0.プロローグ
みんな殺されたのか?ヤツらに・・
濃い霧が漂う・・いや渦巻く廃村。生臭い潮風が流れる中、Yシャツに作業服のズボンをはいた男が、手に古びたバットを抱えるように持って、狭い路地を歩いていく。シャツやバットには、多量の血が付着している。しかし男はそれほど傷を負っているわけでもない。
俺は騙されないぞ、俺は騙されない・・
ポストのある辻に出ると、右の方から人影が接近してくるのが分かった。
「誰だ!」
やや虚ろだった男の目は、今や鋭い殺気を帯びている。
人影は一旦立ち止まると、再び男に近づいてきた。足取りはおぼつかない様子だ。
「止まれ!これ以上近づくと、殺すぞ!」
その言葉が終わると同時に、相手は崩れ落ちた。そして若い女性の声が聞こえる。
「益田さん・・」
この声は、同僚で唯一の女性だった、岡田須磨子のものだ。男は崩れ落ちた女の側へと駆け寄る。しかし、相手の姿が認識できるところで止まった。
「岡田さん・・」
そこには、頭から血を流している須磨子が倒れているのが見えた。男は須磨子に近づくと、須磨子の服の袖を触ってみる。すると何かを納得したのか、警戒を解いて、須磨子を抱き起こす。
「岡田さん、しっかりしろ!」
男の声に、須磨子はうっすらと目を開ける。
「益田さん・・やっぱり益田さんなのね」
「しっかりしろ、ヤツらにやられたのか?」
須磨子は弱々しく頷くと、口に笑みを浮かべた。須磨子の傷は深い。もう長くはなさそうだ。
「益田さん、私もう駄目なんでしょう?」
「弱気なことを言ったら駄目だ!」
「最後だから聞いて欲しいんです。私、益田さんのことが好きだったの」
好意を抱いていた須磨子から告白された男は、はげしく動揺した。
「なぜ?」
「去年の秋ここに来たとき、私何も分からなくて、怒られてばかりいたでしょ。私女一人だったから、話相手になってくれる人もいなくて・・でも、益田さんだけは優しく接してくれたから・・」
何てことだ。相手が死にかかったときに、初めて互いに好きだったことが分かるなんて・・
「お、俺も岡田さんのことが好きだったんだ」
「うれしい・・」
そうつぶやくと、須磨子はにわかに苦しみはじめた。
「岡田さん!」
須磨子は荒い息の中から絞り出すように言った。
「お願い、死ぬ前に強く抱きしめて」
「お、岡田さん!」
海の方から流れてきた濃い霧が、二人を包み込む。
辻の側のポスト。そこから霧の中に、抱き合ったような人影が見える。やがて下になった人影の右手が上に上がる。手には何か短く鋭い物が握られている。そして右手が振り下ろされる。しばらくして、下になっていた人影が起きあがると、上になっていた人影は、そのまま沈み込む。
やがて、狂ったような甲高い女の笑い声が、霧の渦巻く廃村の中にこだました。