11.脱出1
(1)
優美と安田が舞泊に大分近づいた頃、左前方の林の中から多数のカラスの鳴き声が聞こえる。やがて、道の前方がどす黒く染まっているのを見つけた安田は、優美の方を振り返ってみた。
『わたしは大丈夫』
そう言っているようなしっかりとした目を向けているのを確認すると、バットを構えながら血の跡をたどって左の林の中へ足を踏み入れた。
やがて、前方にカラスがたかっているのを確認すると、
「ここにいて、周りを見張っていてくれ。それからこっちを見るなよ」
と言い残し、安田は草をかき分けてカラスの方に進んでいった。
優美は安田と少しでも離れるのが怖かったが、誰かの死体を確認するのも怖かった。安田の足音は遠ざかり、不吉なカラスの鳴き声が、やけに大きく聞こえる気がする。しかし、それだけならいい。安田の去っていった方向からは絶えず生臭い臭いが漂ってくる。
クワッーカーカーカー!
突然カラスの甲高い鳴き声が大きくなり、羽ばたく音が続く。
「いやっ!」
優美は自分がカラスに襲われる気がして思わず山道側に逃げた。そして血に汚れた部分が見えない所まで逃げると、目をつむり、耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「孝ちゃん、早く帰ってきて・・」
そうつぶやく優美に、何者かが秘かに近づいてきた・・
安田はカラスがたかっていた『物』の正体を確認する。それは化け物にかじられたのか、カラスに蚕食されたのか、胴体は骨だけになっており、手足も殆ど骨だけになっていた。服もズタズタになった上、汚れていたが、色や生地などから、犠牲者が誰だか、大体想像はついた。
「彼女がやられたとなると、イチローのやつも・・」
安田は形見を探そうとしたが、カラスに散らかされたせいか、めぼしい物はない。
埋葬してやりたいが、優美を待たせているので、それもできない。安田はあかりの遺体に手を合わせてつぶやいた。
「何も出来なくて悪いな。いつかちゃんと連れて帰ってやるからな」
その時、どこからか優美の悲鳴が聞こえてきた。
「うおっ」
男の叫びが聞こえた。その直後、何かが優美の脇の地面に突き刺さった。それは背後から振り下ろされた鉄管だった。後ろを見ると、顔を押さえた進藤が鉄管を持っている。いや、襲ってきたところを見ると、ドッペルゲンガーだろう。目に小さなナイフが刺さっている。
「誰だ!ナイフを投げたやつは!」
「キャアー!」
優美は相手がよそを見ている間に逃げ出した。しかしすぐにドッペルゲンガーも追ってくる。そして、体格の違いと、不安定地形での対応力の違いから、すぐに優美の体はドッペルゲンガーの射程に入った。
ドッペルゲンガーが優美の服を掴もうとした刹那、優美の頭上を何かが横切った。それとほぼ同時に、後ろから悲鳴が聞こえてきた。見ると、安田がドッペルゲンガーの顔にバットをたたき込んだところだった。
「孝ちゃん!」
安田は更に頭に一撃を加えると、ドッペルゲンガーは息絶えた。しばらくすると、ドッペルゲンガーは本来の姿に戻った。その死体は紛れもなく進藤の服を着ていた。
安田は鉄管を奪って死体を谷底に落とした。安田は肩で息をしながら振り返った。
「大丈夫だったか?」
「うん」
安田は涙を見せている優美を見て、笑顔を見せたものの、軽く優美の頭をこづいた。
「勝手にどっか行ったら駄目じゃないか」
「こめんなさい」
「泣いている暇はないぞ」
優美は安田から鉄管を受け取ると、安田の後に続いた。
『それにしても、誰がナイフを投げたのかしら・・孝ちゃんはナイフを持っていなかった・・』
(2)
「船が来るまであと2時間ほどだ、雑貨屋の中で少し休んでいこう」
二人は警戒しながら雑貨屋の中に入った。一応、休む前に中に誰もいないことを確認しておかなければならない。
店から座敷にあがり、襖を開けて隣の部屋に入ると、菓子の袋などがいくつか落ちている。これらは最近のもののようだ。
「誰かがここに潜んでいたんだな。確かにここならすぐに誰かに発見されることもないだろう」
