その日暮れに
森に、母親たちに別れを告げてはや数刻。当初の予定より大幅に出立が遅れていたためにもうすっかり日も暮れた。
見渡す限り平野が続くが、目的の村はそう遠くはないはずだ。このあたりで野宿をするかとも思ったけれど昼寝が長すぎたせいか少しも眠気を感じない。いっそ村まで歩ききってしまおうかと考え直す。
(それにしても暗いな。ランタンの明かりでは足りないか)
夜目もそれなりに利くし、歩けないということはない。だが知らない土地では何があるかわからないと念のため、ひとつささやかな魔法を使うことにした。
「蛍灯。…これでよし、と」
途端、淡い光の粒子が自身を取り囲むように宙を舞う。ふわり、ふわりと漂うそれはよく見れば蛍を模してあり、幼いころはこれを捕まえようと使うたびに躍起になったものだったと思い出す。捕まえられずしょげた私を抱き上げて、月の明かりをこっそりと分けてくれた母の一人を思い出せば懐かしくなり、来た道を振り返る。
既に故郷の森は遠く目視できないが、それでもなにか心安らぐような心地につと目元を細める。
届かぬほど高く、瞬く星々が美しい。
彼女たちはどうしているだろう?いつものように月光浴か、それとも泉の魚と語らっているか。もしかすると時折訪れる楽師が来ていて、彼の演奏に耳を傾けているかも。
そんなことを考えていた時。
「やめろ!やめてくれぇ…っ」
ガシャン!と大きな音とともに離れた場所から悲鳴が聞こえた。それから無数の唸り声。敵意をむき出しにしたそれらは向かう道の先から聞こえ、どうも悲鳴の主を取り囲んでいるようだった。
(これは…魔狼か?僅かながら魔力があるな)
意識を集中させて魔力の流れを感知する。多数確認できる錆色の揺らぎに対し、囲まれている方からは一切色も形も確認できないとくればまず人間かドワーフだろう──と、そこまで視て気がついた。ワーグのものであろう鈍色の他に、所々で点滅を繰り返す小さな揺らぎが三つほど確認できる。魔力を持っている。となればこちらはまず人間で間違いないだろう。
「ひ、だれかっ…だれか、たすけて…!」
声を上げている人間は武器も持っていないのか、一方的に襲われているばかり。このまま放っておけば仲間もろとも死ぬだろうが、夜道を歩くならそれも予測できたろう。
顔も知らぬ他人だ、助けてやる義理はない。まったくもって自己責任だと踵を返しかけたとき。
「ああ、ダラムの救援物資が…!」
ひと際大きな破壊音と共に聞こえた言葉に動きを止めた。
(ダラムの物資といったか?…なら、助けるのも手か)
あの人間を助ける。そう即座に切り替えた思考で最も効率的な戦法をはじき出し、行動を開始する。
魔狼の群れが全滅するまで、僅か十秒間の出来事であった。