とある王子の秘密
◇◇1◇◇
友人の話題に猥談が増えてきた。
涼しい顔をして聞き流しているけれど、本当はものすごく興味がある。
自分は王子であるからと律してきたけれど、それも限界だ。
唯一の拠り所は、ひとつ年下の親友も私と同じで猥談に乗らず、自分を律していることだ。
そう思っていたのに。
「なんだって?」
思わず聞き返した私の眉間にはきっとシワが寄っていただろう。
仲間だと思っていた親友は、律したことはないとのたまった。
「聞いてない!」と抗議をすれば
「相手方のあることを吹聴などしない」と返された。
……確かにそうだ。
親友はなかなかの美男。更に両親祖父母が数年前に一度に事故死してしまったせいで、若くして公爵の位をついだ。結婚相手としてかなりの優良物件であるから、当然大モテ。
それなりにこっそりデートをしているようだけど、口が固くて詳細を聞かせてくれたことはない。それが最低限のマナーらしい。
つまりはその最低限のマナーが、この件にも適用されていたわけだ。
「ずるい」
思わず呟くと親友は肩をすくめた。
「お前は立場が微妙なんだから、諦めろ。下手に動いたらハニートラップに引っ掛かるぞ」
そんなことは百も承知だ。私の父は国王。母は側室。だが母が二人目の子供、つまりは私の妹を宿した頃に、父からの愛は消えた。
正室である王妃の父は宰相で彼は完全に政治を牛耳っており、父の贔屓が途絶えた母なんて存在していないも同然の扱いだ。
だが。宰相が唯一思い通りに行かなかったのが、王妃の子供だ。彼女は男児をひとりと女児を二人産んだのだが、女児二人は幼くして病死。男児は無事成人してはいるが体が弱い。
王には母の他にも側室や妾がいるけれど、彼女たちとの間でも子供にはあまり恵まれず、現在は幼い王女が二人いるだけだ。
だから宰相は、悔しいだろうが、私と私の妹を蔑ろにはできないのだ。
そんな状態だから、私は宰相もしくは反宰相派につけこまれることのないよう、身辺に気を付けて生活している。興味があるからといって、ほいほい遊ぶわけにはいかないのだ。
身体の中身がこぼれそうなぐらいに深いため息をつくと、親友が言った。
「どうにもならないのなら、侍従に相談したらどうだ?」
「嫌だね、情けない」
「安全そうな女性を紹介してもらうんだ。情けなくはないと思うが」
「……なるほど」
◇◇
そうしてその晩、侍従筆頭に相談をした。筆頭は私が赤ん坊の頃から仕えてくれている信用できる男だ。
話を聞いた筆頭は、わかりましたと首肯した。
「殿下ももう18歳。そのようなお年頃でしたね。気が回らず申し訳ありませんでした」
……お互いの信頼が深い分、かえって居たたまれない気がする。
更に筆頭は、
「相談して参ります」
と言って私の元を去った。居たたまれなさ倍増だ。
やっぱり話すべきではなかったと煩悶ししていると、筆頭が戻ってきた。部屋を出て行ってから30分も経っていない。しかもなぜか私たち家族専属の侍従のまとめ役である侍従頭と、王宮に仕える全侍従の頂点に立つ侍従長が一緒だった。
これは先ほどの情けない件とは別で、何か大きな事件でも起きたのだろう。
そう気を引き締めて王子らしくいずまいを正す。
ところが。
「先ほどの件ですが、殿下はお相手のご希望はあるのでしょうか?」
慇懃な挨拶のあとで侍従長が放った言葉に、思わずのけ反った。
こんなことに三人の責任者が揃い踏みだなんて。
だがそれだけ用心しないといけないということなのだろう。己の立場の微妙さを再確認する。
「殿下のお立場を考えますと、慎重にならざるを得ません。ご希望に添えるかはわかりませんが、名前を上げていただけると我々もスムーズに進められます」
真面目な面持ちで私の返答を待つ三人。居心地の悪さを感じながら、心に浮かんだ名前を口にするか迷う。
長い沈黙のあと、
「アマーリエ」
と告げた。何故か喉が張り付いて掠れた声になってしまった。
「アマーリエ?侍女のアマーリエ・グランツのことですか?」
うなずくと、三人は顔を見合わせた。
アマーリエは私の七つ年下の妹エルマの専属侍女だ。王宮に出仕に来て六年。私のひとつ年上。
