別れ
朝も早い時間から今日の森は騒がしかった。通年花が咲き誇り、若々しいみどりで覆われたこの森の気候はいつだって湖面と変わらぬ平穏を湛えている。
しかし今日はどうだ。朝に鳴く鳥の声に目を覚ましたが彼は昼になっても鳴き続け、湖へ顔を洗いに行けば魚たちが代わる代わる顔を出し。ひとたび歩き出せば木々はあおあおとした葉をこれ見よがしに目前に落としてきて。森のどこへ行っても何をしても、まったく落ち着いてはいられない有様だった。
しかしそれを想定していなかったわけでもなかった。この生まれ育った森がこうも賑やかな原因というのは他でもない、自分なのだから。
(いや、それは違うか)
思いかけたが即座に否定する。どちらかといえば自分は矛先というだけであって、騒ぎを引き起こしているのは。
「ねえ、あなた。いとしい子」
「わたしたちの愛する子」
「お出かけはやめて、おやつにしましょうよ」
「東に根付いたあの子がわけてくれた蜜があるの」
「そんなつめたい、かたい服は脱いだらどう?」
「大きな手提げもおろしてしまうといいわ」
そう、森の精霊である彼女たちに他ならない。誰もいなかったはずの木陰から顔を出した一人に続いてもう一人、また一人と増えていき、瞬く間にこちらを囲んだかと思うと一貫しないようでいて同じ提案を投げかけてくるけれど。
「そうはいかないよ。今日は本当に、私はこの森を出るんだから」
荷物を、ケープを預かろうとするその手を注意して払いのけると皆一様に瞼を伏せ、その肩を落とした。
私──ベルはこの森で育った。この森に、彼女たちニンフという存在に育まれ今年で15年。育った環境かはたまた血筋なのか、未だ彼女たちの腰程度の背丈しかないとはいえもう十分に独り立ちできる年齢になった。魔法に剣に、学問、自然。それから精霊、確かに存在するという神々やその末席について。どこから取り揃えてくるのかそれとも勝手に湧き出るのか、いつだって知りたい書物のおさめられたその学び舎で受けた教えを確かに身に着けた今、ここで心安らうだけの生活に浸っているつもりはなかった。
いつまでも君たちの庇護のもとでしか生きていかれないような男ではいられない、世界を知る旅に出たいのだと伝えたときは「りっぱになったのね」「素敵なことね」等々嬉しそうに背中を押してくれたというのに、いざ出立の日取りを伝えると渋りだす彼女たちに、しかし我ながら根気よく対話を繰り返してようやく迎えたこの日である。逃せばまた暫くは予定が伸びてしまうと確信しているので、少しばかり気が咎めるがさっさと別れの挨拶も済ませてしまうことにする。
「じゃあ…そろそろ行くよ。すぐとはいかないだろうけど、連絡するしまた帰るから」
「いつごろれんらくをくれるのかしら」
「つぎの満月には間に合う?」
「…シロヤツメの咲くころには帰るんでしょう」
いつも一番に咲いてくれるあの子がさみしがるわ。そう続ける彼女の手のひらを握り返して、そっと離す。周りを見渡せば皆涙ぐんではいるが、どこか晴れやかな表情に見えるのは自分の都合のいい思い込みだろうか。
「今までありがとう、母さん。育ててくれて感謝してる」