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第一幕

 午後三時四十分。ホームルームが終わり、生徒たちが慌ただしく廊下に出てくる。

 男子は詰襟学ラン、女子はブレザーと一般的な学校ではあったが、夏の時期になっているため、上着を着ている者は居なかった。


 掃除当番以外の生徒で、ある者は部活に行くために廊下を走り、ある者は帰宅し、ある者は予備校へと向かっていく。その人の波の中を少年二人が逆らう様に上の階へと昇っていた。


 東棟の三年生の教室の前の階段を上り、校舎の屋上の扉を開ける。

 夏特有の湿気を含んだ重い空気が六人部悠人を出迎えた。


 高校一年生の悠人は、同じ学年の生徒からみても身長が低く、童顔だ。その身長にコンプレックスを持っており、女子とほぼ同等の身長から―もっとも場合によってはそれ以下になってしまう百五十五センチという身長は―男子たちの間では、「女子」の様に扱われてしまうという苛立ちを抱えていた。

 尤も、そのことについては中学三年生あたりから続いていることだったので大分慣れてきてはいたが、気落ちすることがよくあった。特に、同じ中学からこの県立高校に進学した長浜未来や翠川真理などの彼の友人は、一時期、ふさぎ込むほど落ち込んでいたのを見ているだけに、その様な弄りをできるだけさせ無いようにしようという、無言の圧力が、視線などからクラスメイトをけん制することとなっていた。そのかいもあり、たった三ヶ月ではあるが、彼を弄るということも少なくなっていた。

 それには、彼の特異な才能のおかげもあるようだったが。


 扉の先に広がる七月の空は、青くそして突き抜けていた。もうすぐ夏休み。そんな逸る気持ちを抑えるように、扉を抑えながら、一緒に来ていた長浜未来を見る。


 長浜未来は名前から勘違いをされるが、男子高校生になる。

 中学時代は髪を茶色に染めていたが、高校進学に際して一度黒に戻していた。まるで年の離れた兄弟のような身長差の二人だったが、かれこれ四年の付き合いになる。

 二人は示し合わせた様に、屋上のベンチに腰かける。未来は、冷たいコーヒーを一本悠人に手渡した。

 悠人は、その冷たさを噛みしめる様に、額に当てた。


「未来は、今年の夏はバイトばっかなの? 時間があれば手伝ってほしいんだけど……。夏とはいわずに、土曜日もあるんだけど……。」


「パス。せっかくバイトできるようになったんだもん。バイトしないと、欲しい物買えないしなぁ。」


「そっか……。バイクかなり高いしね。」


 まあね、と未来は言う。電気ですべてが動く時代、無線給電のモバイル端末から電気式バスまでなんでも電気で動いている。その時代の中で未来が欲しがっている物は、奇異な物だった。

 ガソリンエンジン式のバイクである。給油についても給電スタンドのうち十件中一件に併設されている程度のものだから、あまり実用性があるものではない。

 しかし、未来の叔父が持っているのを見て、自身も欲しくなったのだと、悠人に語ったことがあった。


「といっても、すぐ買える物じゃないし、免許くらいは取りたいよなぁ。」

「三十万くらいあればいけるんだっけ?」

「たしか二十七万。……講習だけでこれって高くねぇ?」

「そうなの? でも、車よりは安いんじゃない。」


 そうだけどさ、と未来は口をとがらせる。

 経済的な崩壊は免れていた日本だったが、世界情勢をみれば安定しているとはいいがたい。インフレの波はおきつつあり、物資不足をどのように乗り切るのかがこの後の課題だろうとニュースでもさんざんに流れていた。


「まぁ今日までは、七夕まつり前だから、よく外装が売れるだろうけど。」


 悠人は、イヤーフォンのセットを確認すると、ベルトに吊り下げている『ウィンク』のスイッチを入れる。スリープ状態のウィンクが立ち上がった。

 コンタクトレンズ越しに、視界にインターフェースが映り込み、立ち上がりを感じた。

 拡張現実の世界が広がり、左側にシステムツリーが表示されていく。透けているインターフェースの右下には、可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべ、橙色の髪をポニーテールにした三次元キャラクターがいる。日本式のメイド服の様な際どいミニスカートのワンピースに、エプロンを腰につけている。通称ナビゲーターが実像を持っているかのような立ち振る舞いで、その手に持った『読込中』の文字プレートをくるくると回していた。


「うへへ。アプリコットちゃんはいつもかわいいですねぇ。」


 その言葉に反応したように、ナビゲーターは「こんにちは、ご主人様。」という少し高い音声をイヤーフォン越しに返してきた。合成された音声であるのだろうが、AIによってチューニングされたその音は、普通の人の言葉といっても差し支えないほどに丁寧な抑揚だった。


「そのキモチワルイ笑顔をやめろよ。」

「へへ、いいんだよ。このために僕は金を使っているんだからさ。あー夏だしアプリコットちゃんを水着にでもしてみようかな。」

「ひえー。また授業中に、にやにやすんじゃないだろうな。」

「しないしない。あれはちょっと面白い事思いついていただけだし。」

「面白い事がろくなことじゃないからなぁ……。」


 ウィンク。魔法と呼ばれたものを使うために実装された補助デバイスだったが、多くは拡張現実を補助するための一つのツールとなっていた。

 事象改変の危険性は多く、システム側で多くの機能がブロックされているのが現状だった。

 発売当初はフルオープンの状態だったので、犯罪にも利用されてしまった。慌てた運営が、OSをホワイトリスト形式に変えるほどだった。

 現在ではアプリと連動する物も多く、限られた場所のみで使用可能になっている程、規制がされていた。


 拡張現実の機能は、授業においても利用され、古い授業の様に用紙は配られず、クラスの共通ストレージに格納されたデータをウィンクで表示する。教科書すらもう持ってくることはない。必要なのは、縦十センチ、横五センチ程度の自身の専用ストレージにすべてダウンロードしておけばいいだけだった。


