら落ちるかなぁって」
ネマの必死の弁明をよそに、師匠は小屋を通り過ぎそのまま森の中を突き進んでいく。
「すみません……」
ネマが今できることは。先に謝っておくことだけだった。
師匠が足を止めたのは、小さな温泉ほどある大きな水たまり。ここ最近、晴天続きだったため水たまりができるはずもない。
師匠がため息をついた。
「魔法を使ったね」
「すみません……」
「まだ術式文字も全て覚えてないというのに! もし、これが火の魔法だったらどうしていたのさ!」
「すみません……」
魔法には術式魔法と個人魔法の二つがある。
ネマが使ったのは術式魔法で、術式文字を組み合わせ魔術式をつくり魔法を発動させるというものだ。これは魔術式さえ覚え、術者が十分な魔力を保有していれば簡単に魔法を発動することができる。
一方の個人魔法は術式等を使用する手間がなく、個人によって扱える種類の違う魔法のことであり、大方は物の浮遊、火を操る、水を生み出すなどの魔法だ。
師匠は物を自在に浮遊させる個人魔法で、ネマはまだ自分が何の個人魔法を持つのかを知らない。ふとした拍子に使えるようになる者もいるらしいが、個人魔法の習得には修行を必要とする者がほとんどだ。
術式文字を覚えている最中のネマは魔法の使用を禁止されていたが、つい興味本位で魔術書に載っていたものを試してしまった。
穴があったら入りたい、いや今ここで穴を掘ってしまいたい。
弟子入りして早一か月。家事も魔法もちっとも上達せず、毎日師匠を困らせている。失敗するたびに、家事をこなし魔法を簡単に扱っていたレイスの偉大さを痛感し、そして自分の無力さに失望する。
師匠が一度咳払いした。
「まぁ今の段階で水が出せたのは、そうめったにできることじゃあないけどね」
「本当ですか!」
先程まで垂れ下がっていた尻尾が無意識にピンと立ち上がる。
「ただし」
「ただし?」
「止め方も把握していないのにするのはただの馬鹿だ。想像力を働かせな」
「はい……」
「あともう一つあるだろう」
「え?」
じろりとこちらを見られるが思い当たる節は――あった。
「お師匠様、これだけは本当に許してください!」
エプロンの前面に着けられた二つのポケットの内ひとつを大事に抱え距離を取る。
これだけは何があっても譲る事はできないときつく握りしめすぎたせいか、中から黒い影が飛び出した。
「ミャー」
「あぁ! だめ」
ずっと隠し持っていたのは、ハムスターほどの大きさしかない黒猫。背中の小さな羽でふわふわと飛び、そのままネマの肩に着地した。
「何だい、それは」
「今朝、小屋の前で拾ったんです。お腹が空いてるみたいでぐったりしてて放っておけなくて。それに、レイスの匂いとすごく似てるの!」
最初はレイスが姿を変えたのかと錯覚したほどだったが、本人とはどこか少し違う。けれど、レイスと何らかの関係がある気がして仕方ない。
「あぁ、レイスってあんたの恋人の」
「こ、こ、恋人!?」
顔が急に熱を持つ。
私とレイスが恋人!?
確かにレイスのことは大好きで、レイスもネマのことを好きだと言ってくれる。レイスとの関係に名前を付けたことなど今までなく、一緒にいることが当たり前すぎて意識すらしたことが無かった。
ネマが狼狽える一方、師匠はこちらに近づき肩の黒猫をじっと見つめた。
「ふーん、また厄介なものを」
「厄介じゃないです! 私がきちんと世話を見るから、いいでしょう?」
これは長丁場になると思って身構えたが、師匠の返事は予想外のものだった。
「仕方ないねぇ」
「……それだけ?」
「なんだい、反対してほしかったのかい?」
「ち、違います。ありがとうございます!」
嬉しくて、師匠に飛びつこうとすれば、顔面を平手で押さえつけられた。いつもこうだ。
「そう何かとくっつくもんじゃないんだよ、まったく。あんたは抱き着く癖を直しな」
「はい……」
師匠は水たまりの上に魔術式を書き込み砂の山を出現させ、ネマにそれを平たく均すことを言いつけ去って行った。黒猫と二人きりになり、ネマは嬉しくなって話しかけた。
「ミャーちゃん、よかったね」
そう話しかければ
「ミャー」
小さな頬をこすり合わせてきて、ネマもそれに返した。
次回、レイス再登場です。