11.約束
(1)
すでに長狭は闇に包まれている。
「さすがに誰も入って来れないだろう・・」
入り口と窓を本棚で塞いだ安田は、ソファーで横になりながら、今までのことを思い出していた。
中尾の偽物を撃退した後、石川親子のことが心配になり、急いで古坂に戻った。しかし、古坂ではどの家を探しても二人は見あたらず、呼びかけても返事がない。暗くはなっていたが、桂ヶ谷の旧軍施設跡にも行ってみた。しかしそこにも誰もいない。その頃には視界が最悪になったので、その日はそこで野営した。
翌日古坂に戻って、改めて家々を探したが、やはり見つからない。しかし、昨夜は暗くて見えなかった防空壕内で携帯食の包み紙が捨ててあるのを見て、親子が昨夜をここで過ごしたことを知った。そして、古坂、桂ヶ谷にもいないことから、親子が何らかの事情で長狭に戻ったと読み、山道を長狭へと戻り始めた。そして、その山道で・・
「コホッ」
ソファーの上で横になっていた優美が、苦しげに咳をした。そして誰かを捜すように首を動かしていたが、安田を見つけると、急に泣きそうな顔になって言った。
「孝ちゃん、パパが谷に落ちちゃったの。一緒に助けに来て!」
叫んだつもりなのだろうが、かすれ声しか出ないようだ。
安田は優美の側に行って何かを言おうと思ったが、適当な言葉が出てこない。
「ねえ、もう落ちて大分経つの。お願い、早く!」
助けてとは言っているものの、優美の顔に絶望の色が浮かんでいる。
今本当の事を言って、優美の容態が悪化しないか心配していたが、この状況では黙っていても切り抜けられるものでもない。しかし、安田には本当のことを言う気にはなれなかった。安田の頭に彰の死体の映像がフラッシュバックする。
明らかに誰かに殴られ、頭を割られた血だらけの彰の死体。無念そうに見開いた目。何かを叫ぶように開いた口・・
安田は意を決すると、優美の肩を強く掴んで言った。
「優美!これから言うことはとても辛いことだけど、逃げずに聞いて欲しい」
優美は安田の今までに見せたことのない真剣な表情に、思わず黙ると、やがて覚悟を決めたようにうなづいた。
「石川さんは・・『谷底で』すでに亡くなっていた。俺に出来たことは、その遺体を埋葬することと・・」
安田はポケットから腕時計を取り出して優美に見せた。
「遺品を持ってくることくらいだったんだ」
優美は体を起こしてそれを手に取ると、見てみた。裏には『A.I』のイニシャル。血をふいた跡があるが、血痕が残っている。時間は10時5分、彰が滑落した頃を示したまま止まっていた。
安田は優美の様子をじっと見ていたが、案に相違して優美は取り乱すことなく、時計をなでながら、静かに語り始めた。
「もうパパのぬくもりは残ってないのね」
「・・・」
「昨日、パパはわたしに、パパとママとの約束の話を聞かせてくれたの」
「約束?」
「ママは天国に行く前、パパに、わたしのことを『幸せな人生を送れるような大人に育ててください』って頼んだの。でも非道いよね。パパ、約束果たす前にママのところへ行っちゃうなんて」
「・・・」
「わたしは生きてこの島を脱出して、ちゃんとお勉強して立派な大人になって、素敵な人と結婚して、幸せになる。そうじゃないと、ママもパパも天国で安心できないでしょ?」
そう言って、優美は涙を流しながら今作れる精一杯の笑顔を安田に向けた。
安田は優美を力強く抱きしめると。優しく言った。
「そうだな・・でも、今は心ゆくまで泣いておきなよ」
優美は体を震わせながら、何度もつぶやいた。
「パパ、パパ、パパ・・」
(2)
「調子はどうだ?」
「大丈夫、大分楽になったわ」
優美は昨日、悲しみを全て泪で流したように明るい表情で答えた。しかし、一度泣いたくらいで悲しみが癒えるわけはない。安田は自分に対して心配かけまいと心使っている優美を、いじらしく思えてならなかった。
二人は携帯食を食べながら、今までの経緯を話し合った。
「じゃあやっぱりあの夜わたし達を呼んでいたのは孝ちゃんだったんだ・・ゴメンね」
「でも、仕方ないよ。俺が石川さんの立場だったら、同じ選択をしたさ」
「ありがと」
優美はそう言うと、上目遣いで笑った。安田は思わず優美に『女』を感じて呆然とした。
『優美のヤツ、今まで子供だと思ったのに・・』
「どうしたの?」
安田が優美をじっと見ているので、不思議そうに問いかけてくる。安田は内心あわてたものの、急にいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「いやね、昨日の夜、『素敵な人と結婚して幸せになる』って言ってたじゃん。何なら俺が協力してやろうか?」
優美は急に真っ赤になると、怒ったような顔をして言った。
「バ、バカいわないでよ。孝ちゃんなんて・・」
「おーお、赤くなっちゃって、かわいいね~。俺にホレた?」
「わたしの旦那様は若くてかっこよくて優しい人じゃないと駄目なの」
「なら俺でもOKじゃん」
「自信過剰ね。どれもボツじゃない」
「ウソッ!」
安田が傷ついたような顔を作ると、優美は「クスッ」と笑って、
「ウ・ソ」
と言って、安田に抱きついてきた。
『ませたことしやがって』
安田が呆れていると、優美は泣きそうな顔をして安田を見上げた。
「ど、どうしたんだよ」
「孝ちゃん、約束して」
「何を?」
「わたしと一緒に、生きてこの島を出ようって。そして、出た後も一緒に生きていこうって」
「わかった。約束するよ」
「じゃあ『げんまん』して」
「げ、げんまん?」
小指を出す優美を見て、安田はちょっと呆気にとられたが、少し笑うと、小指を出した。
『げんまんか、まあ今の優美だったら、キスはちょっと早いよな』
二人は食事を終えると、荷物をまとめて役場を出た。霧は昨日より薄いようだ。
「今日の正午には迎えの船が来る。それまでに舞泊に着かなきゃな」
「他の人達はどうしよう・・」
「残酷かもしれないけど、約束の時間までに港に集まれなかった人は、置いていくしかないな」
「でも!」
「石川さんだったら、きっとそうしたと思う」
優美はその言葉を聞いて口をつぐんだ。父の名前を出されただけではない。優美自身も心のどこかで、その選択が正しいと思っていたからだ。それでも、みんなの顔を思い出すと、思わず言葉がもれる。
「少なくても、加藤さん、西田さん、中尾さん、進藤さん、あかりさんは生きているかもしれないんだよね」
「あいつらも大人だ。俺たちと同じように考えているさ」
安田は『生きていれば』という言葉を飲み込んだ。気持ちは優美も同じであったろう。
二人は舞泊への山道へと入っていった。