「お、今日は……一通だけか。……二人みたいだね。――合わせは未来にまかせるわ。僕は調整だけやるよ。」

「ま、それで六四で取り分くれるとは気前がいいんで、ユウジンのことは好きですよぉ。」

「僕は、ノーマルなんで、その辺は勘弁してください。」


 俺も、と未来は笑う。未来もウィンクを起動して準備に入る。

 彼らが行うのは、外装の取引だ。ちょっと勉強すればだれでも作れるが、ゲームアプリの限定イベントで得られるものや、特定のデザイナーが作る洒落たものまで数多くの種類がある。

 悠人はその中でも、自身で作る事に熱中していた。ナビゲーターに着せるために大量に作成した外装データは、小物も含めれば二百は下らない。

 一般的なデザインの物を三次元データ化するのは、それはそれで大変なのだが、彼は自らの欲望に忠実に、そして際限なくその苦労をいとわなかった。


「一着あたり大体三千円以上が相場のところ、うれしい半額以下の一枚で、しかもサイズ合わせまでしますからねぇ。ほんとユウジンってば天才っすわ。」

「そのサイズ合わせは未来に手伝ってもらわないとねぇ……。蜜柑箱でもあればできなくないけど、毎回もってくるのとか面倒くさすぎて洒落にならない。」

「毎朝、『蜜柑』って書いてある箱を背負ってくるユウジン見かけたら、さすがにドン引きですねぇ。」

「だろう?」

「必ず二人で来てくれとかっていうのも……あれだしなぁ。おし、立ち上がった。カタログよこせよ。」


 はいはい、と悠人は返事をすると、プライベートネットワークを未来との間に確立させていく。手慣れた手つきで両手を虚空で動かし操作していく。インターフェースは虚空にキーボードといくつものウィンドウを表示させ、またはそれらを消していく。

 拡張現実の世界であるから、相対位置で操作をすることが可能だ。それを可能にしたのは、イヤーフォンの横についている小型のカメラだった。旧来の操作方法では専用のグローブの様な補助器具が必要だったが、今ではもう必要が無かった。

 最後に確立されたネットワーク上にフォルダを作成。その中に今日売ってもいい外装の画像を並べていった。


「やっぱ七夕まつり前だから、浴衣メインかなーって。」

「それはわかるわ。中学の時もそんな感じだったもんな。――お、新作じゃん。」


 未来は、一つの浴衣の外装に気付いた。それは透明な浴衣だった。

 一見すると刺繍が浮いているという感じになる物だった。


「そうそう、混視をメインに考えてみるのもありかなとおもって。……といっても絵柄がうるさくなろうなぁ」

「色使いまで気にすると結構大変なんじゃなかったっけ?」


 混視。現実と仮想の外装による色彩や衣装の変化によるものを同時に楽しむ概念のことを指す。例えば色違いの服と外装を着てその色彩同調により新たな色味をだしたり、現実的に無理な羽衣や背中に翼を生やしたりといったことを楽しむ。

 彼の作った物は、その中でもパーツのみを衣服に投影させる事だった。

 その衣装をまじまじと見つめて、未来はつぶやく。まるでどうでもいいような事と思えたからだろうか。


「これが思いついたいいこと?」

「ま、やっぱりさー、ニーズには応えないといけないじゃん? 実際には浴衣きないで、外装だけ浴衣っていうのが多いけどさ。中には本当に浴衣着たい人いるわけで。」

「でも、もともと、ナビゲーター用に作っていたんだよな? これナビゲーターでも混視になんるの? ……意味ない気がしてならないんだけど。」

「ふふふ……。重ねることはできんだよ。まー、二個以上だとさすがに重いけどね。」


 その答えに、未来は、素直に感嘆の呻き声を漏らす。普通はナビゲーター用で作るのであれば二個重ねるなんて言うことはしない。そもそも図柄を書き換えればいいだけだからだ。

 拡張現実を見るからこそ混視をやることはあったが、それを仮想世界に当てはめた考えに素直に驚いていた様子だった。


「正直、メッシュを弄ればいいっちゃいいんだけど、そうすると応用効かないじゃん。たしかにパーツとかで浮かせることはあってもさ。浴衣の図柄だけ変えたいとか……結構ありじゃないかなぁって。」

「その辺の手間をやりたがるっていうのもどうかと思うが……。でも、お前、これ下手したら……。」


 未来はふと頭に浮かんだ疑念を言葉に乗せるか迷った。一見すると、素肌が透ける可能性があることに気が付いたからだったが、悠人がその様な邪な考えで外装を作っているとも思えなかったからだろう。


「言うなよ? うちのアプリコットちゃんは、そんな破廉恥な子じゃないんだからな。」

「……。何も言ってねぇのに。――やっぱ考えてんじゃん。」


 悠人は、無言で未来の足を蹴る。パーンといい音が鳴るが、未来がさっと足をどけて屋上を蹴っ飛ばしたからだった。

 悠人の視線を「怖い怖い」といってお道化た様子で身をかがめるように逃れた。


◆◆◆◆◆◆


「お、お客さんじゃん?」

「……覚えておけよ。」


 扉の曇りガラスに人影が映ったのをみて未来が話題を変えて立ち上がった。そのまま扉へと駆け寄る。それから、まるでホテルマンの様に扉を開いて客を招いきいれる。

 そこにいたのは、二人の女子生徒だ。


「メールでだしたけど、うちら、外装欲しくて~。」

「一年の子でムトベ君? であってる?」


 二年生を表すオレンジ色を中央に配置した徽章を付けている。学年によって徽章は異なり、一年は青、三年になれば白になる。それぞれが横に白い一本の線が入っている形だったが、全国学生連合会が決めた規則に則り、定められているものだった。

