2.兆し
(1)
舞泊から古坂までの道は、旧日本軍がコンクリートで舗装していたため、長期間、人が通っていなかった割には道の状態は悪くない。しかし、日当りのいいところは草にふさがれている場所もあったり、そうでない所も木の根がコンクリートを破壊したり、高所から流れた土で道自体が傾斜している箇所もある。
「こんなんで、本当に二時間で長狭につくのか?」
加藤が嘆くように言うと、彰は笑顔を見せながら言った。
「昔の住人に聞いたところだと、長狭まで一時間弱くらいの道のりだそうだ。道の状態がこれくらいなら、二時間あればまず大丈夫だろう」
「我々にとっては、こんな道ましなほうだろうが」
中尾が表情を変えずに言うと、加藤は不愉快そうな顔をして黙った。
そんな気まずい雰囲気を破るように、安田が加藤に話しかけた。
「そういえば、この前、懸賞に応募したって言ってたけど、アレどうだったよ?」
加藤は、我が意を得たりといった感じで手を打って言った。
「よく聞いてくれたね~!当たっちゃったよ、デジカメ。しかも欲しかったブルーが当たったのよ!」
そう言いながら加藤は胸ポケットから青いデジカメを取り出して、説明を始めた。
「おいおい、デジカメに熱中しすぎて、こけたりするなよ」
そう言いながら安田は、苦笑した。実は安田は、すでに懸賞の結果を西田から聞いて知っていたのだ。
ガサッ!
「ん?」
「どうした?」
「いや、今あそこで何かが動いたようなだけど・・」
川村が指さした方を、安田は注意深く見てみたが、何もいないようだ。
「犬か猫じゃないの?」
「人もいないのに?」
川村が首を右に傾けながら問うと、
「じゃあタヌキとかだろ。気にすることないんじゃない?」
「・・それもそうだね」
彼らは特に頓着せず、道を進んでいった。
やがて彼らの姿が、その場から見えなくなったとき、木陰から一つの人影が現れて、つぶやいた。
『ニンゲンドモメ・・』
それから一時間、ついに一行は長狭集落の端に到着した。
左右の山は正面の海に近づくにつれ、開いていく。海は遠浅らしく、波が沖の方で立っているのが見える。また、浜に近づくにつれ、平屋の家が増えていくのが見える。坂が終わった辺りには二階建ての建物が建っており、過去の島民の話では、これが役場跡らしい。そして浜の右端には、役場と同じく二階建てだが、役場よりも幅がある建物が建っている。これが学校跡だろう。左中央には火の見櫓が見える。
「見応えがありそうだなあ」
川村が嬉しそうに言うと、首を右に傾けた。
「じゃあ我々はこのまま古坂に向かうから、ここの調査をよろしく頼むよ」
彰は3人にそう言うと、優美と安田を連れて、古坂への道へと去っていった。
(2)
中尾、加藤、川村の3人は、役場への坂道を下っていった。最初は石で土留めした細い路を左右に折れながら進んでいたが、最初に家に接した辺りからは、坂は海の方に向かって下り始めた。この辺りの路は、細くて急で所々に階段が混ざっている。
傾斜が緩くなり、左からの細道と合流した辺りで路がやや広くなった。もう役場も大分大きく見えてきている。
それから5分、3人は役場の前に立った。
「中の状態が良ければ、ここを根城にしよう」
「いいッスよ、中尾サン」
加藤は気がなさそうに答えた。川村は黙って頷く。
返事を聞いた中尾は、加藤のそんな様子にも頓着なく、役場へと入っていった。二人も黙ってそれを追う。
役場の玄関の扉は引き戸になっており、ガラスは破れていない。
「僕は二階を見てくる」
中尾はそう言うと、入って左手にある階段を上っていった。
加藤、川村は正面からの写真を撮ると、部屋を見渡した。
正面にカウンターが並んでおり、その一角に木製のプレートが重ねて立てかけてある。
「税務課、次は村民課、最後は総務課・・これだけか」
「過疎地の役場って、こんなものだろう」
ギィギィ
加藤がプレートを撮っていると、突然カウンターの奥の死角から、弱くなった床を踏むような音が聞こえた。
「何の音だ?」
加藤が怪訝な顔をして視線を音のした方に向ける。川村が不安そうに言った。
「誰かいるのかな?」
「バカいえ、ここは無人島だぜ?」
そんなことを言い合っていると、さらに『ガタン』という音が聞こえてきた。
二人は顔を見合わせた。どちらも相手に確認に行ってもらいたいという顔つきをしている・・
川村の、青白く強ばっている顔を見た加藤は、あえて笑いを浮かべて言った。
「俺が見てくるよ」
加藤はカウンターの一角にある、上げ蓋式の板で塞がれている通路から、カウンターの向こう側に向かった。音のした方を見ると、奥にガラスの破れた、窓つきの扉があるのが見える。加藤は静かにその扉に近づくと、破れた扉の窓から中を見てみた。
部屋の中には誰もいない。扉の周りと右手にある戸棚の奥が死角になっているが、戸棚の奥には人が隠れられるスペースはなさそうだ。
左手にある窓は開いている。その手前に木箱が2つ重なっており、別の木箱がその近くに横になっている。これが落ちて音がしたように思える。
加藤は勢いよく扉を開いたが、やはり何も動く気配がない。窓の側に行き、木箱を見てみた。いずれの箱も日本茶の箱らしいが、いずれも中には何も入っていなかった。
改めてざっと見渡しても何もなさそうに思えた加藤は、急にニヤニヤとした笑みを浮かべて部屋を出て、川村の顔色をからかった。
しかし加藤は、部屋の片隅に薄く積もった埃の中に、素足の足跡があったのを見逃していた・・
加藤が川村をからかっていると、「加藤君、川村君」と、中尾の声がした。声の方を見ると、中尾が頭をかきながら二階から降りてきていた。
「上に応接室みたいのがあって、そこにソファーがちょうど人数分ある。頑丈そうだし埃を払えば、結構使えると思うよ」
三人は二階のソファーの側にシュラフやバックパックを置くと、懐中電灯、カメラ、筆記用具、水筒だけを持って、役場を出た。
3人が役場を出たとき、さきほどまで燦々とふっていた日差しがないことに気付いた。
「いつの間にか曇ってる」
「でも雲は黒くないから、雨の心配はないんじゃない?」
「しかし、万が一ということもあるから、雨具を持っていこう」
中尾の提案によって、中尾は雨合羽を加藤・川村は折りたたみ傘を持っていくことにした。
改めて3人が浜に向かっていると、50メートルほど先にある赤ポストが立っている辻で、何かが右の路地へ引っ込んだのが見えた。それは人の頭のようにも見えた。
「まて!」
加藤がそれを追うように走り出した。
「まて、加藤君。単独行動は危険だ!」
しかし加藤はその静止を無視して走っていく。
「加藤、待ってくれ」
川村も加藤を追って走り始めた。
やがて二人は辻を右に折れて、どこかへ行ってしまった。
仕方なく中尾も二人を追ったが、辻に来た辺りで、浜方面と左右から霧が迫ってきた。
「加藤君~!川村君~!」
中尾は声の限り叫んでみたが、自分の声以外、何も聞こえるものはなかった・・