1.上陸
(1)
40年ほど後の5月3日・・
海上を一隻の小型船が疾走している。その船には、船長以外に9人の大人、それに中学生くらいの女の子が1人乗っているのが見える。その大人の中の一人が、残りの9人を見守るように立っている・・
石川彰は船内にいるメンバーの顔を見回してみる。
大学生の吉田あかりは、同じ大学生で恋人の進藤一郎に対して何かを楽しそうにしゃべっている。
あかりや一郎とは違う大学に通う川村洋平は、同じサークルの加藤雅彦とノートを見ながら会話している。
彼らと同じサークルの西田恭一は、主婦の狩野冬美と何か打ち合わせしているように見える。
会社員の中尾富夫は、いつものように一人で物思いにふけっている。
フリーターの安田孝一は、私の娘・優美に身振りを交えて何かを聞かせ、笑わせている。安田は今まで色々な職業を転々としており、将来は起業するのが夢だそうだ。一方の優美は、中学に入学した年の春に母親が死んでから、泣くか呆然としている日々が続き、1年経った今でも、学校にも行けない状態だ。しかし、昔から近所に住んでいる安田が、心配して色々面倒を見てくれたお陰で、優美の顔にも笑顔が戻るようになってきた。半年前からは、生前の妻も含めて一家で参加していた廃村巡りにも参加できるようになり、今では、私や安田の前では、かなり明るい顔を見せるようになってきている。
我々は『アバンドン・キャッチャーズ』と名のグループで、日本各地の廃村を巡り探索する活動をしている。今は失われた村の風景、生活用品を見つけては写真に撮ったり、そこの生活者の在りし日の生活風景を偲んだりしている。
我々がこれから向かう式室島に目をつけたのは、去年の夏、式室島の隣島を散策する直前に、地元の人から式室島のことを聞いたのがきっかけとなった。
式室島は漁業を細々としてきた島だったが、50年近く前に廃村になっている。3つの集落に別れている。
舞泊は、式室島は唯一の港のある集落で、島への出入り口はここになる。近くには虫藻岬の燈台もある。
舞泊から二時間くらいのところにある長狭は、式室島で最も平坦な部分が多く、人口も一番多かった。学校や役場もあったそうだ。
長狭から二時間くらいのところにある古坂は、式室島で唯一、山の中にある集落だ。ここの近くには旧日本軍の施設跡があるらしい。
今回我々は3つのグループに別れて、満遍なく島を探索するつもりだ。
「あ~あ、ホントーは長狭に行きたかったな。学校や役場なんかも見たかったな~。きっと色々面白いものとかもあるんだろうな~」
「しょうがないよ。この島の道は、人が住んでいた時代から険しいって言われていたんだから。石川さんが決めたように、僕らは舞泊をしっかり調べようよ」
「優美ちゃんもその道歩くんだよ?ははぁ~、ホントはイチローがその『険しい道』を歩くのがイヤなんでしょ?イチローの『大好きな』蛇とかも出るらしいしね~」
あかりが意地悪な笑みを浮かべて進藤をからかう。
「バ、バカいうな!優美ちゃんは子供の頃から石川さんと悪路歩いているから慣れているし、僕はあかりのことを思って」
「冗談よ」
あかりが進藤の頬を軽く突っつく。
「移動時間も考えると探索できるのは、実質2日もないな」
「とりあえず初日は寝床の確保と大雑把な散策でいいんじゃないの?本格的な探索は2日目でさ。洋平はどう思う?」
「まあそんなところだな。それにしても一緒なのがキョーじゃなくて中尾さんとは・・」
「あのオッサンは俺もニガテなんだよね。いつも黙っていて、みんなが笑っているときも真面目な話ふってくるし、もうちょっと空気読んでほしいよな。あと、いつも頭をかくクセも何とかしてくれないかねぇ。去年の夏に電車乗り損ねそうになって走ったときも、走りながら時々頭かいていたぜ」
