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異国の風5

 鼻を押さえた男がゆらりと立ち上がり、

「……そなた、長崎屋の用心棒か。そこをどけ」

 と、はっきりと英次郎に殺意を叩きつけてくる。それで怯む英次郎ではない。

「そちらこそ、長崎屋に何の用か。見たところ、薬種問屋に用があるとは思えぬが」

「薬に用はない。我々はそこの二階に滞在している異人に用があるのだ」

「どのような用だ。申してみよ」

 浪士が、じろりと英次郎を睨みつけた。が、すぐに目線をそらした。英次郎はまだ抜いておらず、わずかに腰を落としてそこに立っているだけであるが、まったく隙がない。

「……せぬ」

「なんと申した」

「どうして江戸に異人がおるのだ。それが許せぬ。役人とこそこそ密談して何をするつもりだ。異人は直ちに国へ帰れ。我が国に異人は要らぬのだ。帰らぬのなら排除するのみ」

 攘夷論者か、と太一郎が呟いた。

「じ、じょ……」

「攘夷じゃ、英次郎」

 英次郎はその言葉の意味はよくわからなかったが意味を太一郎に聞いている暇はなかった。いつの間にか次の浪士が姿を現して抜刀していたのだ。そのまま英次郎を牽制するかのように間合いぎりぎりの位置に立つ。

「しまった。気を散らしてしまった」

 苦笑いを浮かべながらもようやく抜き合わせた英次郎の目の前で、最初の男が声を張り上げた。

「皆の者、聞け! 我が藩の藩士が過日、異人と乱闘になり短筒にて右腕を負傷いたした。三日三晩苦しみ抜いた挙句、仔細わからぬまま同胞は詰め腹を切らされた。されど謝罪すらせず行方を晦ませし異人、許し難し。然るに我らは脱藩し、無念のうちに死んだ同胞の仇を討たんと起ち上った」

「なに? この宿に泊まっている阿蘭陀人が、そのような乱暴狼藉を働いたのか?」

 英次郎の問いに、太一郎が物凄い勢いで首を横に振った。

「その話はわしも小耳にはさんでおる。ピストルを撃ったのはクルチウスたちではないぞ。露西亜か、英吉利か、仏蘭西か……いやいや、迂闊なことは言えぬが、ここにいる阿蘭陀人ではない!」

 その言葉を正確に理解できたものは、長崎屋にいた人物だけだろう。襲撃者も英次郎も、いつの間にか集まっていた見物人も首を傾げた。

「親分、異国とはそのように多くの国があるのか。いや、我らの知らぬうちにそのように多くの国が、既に我が国に上陸しておるのか……なんということ……」

 愕然としたように英次郎が呟いたが、太一郎は慌てて英次郎の後ろに隠れた。鬼の形相をした浪士が一人、突っ込んできていたのだ。

「英次郎、何を呆けておるのだ! きたぞ、しっかり致せ!」

「お、おお……相済まぬ」

 はっと我に返った英次郎は、迫りくる白刃を難なくかわし、すれ違いざまに浪士の首筋を峰で打った。

「ぐうっ……」

 だらりと浪士の腕が垂れ、刀が地面に転がった。それを見た仲間が一斉に襲い掛かってくる。それを丁寧に倒していた英次郎が、慌てたように太一郎を呼んだ。

「しまった、親分。あちらの物陰に潜んでいた二人ほどが、長崎屋へ突っ込んだぞ」

「なにっ、フリシウス、襲撃じゃ! ライターに剣を取るよう伝えよ! 商館長を守れ! フリシウス、聞いておるか!」

 二階の窓ががらりと開いて、異人が三人、顔を出した。一人は片手を挙げて太一郎に応え、もう一人は細身の剣を手にしている。異人の姿を見た見物人が、どよめいた。

 それでも太一郎は安心できないのだろう、大きな体を揺すって長崎屋へと走る。その背に、英次郎が続く。

「英次郎、中へ入ったのは憂士組じゃ、急げ!」

 小さく頷いた英次郎は、太一郎を追い越して颯爽と長崎屋の二階へと飛び込んだ。

「英次郎、頼んだぞ」

「承知」


 二階へ足を踏み入れた英次郎は、一瞬、面喰って足を止めた。

 まず、天井が高い。窓には硝子が嵌っている。そして、畳が敷いてあるべき場所には、なにやら緋色の敷物が敷かれている。室内の調度品は、見たことのないものばかりである。

「これが、異国……」

 調度品も、文机や座布団ではなく脚の長い卓や腰かけがある。卓の上には色のついた瓶がいくつか並んでいて、その傍には無色透明の不思議な器がある。甘酸っぱい芳香は、その瓶から漂っているのだろう。

 そして部屋の奥では三人の狼藉者と武家が睨みあっている。

 その武家が背後にかばっているのは、三人の洋装の男性だ。いずれも背が高く、鼻が高い。瞳の色も違うのだろうがよく見えない。

 だが、英次郎は焦った。英次郎が見る限り、狼藉者の方が強い。おそらく、クルチウスたちを守ろうとしている武家は、刀を抜くのもはじめてに違いない。すっかり腰が引けて、刀が重たそうですらある。

 そして、襲撃者の一人が踏み込んでくるのと、英次郎が戦闘に割って入るのと、細身の剣を抜いた洋装の男――彼がライターだ――が前に出るのがすべて同時だった。

「引け! その方ら、何奴か! 何の謂れがあって襲撃するのかっ!」

 びんびんと腹に響く、英次郎の見事な大音声(だいおんじょう)である。それを聞いたライターは薄く笑みを浮かべてすっと後退し、英次郎に空間を譲った。

「その方、見たところ相当の遣い手。名は」

 狼藉者の一人が低く唸る。

「それがし、御先一刀流免許皆伝・佐々木英次郎と申す。太一郎親分に頼まれて、クルチウス商館長らを守りに来た」

 朗々とした英次郎の言葉を素早くフリシウスが通訳し、周囲の武家たちが明らかに安堵の色を見せた。が、それとは逆に、憂士組の面々の殺気が膨れ上がった。

「我々は国の行く末を憂う志士である。越後屋!」

 名指しされた商人が、びくりと体を震わせた。

「この国を乗っ取りに来た異人相手に商売するとは怪しからぬ。越後屋の荷はすべて我々が差し押さえる。それから、異人どもの持ち込んだ怪しげなる品物は直ちに差し出せ。我らがすべて焼き払ってくれる!」

「何を勝手な理屈をこねておるのだ。その方ら、どうせ越後屋どのの荷も、商館長らの荷もすべて闇から闇へ転売するのであろう。その程度の事が見抜けぬ英次郎と思うたか、たわけっ!」

 勘弁ならぬ、と一人が叫んで三人が一斉に襲い掛かってきた。いつもこの三人で戦っているのだろう、間合いの取り方や互いの癖を把握しているのがわかる。

 その連携を丁寧に断ち切りながら、最も腕がたつ男の腕を切り落とし、残りの二人は足と手首を切った。これで彼らは、二度と刀を振るうことはできないだろう。

 呻く襲撃者たちを横目で見ながら、英次郎は刀に懐紙で拭いをかけ、丁寧に鞘に納めた。


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