 一人は、髪が短く少し色を抜いている。もう一人は長めの髪を後ろで束ねていた。


「あぁ、六人部は彼。俺は手伝いです。」


 未来の紹介に「ども」と頭を下げる。二人の女子の内、髪の短い方が声をかける。


「そうなんだ。……ちょっと苗字から厳つそうなイメージをうけていたんだけど可愛いじゃん。」

「確かに? でも可愛いってより、弟みたいじゃん。」

「ユウコの弟に確かに似ているかも、でも小学生じゃね。――てか、選べるんだよねたしか。」


 小学生扱いされて少しむっとした表情で悠人は未来に告げる。


「長浜、カタログ見せてあげてよ。」

「へいへい。……今招待送るんで、入ってもらっていいですか?」


 そう未来に接客を任せて、悠人は調整の準備に入る。少し怒っている時の悠人は、他人行儀になりがちだった。そういった時は、未来辺りが相手を窘めるが、相手が年上だと中々上手くはいけない。その上、『客』であれば尚更だった。


 悠人は、待機中だったナビゲーターの頭を右手で一度撫でる仕草をした後、試着室を仮想上に作成する作業に移った。

 大体二メートル程の高さの骨組みだけのボックスを作成し、そこの一面に姿見を付ける。いつも作っているので手慣れた物だった。姿見の映像は、悠人のカメラに設定すれば、悠人が見ているままの視線で映し出される。

 それを公開状況にして、未来に目配せをする。それを察して未来が二人に声をかけた。


「お、きたきた。――先輩、繋いでもらっていいっすか?」

「おけまる~。」


 二人が悠人と未来が接続していたプライベートネットワークに接続した。

 そうすると、二人の視界にもボックスが表示された。

 ボックスの中央には、浮いたウィンドウが一つ表示されている。カタログだ。

 悠人が未来に見せていたものを、いつも使っている小洒落た縁取りのカタログウィンドウに画像を当て込みしたものを、未来が表示させていた。


「試着室で付けたいの選んでもらっていいっすよ。金額は、一個一枚なんで、よろしく。」

「ほーい。」


 未来が接客をしている中で、二人は、カタログをみて徐々にテンションが上がりだした。その会話を全く気にしない様子で、悠人は、調整用のプログラムを起動する。

 基本的には三次元画像を大きくしたり小さくしたりするもので、ポーン位置―稼働位置―の調整とメッシュー外装の図柄―の比率を適正にすることを行う。


 この辺りを一人でやろうとすると、カメラを別において微調整を繰り返す必要性あるため、かなり面倒くさいことになることを悠人は知っていた。

 一度自身で挑戦しようとした悠人は背中の調整が全くできずイライラして、途中で投げ出しそうになったほどだ。いつもとみている視線が違うため、左右がの感覚が合わなかったり、微調整をしようとして大きくずらしてしまったりと、何かと不便なものだ。


 一般的に販売されている物は自身の設定したポーン位置に合わせてや、細かい寸法―三面図を引く程度に必要な情報があればいいが―を設定した物を読み込んで調整をかけたりもするが、育ち盛りの中高生においては、一概ずっと使えるわけでもない。

 年に一度の身体測定時にある程度の情報を保有しているだけで、それが無ければ一年間データが更新されていないなんていうのはざらだった。

 そのため、思いのほかずれが出たりすることがあり、その微調整は面倒極まりない作業だったため、一時の楽しみとして、提供している悠人の外装の場合には、そのあたりの手間賃だけを取っているといった寸法になる。データはいくらでも複製できるのであるから、元の作成費用は特に取っていないため、割安になっていた。

 そのあたりの良心設計が、この学校で悠人が認められている所なのだろう。多い日には四~五人程度は来るのだから、まずまずといったところだった。


「まじ、これで、一枚でいいの? どれも可愛いんだけど!」

「このレベルの外装とかだったら普通に四、五千円するじゃん? どこのデータ使ってんの?」

「既製じゃないっすよ。――彼のお手製ですから、安いんですよ。」

「まじ……?手作り?」

「デザイナー志望?」


 悠人は、先輩たちの言葉に、少し反応して視線を上げる。

 できればあまり突っ込まれないような答えをと逡巡した様子だったが、冷静な口調で答えた。


「違いますよ。趣味なだけです。」

「ほへー。すごいじゃん。」

「デザイナーになったらいいのに!」


 口々に悠人を誉めていると、未来が少し嬉しそうな笑顔をして悠人を見た。

 ちょっとむっとした様子で、未来の視線から逃れる様に顔をそむけた。

 そうこうしていると、二人は早々にそれぞれ浴衣を一着選んだ。試着をして姿見で投影すると、その姿に喜んでいる。しかし、ここからが悠人達の仕事だ。


「ポーン位置をお願い。」

「あいよ。」


 手早く未来に伝えて高さと幅を調整させる。その後、未来がポーンの位置をひとつずつタップするように指を動かし調整していく。


「こんな……もんかな。大体。」

「おけおけ。」


 未来の言葉に応えて、その後にメッシュの調整に移る。ただ単純に図柄などを引き延ばしてしまった場合、縦横の比率が上手く合わない。そのあたりを調整するのが腕の見せどころだ。