彼女とは妹を通じ、話すことも多い。真面目で堅実。まだ年若いのに、母の信頼も厚い。いや、厚いからこそ若くして妹の専属となったのだ。
「彼女ならば私を裏切ることはないだろう。口も固いし、適任ではないだろうか」
言いながら、なぜか顔が熱い。
「通常、このような場合は年長のご夫人から手解きを受けるものです」と侍従長。「アマーリエは確かに信頼できますが、このような仕事をさせるにはあまりに若い。正直申し上げると、彼女には酷です」
「そ、そうだな」
「他にご希望は」と侍従長。
考えてみようとするが、何も思い浮かばない。
「……わからない。彼女より信頼できる女性はいない」
三人はまた顔を見合わせた。
「容貌、容姿よりも信頼を重視されますか?」と筆頭が尋ねる。
「勿論だ。そもそも、そこが重要だろう?」
「わかりました」
「もう私の希望は、よい。人選はお前たちに任せる」
三人が頭を寄せて小声で相談を始めた。
とんだ晒し者になっている気分だ。
やがて彼らは話をやめて私に向き直った。
侍従長が、では、と言って幾人かの名前をあげる。きっとこのようなこと御用達のご婦人なのだろう。
だが全くぴんと来ない。
「……やはり今回はいい。つまらぬ仕事をさせて済まなかった」
三人はまた顔を見合わせて、私の居たたまれなさはマックスだ。
「アマーリエに一応、確認しますか?」と筆頭が言う。
彼の顔を見た。
「希望は持たないで下さい。それから断られても、彼女への態度は変えないこと。エルマ殿下は彼女を気に入っているのですから、この件のせいで退職されたら困ります」
「勿論だ!彼女には断る権利があるし、断られても何も変わらない!」
「彼女は優秀な侍女です。少なくともエルマ殿下がご結婚されるまでは専属でいてほしいのです」と侍従頭。
「分かっている。エルマにとっては姉のような存在だ、それを壊すつもりはない。ただ……彼女が一番信頼できるから」
「分かりました」侍従長が首肯する。「確認してみましょう。ダメだった場合の候補は、今のところ必要ないということでよろしいですか?」
「ああ。……次の候補は、先ほどの中からゆっくり考えてみる」
そうして三人は退出した。彼女への確認は明日するという。
閉まった扉を見ていたら、急激に不安が込み上げて来た。
このような仕事の提案を受けたアマーリエは私をどう思うのだろう、ということにようやく考え至ったのだ。
いくら断る権利があるとはいって、内容が内容だ。私を気持ち悪いと感じるかもしれない。
これまでつちかった信頼を一瞬にして失うかもしれない。
そんなことにも気づかず、私はなんてことをしてしまったのだ。
……だが。
もしかしたら彼女は引き受けてくれるかもしれない。今、侍従長を止めてしまったら、その可能性も潰える。
一体、どうすればいいのだ?
◇◇
結局私はこの件を中止にしなかった。期待と不安の天秤は揺れるばかりで、どちらかに傾くことがなかったのだ。
侍従長がいつ彼女に確認するのかも分からず、しばらくは顔を会わせないようにしようと考えた。だが彼らの行動は早かった。
翌日の晩餐前に三人がやって来て、アマーリエが承諾したと告げた。
更に、この仕事について特別手当ても出すが、仕事だからと彼女に無理難題を押し付けないように、と念押しもされた。
……あとはよく覚えていない。
驚愕と歓喜と緊張がないまぜの状態で、気づけば夜更け。私の寝室に彼女がかしこまって立っていた。
アマーリエの態度も表情も通常通りだったけれど、少ない明かりの中でもわかるほどに赤面していた。
「引き受けてくれてありがとう」
と素直に感謝を告げれば、彼女は
「精一杯務めさせていただきます」
と震える声で答えた。
◇◇
翌日やって来た筆頭に、彼女は定期的に来てくれることになったと報告をすると、
「どのぐらいの頻度ですか?」
と尋ねられた。
「そこまで話していないが……」
「アマーリエはエルマ殿下の専属侍女です。本来の仕事に差し支えが出ると困ります」
「そうだな。二日に一度はどうだ?」
筆頭が無言で目を細めた。ダメらしい。
「三日に一度?」
彼の目は変わらない。
「よ、四日に一度?」
まだまだだ。