「そこまでくると、ポリシーを感じるね。それにしてもキョーのやつ・・」
川村と加藤は西田の方を呆れ気味で見た。
「あいつ、今回の目的は絶対に冬美さんだぜ」
「いくら冬美さんの夫が長期出張だからって・・」
「確かに顔は悪くないけどねぇ・・あの人、口も性格も軽いから、後で火の粉を被ることになるぞ?」
「加藤、キョーを止めなかったのかよ?」
「言ったさ。『あの女はやめておけ』ってね。でもまあアイツは、たいしてモテないくせに女がいないと生きていけないヤツだしねえ。相当痛い目を見ないと、分かんないんじゃない?」
加藤は笑いを浮かべているが、川村は時々首を右に傾けながら、西田を心配そうに見ている。
「冬美さん、一緒に燈台に行こうよ」
「行ってもいいけど・・西田クン、何か悪いこと企んでない?」
冬美は笑いながら少しにらんだ。
「企んでるよ~。とっても悪いことをね」
西田は自信ありげな笑みを返す。
「でな、娘さんが店長のパンツの尻にいちごの刺繍をしてくれたのはいいんだけど、それが思わぬ厄災を呼び込んだわけさ」
石川が、アルバイトしているラーメン店の店長の話を優美に熱弁している。
「厄災って、どんな?」
「冬の夕方、店長の家に見知らぬ男が忍び込んできてね、干してある洗濯物を物色し始めたんだそうだ。で、何を思ったか、店長のパンツの刺繍を触ってにやにやし始めたんだと」
「やだ、気持ち悪い」
「店長、その辺りで男に気付いて一喝食らわせたんだ。そしたら男は泡くって店長のパンツだけ盗んで逃げ出したのさ。しかし店長は元駅伝選手だからな、すぐに男は捕まったさ。そして『俺のパンツ盗みやがって』って怒鳴ったら、男は泣き出したんだそうだ」
「どうして?」
「『捕まった時に盗んだのが男のパンツだったなんて、下着ドロの名折れだ』ってさ」
優美は腹を抱えて笑っている。
その様子を見た彰は、安田に心の中で感謝した。
やがて西から東に傾斜しているような島が見えてきた・・
(2)
船は正午近くになって、式室島の漁港だった舞泊に着いた。さすがに当時島民が使っていた船は一艘もなかったが、漁港の面影はある。
「あ!ここ携帯のアンテナ立たない!」
「え、マジ?石川さんの言ったとおり、トランシーバー持ってきてよかったなぁ」
メンバーが落胆したり安堵したりしながら、全員が上陸すると、船頭は
「じゃあ3日後の正午に迎えに来るんでな」
と言って、船を操って港を出て行った。
「では事前の打ち合わせどおり、舞泊は進藤君、吉田さん、西田君、狩野さん。長狭は中尾さん、川村君、加藤君。古坂は私と優美と安田君が担当する。トランシーバーは進藤君と中尾さんと私が持つ。毎日午前9時と夕方6時に定時連絡をすること。勿論、何か事故などがあったら、すぐに連絡すること。それと基本的に単独行動はしないこと。そして5日の11時までに全員舞泊港に集合すること。以上だが、何か質問は?」
中尾が頭をかきながらもう一方の手を挙げた。
「我々長狭担当のグループは、帰りに石川さん達、古坂担当グループと合流してから戻った方がいいですか?」
「そうですね。我々は8時までに長狭まで戻る予定ですが、それまでに戻ってこなかったら連絡してください」
打ち合わせが済むと、石川親子、安田、中尾、川村、加藤は歩き始めた。
舞泊集落は、港から見ると、背後の山にへばりつくように、東に集落が伸びている。東に500メートルほど行くと、角に雑貨屋のある辻になっており、辻をさらに東に行くと、250メートルほどで集落は途切れ、虫藻岬への道が延びている。辻を曲がり、山側に蛇行するように登っていけば、そのまま長狭への山道に入っていく。