 細かい刺繍などの図柄を見比べながら、調整を行う。

 その手さばきは一般人からしたら何をしているのかまったくわからないほどに早い。

 いくつものウィンドウが現れて、微調整をしたメッシュが展開されては消えていく。


 そして作業は、二人合わせて十分ほどで完成した。

 一息つくと、彼は視線を上げて二人に問う。


「こんな感じでどうです? 多分一般的な浴衣だったら同じ様に重なると思いますよ。……よほど変な着方しなければ。」

「あはっ! すごいじゃん。」

「噂通りに、丁寧な仕事っぷりで驚いたわ。――特に問題なさそう。」

「こっちも、問題なーし。」


 それを聞いてほっと胸をなでおろす。ふぅと、息を吐くと、髪を束ねている方の先輩が声をかけてくる。


「さんきゅー。明後日が七夕なのにすっかり忘れてて、まー浴衣は外装でいいかーって思ってたんだけど、今、早々外装屋から落としても被るのバッカじゃん?」

「ユウコ、まじ天然だからなぁ。」

「エリには言われたくないなあ!」


 嬉しそうに笑う二人に、悠人も親指を立て応えた


「また、何かあったらよろしくっす。」

「さんきゅ~。」


 二人はそのデータを受け取ると、提示されていた金額を未来の端末に送る。

 基本的には金銭の授受は電子で行われるのが一般的で、いまだに紙幣を使っているのは、銀行内部くらいなものだった。未来が電子マネーを確認する。


「あざっす。確かに。」

「んじゃムトベクン。ありがと~。」

「さんきゅ~」


 二人はお礼をいって扉に向かう。手をひらひらと振っているのは悠人に対してか。

 二人に先行して、未来が扉を開けて見送った。


◆◆◆◆◆◆


 大きなため息を悠人はついた。その様子を苦笑して未来が問う。


「今日はこれで終わりなんだよな?」

「予定はね。多分、もう来ないとは思うけど。――それにしても思ったよりも早い。粘られるかと思った。」

「……以外とあっさりしていたな。」


 未来も同意してベンチに腰を下ろした。たまに、どれにするか決められない人が長時間居座る事があったが、今回は即決だったからだ。

 来客無いことを確認した未来はそそくさと帰る準備を始める。ネットワークを悠人から切り離し、ウィンクを停止させる。

 ウィンクの停止方法は二種類あり、一つはストレージの電源のスイッチを押すこと。これによりスリープモードに移行する。長押しだと電源自体が切られるが、電源を落とす意味がほぼないので、あまり使われない。

 もう一つが、任意設定された秒数目を閉じる方法だ。だからこそのウィンクという名前なのだが、ほとんど使う人はいない。

 未来も一般的にストレージの電源を押してスリープにした。


「ま、それなら俺はここまでかな。帰ってバイトいくかなぁ。」

「――そっか。今日はそれならそれで。」

「えっと、今日は二千だから、千二百送るぞ。」


 あぁ、とうなずき送られてきたウィンドウを確認する。

 確かに入金されたのを確認して、悠人は満足そうに頷いた。


「アリガト。……多分もう明日は無いと思うけど、昼くらいには連絡するんで、よろしく。」

「ほい。まぁ時給八百円と思えば、割のいい稼ぎなんでぇ。」


 そうか、と悠人は笑う。

 未来は勢いをつけてベンチから飛び降りると、そのまま屋上の出口へと向かった。

 まだ陽が高く、白い給水塔に反射してまぶしい。


「いっつも思うけど、わざわざウィンク落とす必要ないんじゃない?」

「……アナログな方がすきだからな。どっちかっていうと、表示あるとうざったいって思っちゃうし。ユウジンはそのあたりそうでもないんだろう?」

「もうずっと見ているからね。」

「ほどほどにしとけよ。なんか、視界がゆがむとか聞くぜ?」


 呆れた様に肩を竦める未来に、悠人はそんなことないよと返した。実際、授業の大半もウィンク主導であるから、常時、拡張現実世界を味わっていることになる。その状態でないと悠人は落ち着かなかったが、未来はバイクなどを求める通り、電子機器全般に少し苦手意識を持っていた。

 そのせいだろうか、彼は基本的には拡張現実世界にうまく適応できていない、という感触をもっていた。操作はできるが、なんとなく馴染めていないという感じで、正確な苦手とも違うのだろうが。


「どうせ、またすぐにバイト中はつけなきゃいけないんだし。少しくらい本当の世界を見たいじゃん。」

「なにそれ、ウィンクを付けてると、偽物だって思うってこと?」

「半分は、そう思ってるかな。どこいっても作られた世界って感じがしちゃうんだよねぇ。」


 その言葉が意外だったのだろう、悠人は感心した様に未来を見た。


「……。あんまりそんな風には考えたことないけど、そう、なのかもなぁ。」

「あくまで俺の意見ってことで。――ユウジンはもうどっぷり、浸かってますんで取り返し付かなそうですけどねー。」

「ひどいな。」


 へへ、と笑いながら、未来は軽く額を小突いてくる。それから、またな、と未来は出ていった。それに手を挙げて応える。

 扉の開く音、そして重く閉まる音が少し物悲しい。

 学生のアルバイトは、学生運動の成果である、生徒の自主権というのが全国学生連合会によって確立されたことで、本業に差し支えない範囲で認められている。また、アメリカ合衆国なのでよく見られたレモネードスタンドの様な自活できる仕事を、「起業の第一歩」として後押しをしている。