「……分かった。二週に一度ならいいか」
「まずはそれぐらいにしておきましょう」と筆頭。
ほっと息をつく。
「殿下」と筆頭。「この件は内密にしなければなりません。あなただけでなく、アマーリエのためにです。何度も申し上げますが、彼女が辞めたらエルマ殿下がお泣きになりますからね」
「分かっている!」
そうしてアマーリエと私は二人でひとつの秘密を持つことになった。
◇◇2◇◇
微妙な立場の第二王子。
その状況は変わらないまま月日は流れ、23歳になった。
親友は相変わらずだが、私は恋に落ちた。
相手は宰相の孫娘だ。
彼女は四つ年下の19才。少し前まで隣国に住んでいた。幼い頃にそちらの王太子と婚約をし、王妃教育を受けるためにずっとあちらの国で生活していたという。
それが王子が他の令嬢と結婚したいとごねて婚約を破棄されて帰国した。
宰相は怒り心頭らしいが、本人はあっけらかんとしている。王子が全く好みではなかったそうだ。
厳しい王妃教育から解放されたと喜び、伸び伸びする様はとても可愛い。
教育の賜物で、ため息が出るほど優雅なのに、くるくる変わる表情やころころ笑う様は愛くるしくて、そのギャップがグッとくるのだ。
彼女の姉が第一王子の妃であるため、よく王宮に遊びに来るのだが、他の令嬢たちと違って相手によって態度を変えない。微妙な立場の私にもにこやかな笑み向けるから、てっきり事情を知らないのかと思い説明をしたらば、彼女は笑った。
「王太子に婚約破棄されて、行き遅れの私も十分微妙な立場です」
その笑顔は、恋に落ちるに十分だった。
親友は、彼女が今までにいないタイプであるうえ、私にも他と変わりない態度をとる稀なご令嬢だから、気にかかっているだけ、と冷めた意見だった。
だがそれは恋するに十分な理由だ。
とはいえ微妙な立場の私が宰相の孫と結婚できるはずもない。ただ、彼女の笑顔を見て、癒されるだけで満足していた。
ところが。ある日突然、彼女と私の婚約が決まった。
兄の体調不良が続いていたために、万が一に備えて宰相は私を派閥に取り込むことにしたらしい。
青天の霹靂にしばし呆然として。それから大喜びした。
アマーリエも、素晴らしい婚約が出来て良かったと、喜んでくれた。
彼女とはずっと二人の秘密を保ったままだ。ついでに頻度も二週に一度のまま。彼女はその周期で予定をたてているようで、もっと会いたいと未だに言い出せないでいる。
とにかく彼女と親友に祝福されて、私の幸せな日々が始ま……
……らなかった。
孫娘にとって私は友人のひとりだった。婚約をしても彼女が私に向ける好意は友人としてのもの。婚約者として振る舞ってくれているけれど、異性として意識してくれてはいない。
恐らく、隣国でとても厳重に守られていたのだろう。恋愛に疎いし、自分に寄せられる異性からの好意に気づきもしない。良い友達なのだと捕らえている。
彼女といると楽しい。二人きりで会うことはなく、私の方はいつも親友が、彼女の方は友人たちが交代で付き添う。人数がいるから話は盛り上がり、あっという間に時が経つ。
だけどこれは友人関係だ。
次第に、それほど私は男としての魅力がないのだろうかと考えるようになった。
アマーリエに尋ねても、彼女は私を肯定するばかり。常変わらない穏やかな表情で、殿下はそのままで問題ありません、と紋切り型の答えなのだ。四年も一緒にいて、彼女の態度は初めと現在とで全く変化がない。
私は婚約者に男として好かれないことで日に日に狭量になり、しまいには嫉妬に駆られるようになった。
挙げ句に些細なことで怒り、我を忘れて理不尽な言動をし、彼女は私を避けるようになった。
あまりの愚かさに、普段は物静かな母が
「情けない!」
と叫んだほどだった。
母には、『婚約者はあなたの所有物ではないのだから自分の意のままにならないのは当然のこと。嫉妬で相手の行動を制限してはいけない。相手を尊重しない男を好きになる女などいない』などとみっちりと叱られた。
アマーリエも流石に肯定せずに、ただひたすら励ましの言葉をかけてくれた。
結局、親友が婚約者と私の間に入り骨折ってくれて、彼女に謝罪して関係を改善することが出来た。