石川親子ら古坂・長狭グループの6名が雑貨屋に向かって300メートルほど歩いたとき、突然優美が右手の木陰の中に飛び込んだ。
「こら、どこへ行くんだ!」
優美はそんな声を無視して木陰の奥へと進んでいく。奥には、崖にへばりつくように小さな社が立っていた。その脇の岩と岩の隙間から水が流れ出ている。
「うわあ!きれいな水が涌いてる!これ、飲めるのかな?」
「これって昔島に住んでいた人が言っていた稲荷の湧き水じゃない?ほら、水源になるって言ってた数カ所のうちの一つの」
後から来た安田が、周りを確認しながら言う。
彰も周りを見渡すが、他に該当するような湧き水はない。
「飲んでみていい?」
優美が言うと、彰が少し嘗めてみて
「大丈夫そうだな」
と言ったので、優美は流れる水を手に受けて飲み始めた。
「おいしい!」
その声を聞きつけた他のメンバーもやってきて、思い思いに水を飲んだ。
やがて、雑貨屋の脇の辻を曲がって坂を上り、集落を抜けて長狭への山道へと入っていった。
残存した4人は早速集まって分担を決め始めた。
「私とイチロー、西田くんと冬美さんのペアでどう?」
あかりの提案に全員否はない。
「俺たちは雑貨屋より岬側と虫藻岬の燈台を調べるよ。雑貨屋より港側をあかりちゃんとイッちゃんに頼んでいいかい?」
西田の提案にあかりがふくれた。
「エ~、燈台行きたいな~」
「じゃあさ、明日燈台見てくれば?ちゃんとした調査は俺らがやってくるってことでさ」
「ん~しょうがないなぁ。その代わり、雑貨屋はこっちが調べるからね」
「それでいいよ。今日、早速燈台行ってくるけど、16時には戻ってくるから」
「分かった。でも、ちゃんと16時に戻ってきてくれよ。僕、石川さんに定時連絡する必要あるし」
進藤がトランシーバを掲げながら言うと、
「分かった分かった!」
西田が笑いながら腰を上げたのを合図に、4人は2チームになって探索を開始した。
西田と冬美は、雑貨屋から東側の領域にある民家十数件を調べた。いずれも平屋で、特に大きな民家もなく、面白そうな残留品もなかった。しかしその間、西田は調査に気が入らないようで、冬美の方にばかり視線を送っていた。冬美もその視線に気付いているが、あえて西田に『話』を切り出すきっかけを与えなかった。だが、二人が集落の終点に近づくと、意を決したのか、西田は冬美を集落の近くにある民家に誘って、おもむろに切り出した。
「冬美さん、ボチボチ俺の気持ち気付いてるんでしょ?」
「え~何のこと?」
冬美はとぼけたように笑うが、西田の目が妖しく光っているのを見逃さない。
「旦那さん長い間外国に出張していて、寂しいんじゃない?」
「あら、これでも私、結構もてるから、男に不自由していないのよ」
その答えは西田の想像の外だったらしく、顔が明らかに強ばった。
「アハハハ、ナニその顔!」
遊び慣れていると思っていたが、意外とそうでもないのかもしれない。冬美はそう思うと、『たまにはこういう若いコもいいかもね』と思った。
「いいわよ」
赤くなって黙っている西田の顔にやさしく手を当てて冬美は言った。
西田は目を大きく見開いてしばらく冬美を見詰めた。ここで冬美は西田が次の行動に移る前に、一応釘をさしておいた。
「言っとくけど、あくまでも遊びだからね。それと、ここじゃ駄目よ。イチローくん達に見つかったらバツが悪いじゃない。燈台で、ね?」
西田は歓喜の表情を浮かべると、何度も頷いた。
『まだまだ子供ねぇ』
西田の様子に笑みを浮かべながら冬美は思った・・