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道場破り2

 が……。不穏な気配が漂った。


「あっ、親分!」

「んあ?」

「また『お絹かすていら』を一人で食いましたね? とても甘い良い匂いが……」

「なんのことかな」

「しらを切っても駄目でぃ! ほーら懐にも隠し持ってらぁ!」

「……幸太、見逃せ」

「おれが兄ぃに叱られるってもんだ」

「ししししし知らぬ!」

「隠してもだめです。さ、持っている『かすていら』を出してください。さ、はやく!」

 英次郎は、思わず笑ってしまった。

 幸太と呼ばれた少年、果敢にもやくざの親分に物言いをつけている。だが、少年が言い終る前に、親分が「断る」ときっぱり言う。

 出せ、嫌だ、出せ、嫌だ、と押し問答が続いた後、親分の悲痛な声が響いた。

「ああっ、幸太が食った!」

「あーおいしい!」

「あああああ……なんという……」

 まるでこの世の終わりのような嘆きっぷりである。訪問者は扉の前で「ああ」と頭を抱えた。

 親分がどんな顔をしているか、どれほど落胆しているかが容易に想像できる。

「幸太ぁ……」

「親分、もっと喰いたい」

「あ、あるわけなかろう!」

 訪問者は、慌ててこう言った。

「親分、母上が出がけに持たせてくれた、できたてを持参しておる! 存分に食え! ほら、ここにあるぞ!」

「なんと!」

 親分の声が弾んだ。まるで童子のようである。

「幸太、すぐに大戸を開けよ」

「え、でも……怪しげなお人ですぜ」

「案ずるな、佐々木英次郎じゃ。そなたも存じておろう? お絹さまの息子じゃ」

 親分の声が一気に明るくなった。

 だが、幸太は疑い深い性分らしい。戸の隙間からこちらを伺っている。くりくりとした大きな目が英次郎をじろじろと見る。

「……親分、大きな籠を背負って頬かむりまでしてどう見ても怪しい男ですぜ? 武家が駕籠を背負う理由がありませんや」

「そなた、知らぬわけではあるまい。御家人の次男坊が大きな籠を背負っているのは、そこには大事な荷があるからじゃ。この暑さゆえ、頬かむりの一つや二つせねば、割下水から歩いてこれぬわ」

 げええ、と少年が心底驚いた声をあげた。

「おいお侍、この暑い中をずっと歩いて来たのか?」

「ああ、内職の品を納めた帰りだ」

「内職? ってことは、あれか、本所界隈の貧乏御家人か! ははん、小普請入りしたのはいつのことだい? 長の貧乏が染みついてすっかり落ちぶれたって感じじゃねぇところをみると、あれかい、至極まっとうな次男坊か」

 ばこっ、と鈍い音がした。

「いてぇ、親分!」

 幸太が頭を抱えて蹲ったのが、戸の隙間から見えた。

「無礼者が! ったく。御家人佐々木家を支えている、健気な次男坊じゃぞ。そなた、厨房へ行って喜一の手伝いでもしておれ」

「あいよ!」

 ついに親分が自ら戸を開いて、訪問者を招き入れた。

「英次郎、無礼な若造で相済まぬ」

 英次郎は、けらけらと笑っていた。

「なんの。親分、今日はちと頼みがあって参ったのじゃ」

「なんじゃ?」

 頬かむりをとった青年は日焼けした顔をほころばせた。整った精悍な顔がそこにある。きちんと身だしなみを調えれば相当な美男であると思われた。

「ちと、道場破り……というか、喧嘩の必勝法を教えて欲しい」

 太一郎は、眼を瞬かせた。目の前の、年若い友人の口から出たとは信じがたい単語である。

「道場破りに喧嘩の必勝法……と、申したか?」

「頼む。虫の良すぎる話とは思うが、とにかく手っ取り早く勝ちたいのだ」

「そなたの口からかように物騒な言葉が飛び出すとはな」

 頼む、と、英次郎は繰り返した。


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