なんとか以前のような間柄に戻り、私たちはきっとこのまま友人同士のような夫婦になるのだろうと思った。
◇◇3◇◇
ところがまた青天の霹靂が起こった。
彼女との婚約が解消となり、新たに隣国の姫と婚約をしたのだ。
兄の体調が安定したこと、妃が男児を産んだことにより、宰相が孫と私の結婚が必要ないかもしれないと考え始めた。そこへ折よく隣国から、姫が余っているのだが年頃の王族はいないかと照会があったらしい。
宰相はあっさり翻意した。
恋する彼女との婚約解消は、自分でも驚くほどすんなりと受け入れられた。彼女が手に入らないと確定した途端、憑き物が落ちたかのように、さっぱりしたのだ。
親友には、恋ではなかったんだと言われた。私はただ、珍しいおもちゃを欲しいと駄々をこねる子供だったのだそうだ。
それから彼は……。
まあ、彼の話はいい。
アマーリエは私がショックを受けていない様子に驚いていたが、新しい婚約を祝ってくれた。
彼女と秘密を共有するようになって、丸6年が経っていた。
◇◇
耳に届いた言葉があまりに予測外で、それを発した筆頭の顔を見つめた。
「……なんだって?」
聞き返す声がうまく出ない。
「アマーリエの退職が決まりました」彼は先ほどと同じ言葉を繰り返した。「エルマ殿下が結婚し王宮を出るのに合わせてとなります」
それは半年後だ。
「……エルマについて行くのか?」
「いえ。結婚が決まったそうです」
頭が、ぐわんぐわんと揺れる。
「……結婚?彼女が?だって彼女は、」
私の、と続けようとして言葉を飲みこんだ。女性は私の所有物ではない、と母に叱られたことを思い出した。
「だって、そんな、」
意味のない言葉ばかりが口からこぼれ落ちていく。
アマーリエはずっとそばにいてくれた。
彼女が私のそばからいなくなるなんて、微塵も考えたことがなかった。そう、一瞬たりともだ。
「……殿下。一応、引き留めましたが、彼女の気持ちは変わりませんでした。もう彼女は結婚適齢期を過ぎています」
筆頭の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
引き留めた……
彼女の気持ちは変わらない……
結婚……
私でない男の元へ、彼女が。
「そんなのっ……!!」
吐き気がする。身体の奥底から訳のわからないものがマグマとなってほとばしる。
「そんな……、ダメだ、そんな……、」
彼女がいなくなるなんて、他の男のものになるなんて、本当に微塵も考えたことがなかったのだ。
そばにいてくれることに、なんの疑問も持たなかった。
なんて愚かだったんだ。
私は彼女に甘えていて、なにも見えていなかった。六年もの長い時を。
私が必要としているのは、彼女だったのだ。
◇◇
以前母に『嫉妬で相手の行動を制限してはいけない。相手を尊重しない男を好きになる女などいない』と叱られた。
ということは、アマーリエを他の男になど渡したくないが、嫉妬に狂って結婚をぶち壊したらいけないらしい。退職なんて許せないけど、笑って門出を祝わなければならないようだ。
だとしたら、私はどうすればいいのだ。
結婚なんてダメだそばから離れないでくれと大声で叫びたい。だけれど感情に任せて振る舞って、以前した失敗のように、彼女が私を避けるようになったらと考えると、恐ろしくてできない。
そもそも私は隣国の姫と結婚するのだ。
良縁を蹴って一生日陰の身として過ごせなんて言えるはずもない。
第一アマーリエは、私が名前を上げたから夜伽にあがることになったのだ。特別手当てと引き換えに。
彼女はいつでも私に敬意をもって接していたが、それは仕事だと割りきっていたからかもしれない。
彼女は私の二度の婚約を喜び、恋愛相談にものってくれていたのだ。
……どう考えても、私は彼女に男として愛されていないだろう。
私に出来るのは、さりげない会話を装って、結婚をやめるべきとか、仕事は続けたほうがいいと遠回しに伝えるだけ。
しかも彼女はそれらの言葉に気づいているのかいないのかも分からない反応だった。
結局私は何も言えないまま、退職する彼女を見送った。