 そのため、特技をもった生徒は、サイトを立ち上げて通信販売や、悠人の様な販売を行っていた。といっても、それほど高い利益率の仕事ではないので、一般のアルバイトと同様に、一定水準以下は非課税になる事になっている。

 過去に通信販売で相当儲けた生徒がいたらしいが、本業との両立ができ、卒業後にそのまま起業したケースもあった。


「偽物? ……本物?」

 一人空を見ながら、ナビゲーターを指でつつきつつ、独り言を言った。


◆◆◆◆◆◆


「偽物かもね。」


 凛とした言葉が頭上から返ってきた。

 全然予期しなかった返答に、悠人はあわてて視線を、声のした方へ動かした。

 声は、給水塔の傍。屋上への出入り口の扉の上だ。

 小屋の様になっているその屋根に、誰かいたらしい。悠人はベンチから降りるとその屋根に向かうため、はしごに駆け寄った。空き缶が甲高い音をたてて転がったが、気にするのはそこではないという様に、一目散にはしごに手をかけた。

 太陽で灼けたはしごの熱さが手に伝わった。

 カンッカンッとはしごを上る音が響く。


「やぁ。」

「ど、ども。」


 少し顔を出すと、給水塔の影に一人の少女が空を見上げて寝ころんでいた。

 その顔はまるで人形の様に整い、透き通る肌色。長いまつ毛に物憂げな視線。

 ミディアムボブの髪型は、コンクリートブロックに流れる水の様に広がり、枕代わりにしているのは、今時珍しい皮で出来たスクールバッグだ。

 水泳の授業でもあれば悠人も荷物を入れるために鞄は持ってくるが、それ以外ほとんど持ってくることはない。しかし彼女の分厚そうなそのかばんは、縁からいくつも白い本の様な紙束が見えた。

 またスカートから除く足がまぶしく太陽に照らされている。その様が少し気恥ずかしさを覚えるほどに。

 悠人は、その人を知っていた。

 その美貌から男子界隈では色々な噂の絶えない、学校で一番存在感を放っていた二年生だ。


「奥泉、先輩ですよね。」

「……なんだ、知っていたのかい。」


 まるで芝居がかった男性の様な口調で彼女は応える。視線は動かさず手を額にあてた。その所作が女優の様な貫禄すら見える。

 見えるはずのない彼女の威容に気圧される感じを受けたのか、表情が硬くなる。


「一応、自己紹介しておこう、奥泉涼音だよ。よろしく。後輩君。」

「あ、はい。……六人部悠人です。」


 知っているよ、と涼音は静かに言う。その答えが意外だったのだろう、悠人は目を白黒させて、涼音を見る。といっても、彼女は空を見上げたままで、こちらのことをあまり気にしてはいない様子だった。


「どこかで……会いましたか?」

「会話をするのは初めてだね。――なに、君のことはいつも昼になるとここから見ていたからね。一度も気づかれたことはないけれども。誰にも気づかれない良い場所なんだよここは。」

「……。」


 沈黙を返す。悠人は一度もこの出入り口の上を覗いたことはなかったし、人気のある先輩が一人でいつも昼にここに隠れていたというのも想像がつかなかった様子で、唖然としていた。

 しかし、気を取り直して小さく息を吐くと、涼音に問いかけた。


「あの。……先輩は、何してるんですか?」

「夜空をみているのさ。――そうだ、君も来たらいい。今、招待を送るよ。」


 そう涼音はいうと右手でポンポンと、コンクリートブロックの屋根を叩いた。


「え、あ。はい。」


 招待の意味を察して屋根へと登り、涼音の傍までやってくる。

 丁度日陰で少し薄暗い。しかし。太陽は煌々と明るい世界を創り出していたし、どこに夜空があるのだろうか。

 涼音のナビゲーターだろうか、キツネのデフォルメされたキャラクターが『招待』の看板を口にくわえてやってきた。

 一息吐く。

 その看板を叩くと、世界の色が切り替わった。

 視界が明度を落とし、太陽の光を遮るように黒く塗り固められていく。

 そして、いくつもの星の煌めきが、視界の端々に存在を増してきた。

 中には流れる星の姿まである。

 といっても、あくまでも昼間の上でのため、少し視線をずらせば明るさが残っている。昼間に夜空を見るという何とも不思議な現象を体験している事に悠人は、興奮した様子で視線を動かしていた。


「わたしのお気に入りのアプリでね。昼間なのに夜空を見られるのさ。」


 そういう彼女は儚げに笑っていた。

 しかし、悠人はその笑い方が少し気になった。しかし、それ以上に気になったことがあった。彼女のプライベートファイルがいくつか覗き見できる状態になっていたからだ。

 おそらくアプリを切り離してネットワークにつなげたわけではないということを察して、彼はどうするべきか悩んだ。


「先輩。――プライベートスペースが見えちゃってますんで分けた方がいいですよ。」

「おや。……あぁ、失敬。あまり他人を招待したことがなかったからね。――あぁ、これでいいね。」


 手早く設定を変えると、彼女は身を起した。


「君はなかなか紳士な人なんだね。」

「……いや、さすがに見ちゃまずいでしょう。」


 夜空を背景に涼音は愉快そうに笑った。

 煌めく星の輝きの中の笑顔は、一つの星の様な輝きを悠人にみせる。


「さすがに、見られて困るものは……ないと思うけど、あぁ、私はどちらかというと、さっき出ていった彼と同じようにアナログなところがあるからね。」

 そういって彼女は鞄を叩いた。


「本……ですか?」

 そうさ、と彼女は鞄から一冊の本を取り出した。今ではほとんど書籍を見る事はなくなっていた悠人だが、その本は知っている。『事象改変理論概要』と書かれたその本は、このウィンクの前提となった魔法を現実のものとした過程が記された本だ。


