甘味の鬼7
それから数日後。
佐々木家の縁側に甘い匂いが漂っていた。
何のことはない、お絹と喜一、ふたりがせっせと甘味を作り、佐々木家の庭に並べている。喜一が饅頭や餅などを受け持ち、お絹が南蛮菓子である。
こうしてあらゆる種類の甘味を作って鬼を呼び寄せてここで捕えようという、至極単純な試みだ。
庭と言っても、実際は畑である。
収穫を終えたばかりの畑を、鶏たちが元気よく歩いている。今日も太一郎お手製の餌を貰ってご機嫌なのである。
ちなみに昨今の御家人屋敷、大名屋敷の敷地内に畑があるのは少しも珍しくない。家計が苦しくない武家の方が、珍しいだろう。
その畑の真ん中に、腰の高さほどもある丸い卓が二つ置かれた。クルチウスに借りた、異国の調度品だ。
しかも、クルチウス商館長の部下、通詞でもあり書記であるフリシウスも一緒にきたため、英次郎の母・お絹が大喜びした。お土産に「お絹かすていら」を持たせてもらい、フリシウスは大喜びで長崎屋へと戻っていった。
「母上とフリシウス殿のように、我が国と異国と分け隔てなく仲良く出来たらよいな。どちらにも、良いところ、見習うべきところはあろうから」
と、英次郎が太一郎に言った。
「幕閣のお偉方や、攘夷一辺倒の浪人どもに聞かせてやりたいな……」
とは太一郎の嘆きである。
そして、庭に置かれたテーブルの上にはさまざまな種類の甘味が所狭しと並んでいる。
卓の傍に陣取り、丸い鼻をひくつかせているのは言うまでもなく太一郎で、せっせと甘味を運んでくるのは英次郎、台所で甘味を作っているのはお絹と喜一だ。
「親分、塩饅頭の試食は五個までと喜一さんが申しておるぞ!」
「わ、わかっておる」
ひい、ふう、み……と英次郎が皿の上の饅頭を数える。
「おかしい。数が足らぬ」
「き、気のせいじゃ! わしは七つも喰っておらぬ」
「いいや、喰った」
「喰っておらぬ!」
「喰った! その証拠に、口元に餡がついている」
「これは一個目に食ったときについたものやもしれぬ。わしが食った証ではあるが、七個目の証にはならぬ」
「た、たしかに……」
喰った喰わぬと言い争いをしているところへ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「なんですか、疾うに元服を終えた殿方が幼子のような言い争いをして、笑われますよ」
ころころと笑いながら庭に下りてきたのは、お絹だ。その手には尋常ではない大きさの皿と、小ぶりな鉢がある。
「お絹さま! 転んでは危ないゆえ、力仕事はそれがしをお使いくだされ……」
太一郎が俊敏に動いて、お絹の傍へすっとんでいく。
「まあ親分、有難く。それではこのお皿を置いてくださいな」
恭しく大皿を受け取った太一郎が、そろり、そろりと、大皿を卓の真ん中に置いた。
「くはぁ……出来立てほやほやじゃ……。お絹かすていら……たまらぬ……」
「親分、よだれを拭け。みっともない……」
「かたじけない」
小鉢の中には、南蛮菓子のぼうろが入っている。平たく丸いそれを、英次郎が親分の手に乗せる。
「さ、親分、こちらを食べて待っていてくださいな」
「さきほど、親分が母上と一緒に棒で伸ばした生地が、焼けたのだな」
幼子のように口に含んだ太一郎の頬が、蕩けた。
「うまい……うまいぞ!」
英次郎が差し出す懐紙で口元を拭った親分だが、すぐに叫んだ。
「お絹さま、危ない! その場に伏せて下され!」
親分がお絹の元へ走る。英次郎はそちらを見ることもなく、空の一点をじっと見詰めている。
太一郎がお絹を巨体で護ったのと同時に空から落ちてきた赤い塊。
英次郎はそれを迎え撃ち、瞬時に地面に縫い留めた。
どうやったのかなど、英次郎本人以外にわかろうはずがない。
鬼は、黄色に黒い横線が入った半袴を地面に縫い留められ、暴れていた。
「ええい、静かにいたせ! 親分、母上! 捕えたぞ、本当に鬼だ!」
「お手柄じゃ、英次郎!」
嬉々とした太一郎が、小躍りで近寄ってくる。
「親分、こやつは化け物ゆえ」
慎重に、と英次郎が言い終らないうちに太一郎は、拳を握りしめて鬼の頭に拳骨を落としていた。
それはそれは見事な拳骨で、おもわず英次郎が首を竦めたほどだ。
「こらっ! そなたの足、見覚えがある。人の甘味を奪うとは許し難き所業! 何故そのような真似をした! そなたは何者ぞっ! 甘味はどうした! 返せ!」
ぎょろり、と目玉を動かした鬼は、あっかんべー、と舌を出した。
「かっ、可愛くない!」
と太一郎が目を剥く。