お祝いと称して、私の瞳と同じ色の宝石が嵌まったブローチを贈ろうと思った。見るたびに私を思い出してもらいたくて。
だけど淡々と退職の挨拶をする彼女を見ていたら、迷惑かもしれないと怖くなって渡せなかった。
彼女はあまりに侍女として完璧すぎて、私のそばにいてくれたのは完全に仕事ゆえにだったのか、多少は好意を持ってくれていたのか、判断がつかなかった。そして私はそれを尋ねられないまま、彼女を失ってしまったのだった。
◇◇4◇◇
「一体どうしたんだ。全く口を割らないからサポートしようがない」
私の部屋にやって来た親友が立ったまま、筆頭に相対して尋ねる。筆頭は私を見たようだが、こちらは他所を見たまま。
「私が使い物になってないのは自覚している。なんとかすると言っているだろう?」
親友からも顔を反らしたまま、抗議する。
アマーリエがいなくなってからというもの、食事はのどを通らないし夜も眠れない。仕事はミスの連発。
こんなことではいけないと、重々分かっているがどうにもならないのだ。
親友は私とアマーリエのことは知らない。彼の助言により始まったことだが、そういったことについて口の固い親友は、他人に対して詮索もしない。
私がアドバイスにより好転したよと言えば、良かったと返してくれて、それでしまいだった。
恐らくこの七年もの間、たった一人としか秘密を持っていなかったとは考えていないだろう。
親友のため息が聞こえた。
「それほど信用されていないとは思わなかった」
暗い声。思わず彼を見た。
「そうじゃない。お前を信用するしないの話ではないのだ」
そうだ。彼の口の固さはよく分かっている。
ふっと、思った。もしかしたら長い間親友にさえ秘密を打ち明けなかった理由、それは。
アマーリエと、アマーリエとの秘密を、自分だけのものにしたかったのではないだろうか。
突如浮かんだ考えに、改めて自分の愚かさを突きつけられた。
呆然としていると親友がやって来て、私の肩に手を乗せた。
「……私に話せ。お前の様子がおかしいことは王宮中に知れ渡っている。つけこまれるぞ」
彼女への恋を自覚してから今日まで、彼に相談しなかったのには、訳がある。
少しの間逡巡して、ここで黙っていればそれこそ彼を信用していないということだと気がついた。
七年前に彼のアドバイスから始まった私の秘密。それを全て打ち明けることにした。
◇◇
私が話終えると、親友はため息をついた。
「お前は彼女が仕事を辞めると聞いてからの半年間、うじうじ泣くばかりで何もしなかった」
「だって!」思わず声を張り上げた。「さっきも話したよな?相手を尊重し縛り付けてはいけないのだろう?しかも私は婚約している。それに」声が震える。「彼女にとって私はただの仕事相手かもしれない」
今度は何故か親友と一緒に筆頭も嘆息した。
「見損なったぞ」と親友。「お前は彼女を馬鹿にしている」
「私はそんなことはしていない!」
親友は何を言っているのだ。私がいつアマーリエを馬鹿にした。馬鹿なのは私だ。
「七年もなのだろう?それほど長い間一緒にいて、お前は彼女が仕事としてそばにいたのかもしれないと疑っている。十分彼女を馬鹿にしているではないか」
「……どういうことだ?」
尋ねる声がまた震えた。
「私はその侍女のことは顔を知っている程度だ」と彼は前置きした。「だが真面目そうという印象だ。実際そうなのだろう?」
筆頭がうなずく。
「勿論、金の亡者でもない」
再びうなずく筆頭。
「そんな女性が、仕事だからと七年もの長い間、好きでもない男の相手はしない」
親友の真っ直ぐな目が私を射る。
「何が、『彼女は婚約を祝ってくれた』、だ。彼女は真面目で堅実で、若くから侍女として周囲の信頼を集めるような女性なのだろう?そんな彼女が『おめでとう』以外の言葉を言えると思うのか?誇り高い侍女として本心を必死に隠して祝った、なぜそうわからない。どう考えても、お前は彼女を馬鹿にしている」
親友が何度目になるのか分からないため息をついた。
「今さら泣いても手遅れだ。阿呆者」
……そうなのか?
アマーリエ。
君は本心を偽っていただけなのか?
いつも変わらぬ穏やかな表情の下で、苦しんでいたのか?