「書籍化されてたんですね。」

「むしろこっちが先だと思うんだけどね。あまり読む人もいない。図書室でも眠っていたものだから、ちょっと借りてみたはいいけれど、この本よりは、漱石の方がまだ楽しいね。」

「……ジャンルが違いすぎませんか?」


 たしかに、と涼音は頷いた。

 いくつかの言葉の端々から、悠人は、とんでもなくマイペースな人なんだな、と感じていた。それと同時に、なにか、悠人へ求める物がある様なそんな感じを受けた。そう、彼が中学三年の頃、茉理や未来たちに相談した様なそういった『間』が存在していた。

 それは先ほどの儚げな笑い方も相まって、確信めいたものになっていた。


「あの。」

「……なんだい?」


 最初に一言断りを入れて、悠人は一年上の先輩に尋ねた。


「違っていたら、……思い過ごしなんだと思うんですが。……。何か悩んでることがあるなら、相談に乗りますよ?」


 その言葉に涼音は目を丸くして悠人を見た。誰がその様なことを初対面の者に言うだろうか。

 しかし、涼音の視線は、そういった嫌味を含まず単純に驚きの色で塗られていた。


「君は、面白いね。」


 コホンと、一つわざとらしい咳をして、涼音は、悠人へ興味深そうに話しかけた。


「普通、私と話しをしようとする人は、……自分でいうのも、恥ずかしいが、羨望のまなざしか、口説こうとする者ばかりなんだが。……相談に乗ってくれると言われたのは初めてだ。よければ参考に、どうしてそう感じたのか教えてくれないかい?」


 それは純粋な問い。しかし、彼女の表情は面白い様に変わっていた。興味の色合いは瞳の色、眉の動き、唇の端に至るまでが楽し気に動く。

 悠人は、その言葉に重圧を感じ、身じろぐ様にして緊張をほぐす。


「あー……。いや~。見ず……いや、見たことはあるのか。ともかく、知らない後輩に、声をかけるっていうのも、珍しいなと思って。特に、奥泉先輩は話し相手には事欠かないとおもいますし。……何となく、誰かと話したいことがあるのかなって。僕が高校に行くか悩んだ時も友達とそういう感じになった事があったんで。」


 そうかい、と涼音は頷いた。


「素直な意見、ありがとう。そうか。私は悩んでいるのかな……。」

「あ、いや、別にそういうことでなければいいんですが……。」


 語尾が小さくなりながら悠人は、どうもペースがいまいちわからないという様子で、頭をかいた。


「悩み、とは少し違うかもしれないが、話し相手になってくれると、取っていいかな?」

「え、えぇ。」


 涼音は、居住まいを正して、アプリを停止させ、彼女は悠人に向き直る。

 明度が上がり、一瞬くらっと、めまいを感じて二、三度瞬きをした。悠人は視線を涼音に戻した。面と向かって見つめられるのが恥ずかしい様子で、視線を時折、涼音から外して所在なさげにしていた。


「恥ずかしい話ではあるので、他言しないでくれたまえ。」

「言うつもりはないですが……。あの、友人にとかじゃなくて、後輩の僕でいんですか? なんとなく場違いな気はしなくは……。」

「ふふっ、君から話を振っておいて、怖気づいてしまったのかい?」

「そういう、訳じゃないんですけど……。」

「友人、と呼べる者は一体どれだけいるんだろうか。……私はね、友人の作り方すらも曖昧なままなんだ。だから、君の申し出はとてもうれしく思えたんだ。」


 そう微笑みかける涼音の表情をみて、悠人は決心した。


「――なら、そのあたりも含めて、話し相手になりますよ。」


 その返事を聞いて涼音は頷いてから言葉を紡いだ。


「君にはまだ先の話、ではあるのだけれどね。進路を決めないと、いけない時期でもあるんだよ。

 ……ただ、何て言うのか、自分のやりたいことを『今決めろ、今後一生そうなるんだぞ』というようなプレッシャーかな。それがひしひしと感じていてね。

 別に、希望通りになるとは思っていないけれど、やれ、『この大学がいい』だとか、『君ならもっと上にいけるだろう』なんて言われてね。

 あぁ、気にすることはない。これでも私は『ノー』とはいえる性格をしているから、そんな言葉を気にすることはないのだけれどね。……ただそれが度を過ぎてくるとね。少し疲れてしまったのかな。」


 涼音は、小さくため息をつく。


「疲れちゃったんですか……。」

「そうさ。だからこそ昼や今の時間に、こうやって一人になっていたんじゃないか。いや、君のことを責めている訳ではないよ。

 そんな状況が続いていたところ、どうもクラスメイトから浮いているのは『まずい』、と勘違いをされている様でね……。さっきも言ったが、友達……という感覚がどうもわからないんだ。気を許せる間柄というのであれば、遠いし、しかし全く話をしない訳でもない。

 よく話しはする相手なのだがね。友達、と言っていいのか、正直自分では分からくてね。

 ただ、そんな相手から、不本意ながら、明日の七夕まつりに連れていかれることがきまってしまったのさ。悪いクラスメイトでもないのだが、中々上手く付き合えなくてね。

 その上で、『きっとすごい外装で来るんだろうね』との言葉をくれたのさ。……いやなに、悪気があってそういう言葉を出しているのではないのは分かっているさ。社交辞令的なものなのだろう。実際……そう思われる容姿……なんだろうな。」


