とある冒険者と、彼の見たもの1
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それは突然の出来事だった。群れから飛びかかってきた一匹の獣が、しかしこの身を食らう寸前で弾かれるように吹き飛んでいったのは。
自分は何もしていない。護身用の剣は荷と共に届かぬ所へ放られているし、マジックアイテムも持ち合わせはなく、ただ震えて身を縮こめていただけなのになぜだろう。唖然とするより他にない。
そのうちにどさり、どさりと倒れるような音が無数に響いて────はたと気づくと、周囲を取り囲んでいた20はいようかという狼はすべて地に伏していているようだった。
まさか死んだのか?散らばる思考を集め必死に考えてもその理由がわからない。状況を確認しようにも闇は深く、手持ちのランタンでは十メートルも照らすことは出来なかったが、狼はどれも驚愕の色を浮かべて事切れていた。
「な、なんだ…?いったいなにが…?」
「命拾いしたね、お前」
みんな殺したよ。いつの間にか横に立っていた少女は、無表情にそう告げた。
とあるEランク冒険者────エイドニーはここ数か月、金銭難に喘いでいた。それは故郷の農村に暮らす父の薬のためであって後悔はしていない。ダラムという町でギルドの雑用係として働き、空いた時間に自ら冒険者として駆け回るようになったのは半年ほど前からだ。
そうやって必死に金を稼いだけれど薬は高く、どうしても手が届かなかった。それを見かねたギルドマスターから金を借りることが出来たが、もともと生活を切り詰めた上で買えなかった薬である。毎月必要なそれに返す余裕が生まれるはずもなく、幾度も借金を重ねてとうとう今月は断られた。
しかし故郷の父にはまだ薬が必要で、そして勿論その金はない。借りるあてだってない。どうしよう、どうすればと悩み焦っていた時に舞い込んだ依頼がこれだった。
【緊急!支援物資の配達依頼】
推奨ランク:E
報酬:ルーヴァ銀貨50枚
内容:魔物に襲われ被害を受けた村への救援物資の追加配達。村を襲った魔物は既に討伐済み。
ルーヴァ銀貨50枚。エイドニーはその報酬を見た瞬間ほぼ反射的に引っ剥がして急いで受付に提出する。同僚の彼女は驚いたようだったが、それを気にする余裕はなかった。
目的の村はこの町からほど近い。片道一日もかからない距離だから、急げば十分にこの休みのうちに帰ってこられる。
(それに!報酬は山分けしたってかなりの額だ)
少しでも早く届けてもらうためだろう、Eランクの依頼としてはめったにない金額設定であった。内容だってこの上なくシンプルだ。この依頼をこなせば向こう三か月は何とか薬を用意することが出来る、とエイドニーはとひとまず胸をなでおろす。
それからすぐにパーティも見つかり、神様っているんだなあ、なんて目の前が開けたような気持でダラムを出て─────そうして話は冒頭に戻る。
「き、君は…!?君がこれをやったのか!?」
「ああ」
「ああって…こんな、一瞬だぞ?一瞬で、狼の群れをやっつけたって…?」
「ワーグだよ。まあ、少し手間取った」
「わ、ワーグ!?手間取った!?」
「…いちいちうるさいな…」
生き伸びた。それだけ分かれば十分だろうと僅かに眉間にしわを寄せて零す少女を見て、慌てて口を閉じる。魔法か、それとも何かの武器か。その方法はさっぱりだが瞬きほどの間に魔物の群れを壊滅させる実力がある相手を怒らせるのはまずいのは、いくら田舎者の自分にだって理解できる。助かった命を父のため、自分のためにも粗末になんてしたくない。
(それにしたって、すごく綺麗な子だなあ…)
危機が去って多少なりとも緊張が解けると、途端彼女の美しさがエイドニーの意識に上る。
焚き火より鮮やかな紅い髪。近くを流れる小川のような透明さをた湛えた肌。緩やかに伏し目がちなその瞳は、しかし朝露をまとう萌芽のような輝きを隠せない。耳が尖っているということは噂に聞くエルフとかいう亜人なのだろうか?そう考えると人を好まないような、苛烈で無遠慮なこの言動も強さも頷ける。
「と、とにかく、助かった…いえ、助かりました。俺は戦いにはそう向かず…あのままではきっと、ろくな抵抗も出来ず死んでいたでしょう」
「そうだね」
「本当にありがとうございます。仕事の最中で、その上持ち合わせもほとんどなくて。お礼に何かお渡しできればと思うんですが…」
「金や物は期待していない。──それよりも」
そこらに転がってるの、お前の連れじゃないのか?
視線の先と、その言葉を理解した瞬間。エイドニーは本日何度目かの叫び声をあげることになった。