会いたい。会って、彼の推測が事実なのかを教えてほしい。
それが事実ならば、私の愚かさを心から謝りたい。
「大体、相手を尊重することと、お前が好きだから見捨てないでくれと懇願することは別問題だ。気持ちを口にしなければ何も伝わらないじゃないか。相手を縛り付けるというのは、例えば嫉妬のあまり彼女の結婚を破談にする」
……それは、考えた。
「仕事をやめさせないとか、そういうことだ」
……それも考えた。
「お前のは、ただの意気地無し。臆病。彼女の気持ちを全く考えようとしない阿呆で自己中心な男。彼女もさすがにもう、お前に愛想を尽かしているだろうな」
容赦ない叱責に床を見つめることしかできない。
「日陰の身にさせたら可哀想?彼女の意見も聞かずに、どうして決めつける。その方が余程可哀想だ」
「……申し訳ありません」と筆頭が何故か親友に謝った。「私どももそのように考えていました」
「構わない。君たち侍従には侍従なりの事情があるだろう。下手につついてベルントが出奔したら事だ」
筆頭が深々と頭を下げる。
「ベルント。昔も今もお前は立場が微妙すぎる王子だ。言動は慎重に、奴らに付け入られる隙を作ってはいけない。同情するよ」
顔を上げて親友を見る。だが彼は筆頭を見た。
「筆頭、ちょっとの間、耳栓をしておけ」
言われたほうはきょとんとしているが、親友は再び私を見た。
「生活もままならないほど後悔で苦しむのなら、一度くらい、何も気にせず行動を起こしていいんじゃないのか」
親友は表情を和らげた。
「私の一言から始まったことのようだからな。助力する。もう手遅れかもしれないが」
「……彼女に迷惑がられないか?」
「知るか。そんな様子だったらすぐ撤退すればいいだろう。私がちゃんと見極めてやる」
「そうか」
「そうだ」
「……ありがとう」
声が震える。
「泣くのは後回しにしろ。自分がどうしたいかを考えろ。一刻の猶予もないぞ」
「公爵さま」と筆頭。
「なんだ?まだ耳栓を取ってよいとは言ってない」と親友。
「アマーリエの挙式まであと二週間。彼女の実家まで馬車で十日です」
「なに?そんなに遠いのか?本当に猶予がないではないか!」声を上げる親友。「……というか君は本当に耳栓をしてくれ。責任を問われるかもしれないぞ」
「ぼろ雑巾のようになり下がった殿下を見事元通りにしたと、お褒めにあずかるかもしれません」
「なるほどな」
「ふ、二人ともありがとう」
「だから泣くのはあとだ」
私は頬を流れる涙を拭い、前を見た。
七年もの間、愚かだった。この先も愚かなままかもしれない。
だけど私にはアマーリエが必要だ。
「隣国の姫の到着は予定通り明日です」と筆頭。
「まずは彼女と話してみよう」
私の言葉に親友がうなずいて賛同してくれる。
「結婚は避けられなくても、政略的なものですから、側室をもつことに寛大な可能性はあります」
「分かった。彼女の反応によって次とる行動を今のうちに決めよう」
親友の言う通り、もう手遅れかもしれない。
それでも、せめて自分の愚かさを謝り、愛していると伝えたい。
「私の行動が彼女を尊重しないものになっていたら……」
「ちゃんと見極めてやるから安心しろ」
「さすが我が最高の親友」
彼はため息をついた。
「その最高の親友にもっと早く相談していたら、こんなことにならなかったのに」
痛いところを突かれて、口ごもる。
宰相の孫娘との婚約が解消になり、今の婚約が決まったあとのことだ。彼に言われた。孫娘のことが好きだから、アプローチしたい、と。
彼は彼、私、元婚約者とその友達四人で過ごすうちに彼女に惚れてしまったらしい。
だけど親友の婚約者だからと恋心を圧し殺していたようだ。
そんな彼に、実は数年も仲が続いている女性がいて、彼女を愛していると気づいたとは、どことなく申し訳なくて言い出せなかったのだ。
「すまん。私が愚かだった。だけど頼む、助けてくれ。アマーリエがいなくて苦しい」
「貸しだからな」
「いつの日にか倍にして返す」
だけどその前に、アマーリエ。
私の元に戻ってほしい。
愚かで阿呆な男だけれど、君を愛している。
もう一度、私が心から安心できる穏やかな笑みを見せてくれ。
今から君を取り戻しに行く。
どうか私を赦し、愛してほしい。
お読みいただきありがとうございます。
この続きは短編『とある侍女の秘密』とかぶるので、割愛します。
合わせて読んでいただけたら嬉しいですが、「面倒だけど気になる!」という方は
↓↓↓
王子と侍女はハッピーエンドです。