 涼音は大きなため息をつくと、所在なさげに首に手をあてた。

 風の流れる音が聞こえる。湿気を含んだ空気は、彼女の気持ちを代弁しているように重さを持っていた。

 悠人には、少し卑屈すぎる気がして、どうしてもそれを確かめてみたいという衝動が生まれていた。


「あの、先輩。」

「なんだい?」

「鏡をみてどう思いますか?」

「……自分がいると思うが?」


 質問の真意を分かりかねるというように涼音は返した。怪訝そうに眉をひそめる。

 悠人は、思っていた答えと違い、少し考えて言葉を繋いだ。


「……美的感覚としては、どう見ていますか?」

「ずいぶんと率直に聞くのだな。自分の顔をどうこうと思っているか……か。難しい質問だね。……綺麗にしようと努力はしているさ。でもずっと見ている顔じゃないか。うまく化粧ができるタイプでもなくてね。誰かに似せるということもできないから、……強いて言うなら、自分の好みの顔ではないな、とは思うよ。」

「……。」


 少し考えるように、悠人はこめかみを抑えて眉を寄せた。


「あの、一般的な見方で言いますと……。先輩は、相当綺麗な部類だと思うんですが……。」

「整っている、という点では同意しよう。良く言われる事だからね。ただ、自分の好みではないんだよ。」

「――ちなみに差し支えなければ、好みというのは?」

「……君は漫画を見るかい?」

「ええ、最近のなら。」


 そうかといって、彼女はフォルダを探るようにして、プライベートデータから、一枚の画像を取り出して見せてきた。

 そこに映っているのは涼音の『綺麗』とは違う『かわいい』と言われる物だ。ツインテールにした長い髪にショッキングピンクだろうか、鮮やかなメッシュが入っている。フリルのふんだんに使われた赤を基調としたロリータ衣装に、色を合わせた様なパンプスが光る。

 悠人でも知っている日曜日の朝にやっている番組だ。その原作の絵なのだろうと悠人は思ったが、

 何と言葉にしていいか分からずに悠人は固まる。


「……。」

「『おはようアリス』という漫画に出てくる敵役のリリエちゃんだ。」


 その視線は真剣で、有無を言わせない。

 ふとみると、鞄にもそのキーホルダーが付いている事に気が付く。


 …あぁ、本物だ。…


「……、すいません。思っていたのとだいぶ違いました。ちょっとくらい近づけるかとも思ったんですけど、全然方向性が違います……。」

「なに、私の容姿についてどうこうというのは、……愚痴の一つでしかない。私がこのような恰好をするのは……さすがに合わないというのも良く分かっているしね。」


 落胆した様子で彼女はため息をついた。

「そんな中で、過度の期待をされてしまうわけだが……。どうしたらいい? と聞くのも変かな。」

 涼音はそういうと画像を回収してフォルダにしまった。


…先輩の美しさは、クールさに近いものだし。視線の鋭さといっても、その時の流し目はおそらく男性を虜にする破壊力があるのは間違いない。そこに、ロリータファッションって……。いや、個人を否定してはいけない……それは僕がされたのと同じことじゃないか。…


 整った顔立ちになじむような薄い化粧。透き通るように見えるのはかなりの努力の成果なのだろうか。その相手にどう応えるべきか、悠人は必至に考えた。

 そして自分のできることをしようと思い至って、言葉を選んだ。


「僕は、そんな風に思われたことないんで……、同じ気持ちは分からないですが。先輩の答えになるか分からないですけど、……そのクラスメイトの期待に応えられる物なら、もってるかもしれないですよ。」