「じゃあまだ誰かが生きているの?」
「その期待は、あまり持たない方がいいよ」
二人は二階へ上がった。折り返して廊下の右側と正面に襖がある。安田が右の部屋を確かめにいったとき、優美は正面の部屋を確かめに行った。
襖は開いていたので、壁に身を寄せて顔だけを少し出して中を確認してみた。その姿を見て、思わず後ずさる。それは、偽物とはいえ、父の姿をした者を撲殺した人物だったからだ。
「加藤さん・・」
優美の目には、腕と足を負傷した加藤が、壁によりかかっていた。彼の脇には西田の服を着たドッペルゲンガーの死体が倒れている。
「優美ちゃんか・・キミはホンモノかい?」
出血して弱っているらしい加藤は、身動きもせず、荒い息で問いかける。
「加藤?優美、そいつに近づくな!」
安田が優美の声を聞いて駆けつけてきた。
警戒する安田を見ながら、加藤は青白い顔を口元だけをゆがめて笑って見せた。
「ハハ・・互いにヤツらに大分ひどい目にあったようだな・・俺ももう騙されるのはたくさんだ・・」
「ここに来ていたお前の同級生は?」
「川村洋平と西田恭一・・」
「お前はあいつらを何と呼んでいた?」
「『ヨウヘイ』と『キョー』だ」
「二人はどうしたか知っているか?」
「そこまで聞くのかよ・・もう思い出したくもない」
しかし安田の顔に妥協がないのを見ると、仕方ないよう言った。
「洋平は長狭の学校で死んでいたよ・・キョーは・・分からないが、多分駄目だろうな。こっちに来てからホンモノには出会ってないよ」
加藤は傍らの死体に目を向けながらいった。
「この前買ったデジカメを見せろ」
「買ったんじゃない。懸賞で当たったんだ」
そう言って胸ポケットからデジカメを取り出す。
「悪かった。今手当するから待っていろ」
「おいおい、俺はまだお前さん達を信用したわけではないんだぜ?第一、デジカメの入手方法を間違えたじゃないか」
「カマかけせて貰ったんだよ。悪かった。気が済むまで聞いてくれ」
「・・いや、もう俺も疲れたよ。助かるにしろ死ぬにしろ、もうこんなの終わりにしたいね」
怪我をしている上、何度も騙され、肉体的にも精神的にも消耗しつくしたらしい加藤は、光を失ったような目をしながら自嘲的な笑いをもらした。
「加藤さん・・」
優美には加藤の絶望的な気持ちがよく分かる。自分も同じく親しい者を失い、何度も近しい者達に騙されるような中を生きてきたのだ。いつの間まにか、優美の心から、加藤に対するわだかまりが消えていた。
「優美、俺が手当てしている間、近づいてくる者がいないか、見張っていてくれ」
優美は黙って頷くと、部屋を出て行った。
安田はリュックから布や包帯を出しながら言った。
「お前は友達を失ったかもしれないが、優美は親父さんを失ったんだぞ。それでも優美は生きていくって言ったんだ。大人のお前が自暴自棄になるなよ」
安田がとりあえず止血をしようと、布で加藤の足の付け根を縛ろうとしたとしたとき、加藤の目が突然光を帯びた。
「ぐわあ!」
二人がいる部屋から優美の耳に苦痛の叫びが聞こえた。優美があわてて部屋に入ると、加藤と安田はもみ合っていた。安田の足に深々とナイフを突き刺さっている。
「孝ちゃん!」
「優美、こいつはドッペルゲンガーだ!」
組み合っている二人は上に下になっていたが、やはり負傷している安田のほうが分が悪い。安田が下になったとき、ドッペルゲンガーは安田の首に手をかけた。
「悪かったなあ。一撃で仕留められなくて。すぐに楽にしてやるからなあ」
ドッペルゲンガーが歪んだ笑いを浮かべながら言った。その顔に鉄管がたたき込まれた。安田の上から横殴りに吹っ飛んだドッペルゲンガーは、頭を押さえながら悲鳴を上げている。
「人殺し!パパを返して!みんなを返して!」
優美は鉄管で何度も何度もドッペルゲンガーを殴った。涙で頬を濡らしながら・・
「優美、もういい。そいつ死んでいるよ」
優美はその声に気付くと、我に返ってで死体を見た。すでにドッペルゲンガーは加藤の服を着たまま、元の姿に戻っていた。