「――そうか、君は外装を扱っていたね。」

「先輩がいつも見ている通りです。いくつかあるんで、選んでもらってもいいですけど。」

「ただ、……正直、見てもらったとおり好みが偏っていてね。うまく選ぶ自信がないのだが……。」


 少ししょげた様子で眉を下げ悲し気な表情で、涼音は悠人を見つめた。

 それは図らずしも、上目遣いになった。身長の低い悠人が体験したことの無い、女性の甘えに近いそのポーズは、悠人の心拍数を一段階上げた様で、声が裏返る。


「そ、そうですね。だったら当日どういった服を着る予定なんですか?」

「一応……浴衣で行こうかなとは思っていたけれど。」

「珍しい! なら、より合わせができれば文句はないと思いますから。どんなのを着る予定なのかおしえていただければ、それに合わせますけど?」

「そうかい?」


 そういうと、涼音は再びフォルダから画像を探して悠人に渡してきた。

 桔梗色を基調とした麻の葉模様の浴衣で、真朱まそおの糸で蝶が二羽表と裏に舞っている様に配置されていた。それを着ているのは涼音で、過去の写真だということが窺えた。


「青系の浴衣ですか……。」


 そう悠人はつぶやくと、自分の持っている浴衣データの中からいくつかをピックアップする。どれもナビゲーター用に作っている物で、色がきつめな印象を受けた。


 五分ほど唸りながら真剣に選んだ後、二つの物を選び、涼音に見せた。


「――この二つはどうでしょうかね。どっちか……ならデータ渡してもいいんですが……。」

「これは、見事なものだね。」


 一つは藍色を基調とした、矢絣やがすり模様。金糸の様に見える光り輝く刺繍は、二匹の鶴の意匠を足元に届くように作られている。


 もう一つは、月白色を基調とした、雪輪模様。あえて淡くしたのだろうか、銀糸の様に見える鈍色に輝く刺繍は二匹の蝶を施されていた。


「個人的には……、元が濃いので、二番目がいいかなぁと。刺繍が蝶でかぶってしまうんですが……、混視的にはいいかなぁと。自作なんで大したものじゃないですけど……。」

「――自作なのかい? すごいじゃないか!」


 素直に驚く涼音の反応に、悠人は照れくさそうに視線を外して、頭をかいた。


「君は、……デザイナーか何かなのかい? 普通は外装をそう作ったりはしないだろう?」

「あ、いや、そういうのではなくて……。」


 答えを聞こうと涼音はずいっと身を乗り出してくる。その様子に気圧されて、観念した様子で、悠人はナビゲーターをネットワーク上に侵入させる準備をする。

 右手でナビゲーターの頭を撫でてから、コマンドで衣装を変更。

 彼のナビゲーター『アプリコット』は、今提示した一つ目の浴衣に姿を変え、慌てた様子で共通エリアにやってきた。


「おや、アプリコットじゃないか。――なるほど、この子の為につくっていたのかい?」

「……、そのとおりです。」

「恥ずかしがる事じゃないじゃないか。」


 涼音の言葉は理解できても、心から安堵はできないのか、悠人は視線を彷徨わせた。また、体を少し揺らしながら、なんともいえない気恥ずかしさを感じて、言葉が出せない様子だった。


「気にしないでいいと思うのだが。……これ以上何を言っても君は恥ずかしがるだけなのだろうから、ここまでにしよう。――しかし、この外装をというと合わせはお願いしてもいいのかな?」

「は、はい。あー……。でもどうしましょうか。浴衣に完全に合わせるのなら、その浴衣のデータとか持ってると……。」

「さすがに持っていないな。なに、多少合わなくてもいいとは思う。君が良くやっている様に調整してくれればあとは着方で調整できるだろう。」

「そう、ですか。」


 なんとなく、本気で調整したい気持ちが沸いていた悠人に、優しく涼音は言葉をかけた後、すっと立ち上がる。

 その動作に合わせて悠人も立ち上がると、いつもの様に作業領域を作成し始めた。


「そうだ、これの代金はどうしたらいい? 正直、今、私は持ち合わせがないのだが。あぁ、後日でいいのななら……さすがに後輩にたかるというのもな……。」


 複雑そうな表情で涼音はうーんと腕を組んで悩んだ。


「いつもは一枚でやってますけど……正直、このデータ売る気はなかったんですよねぇ……。どうしようかなぁ。」


 意外そうな顔で涼音は、悠人を見た。


「そんな大事なものだったら、別に……。」

「あぁ、でも先輩ならいいですよ。似合う人がいるなら、その人に着てもらっても。」

「……君は、そんな風に口説くのかい?」


 まさか、と悠人は笑い、頭を掻いて続ける。


「ナビゲーター用に作ってるものって、案外人に当てはめると雑だったり、逆に浮きすぎたりするんですよね。色合い的にきつくなったりもするんで。

 でも、先輩ならそれを着こなせそうなんで。それは個人的な誉め言葉だと思ってもらえれば……。っていうのも変ですかね。」

「ふむ。……。だが、料金は決めていないのだろう?」


 うーん、と腕を組んで悩む悠人。

 ふと、悠人は思い至る事があった。未来には逃げられてしまったが、どうしても手に入れたい物があったからだ。その上、今目の前にいるのが、硬式テニス部に所属している運動神経のいい先輩だという事実を持って、これだという考えに至って言葉をかける。


「あ、そうだ。先輩。」

「なんだい?」

「土曜日の夜、少し時間空いてます?」

「時間によるが……。」


 怪訝そうに見つめる涼音の視線。刺されるような視線は、彼が何を要求しようとしているのか値踏みをしている様だった。

 しかしその懸念は次の言葉で打ち消される。


「ヴィグリーズ。」

「……? アプリのかい?」

「先輩やってます?」


 クラスメイトに付き合わされているからねと、苦笑いする。


「それ、土曜日に総合運動公園でイベントあるんですけど……。手伝ってくれません? 十八時から一時間くらい運動するという事で、代金なしというのはどうでしょう……。」

「肉体労働ということかい。」


 はい、と悠人はにんまりと笑う。それはあまりも無邪気な笑顔だった。

 ヴィグリーズ。

 拡張現実用のゲームアプリケーションで、三十センチ程の棒状の専用のコントローラーをもって戦う事ができる体感型ゲームだ。

 北欧神話をモデルにしたゲームは、プレイヤーは来るべきラグナロクに備えるために、エインヘリヤルとなって己の力を磨いていくというのが趣旨だった。

 対人でランキングを上げていくことも可能であり、拡張現実でのチャンバラができるとあって、子供達には相当浸透していた。

 尤も、それらは、事象改変をよりリアルに体感できるようにと開発されたもので、身体能力を向上させる改変事項については制限が設けられていないほどだった。

 そのため、子供の頃からフロイダの扱いと、拡張現実世界に慣れる良い教材だった。


「いやー、未来にも逃げられて正直一人だと達成報酬もらえないと思ってたんですよ。」

「なるほど。……そうだな、それでいいなら構わない。といっても、私はあまりその手のゲームをやり込んでいないから、難しいかもしれないぞ。」

「大丈夫ですって、数をこなす感じなんですよ。……ただ一人だとどうしても時間内で倒せるの限られちゃって。」

「ふむ……。では、詳細は後にメールで送ってくれると助かるな。」

 はい、と悠人は応えると、調整を行うためのボックスを配置した。

 しかし、彼の頭の中はもう土曜日の事で一杯の様子だった。この後の作業で上機嫌で『必要以上』の調整を行った結果、波乱を呼び起こす事になるのだが。

稚拙な文章ですが読んでいただきありがとうございます。

続きは翌週くらいにはできればと思っています。

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