第4話 (1)
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「いい天気だね」
イチコは東の方角から降り注ぐ陽射しを受け、思わず目を細めた。
「昨日まで降り続いていた雨も、ようやく止んだもんね」
イチコの隣でミノカが大きく伸びをする。久々に相まみえた太陽に、
「おかえりなさい、お日様」
と語りかけたくもなるような、それだけすがすがしい朝だ。友人同士でおしゃべりしながら散歩するのにうってつけな陽気である。
「それにしても、一時はどうなることかと思ったよね」
「たしかに不安だった。この地獄はいつまで続くのかな――って」
つい先日までムラを襲い続けた水不足の危機は、昨夜まで数日にわたって降り続いた豪雨によって何とか解決した。待ち望んでいた雨が降ってきたことへの人々の喜びは大きく、滝がごとく降り注ぐ雨の中、ムラはまるでお祭りのようなはしゃぎようとなった。生命の危機的状況から解放された安堵は、それだけ大きかったのだ。
「でも、安心してばかりはいられないよね」
イチコが言う。
「どうして?」
「あれだけ雨が降ったんだもん。土が雨に溶けて、川も泥水になってるって聞いたよ」
大雨の後は、たいてい何かしらの不具合が起こる。特に川の水に泥が混じって濁ってしまうのは大きな問題だった。洗濯の時も衣類はきれいにならないし、飲めばお腹を壊してしまう人が大勢出てしまう。
「ああそれなら大丈夫」
けれど、イチコの心配をよそに、ミノカはあっけらかんとして言った。
「どうして?」
「ろ過器が役に立ってるんだって。泥水もあれに通せば、すっかりきれいになるんだってさ。ムラ全体の生活用水を確保するために、ろ過機はフル回転してるよ」
「そうなんだ」
イチコの顔がほころんだ。
「あれ、トワリが考えたんだってね。私、ちょっとアイツのこと見直しちゃった。ムラの人たちの評判も少しは上がっているらしいよ」
「そう。よかった」
「なんでイチコがそんなに喜ぶの?」
まるで自分のことのようにはしゃいでみせるイチコに、ミノカは怪訝そうな顔を浮かべる。彼女はイチコとトワリの間に何があったのか、まだ知らないのだ。
「と、噂をすれば――」
ミノカは前方にトワリの姿を発見した。ムラの男たち十数人に取り囲まれるように、木盤を手にしたトワリが立っている。普段ひとりでいることが多い彼のことなので、少し珍しい光景だ。おまけに、男たちと何やら話している。何やってるんだろうね――と、ミノカはイチコに話しかけようとした。けれど、それより早くイチコはトワリの方へと駆けていた。
「おはよう、トワリくん。お久しぶり」
イチコがワントーン高めに声をかけた。しかし、その声にトワリはビクッとなって、手の木板を地面に落とした。
「お、おう……」
おそるおそるトワリは応える。
「大丈夫、どうかした?」
イチコは首をかしげて言った。
「別に何ともねえよ」
トワリは落とした木の板を拾い上げる。そこには何か細々と絵が描かれていた。
「皆さん何してるの?」
再びイチコが問いかける。けれど、トワリはイチコを見ることもなく、
「ちょっと――」
といって、そっぽを向いてしまった。
「井戸掘りですよ。俺たち、ヒブリさんの命で集められたんです」
代わりにトワリのそばにいる男が言った。ホウザンという名のその男は、ガタイが大きく、力仕事の時にはみんなのまとめ役を担っている。
「トワリがね、水脈を探すというもので」
「水脈?」
ミノカが聞き返した。ホウザンが答える。
「そうなんだよ。トワリが地面を掘れば水が出るはずだというから。それに、ヒブリさんから『弟に付き合ってやってくれ』とじきじきに頼まれたしな。ちょっと宝探しに協力してやろうって感じだよ」
「でも、こないだは山の方で探そうとしていたよね」
今度はイチコが問い返す。トワリはしどろもどろになりながら答えた。
「ま、まあ――な。あの時はそう思ってたんだが……でも、よく考えると水は高い所から低い所へ流れていくだろ。わざわざ上の方に探しにいかなくても、大地に水が溜まってるんじゃないかと思ったわけだよ。なあ、みんな?」
トワリは周囲に同意を求めたが、周囲は微妙な顔を浮かべたままで何も答えない。どうやら、自分の考えばかりが先行して、思いの共有が図れていないのは今も昔も同じようだ。
「じゃ、じゃあ――候補地に向かうとしようぜ」
トワリのぎこちない号令で、男たちは歩いて行ってしまった。
「何、あんたたち、まだ喧嘩してんの?」
トワリたちの背中を見送りながらミノカが言った。イチコに対して妙によそよそしいトワリの態度が気になったのだろう。
「そんなことないと思うんだけど――でも、やっぱりマズかったのかなぁ」
イチコは少し悲しそうな表情で、トワリの背中を眺めながら言った。
「何が?」
「ちょっと――」
「ちょっとじゃ分かんないでしょ。言ってごらん」
ミノカが急き立てる。
「う、うん……」
と、イチコは観念したようにうなずいて、ミノカの耳元に口を近づけて言った。
「実は、トワリくんに告白したの」
「はあぁ!?」
ミノカは素っ頓狂な声を出した。
「告白って、何の!?」
「声が大きいったら」
「いいじゃん、アイツらはもう行っちゃったし、この辺りに私たち以外に人いないって。――で、告白って何? まさか、好きだとか、そんなコトじゃないよねぇ?」
「好きだとか、そういうコト」
「もしかしてとは思ってたけど――マジであんな奴に……さすがに引くわ」
ミノカは本当に一歩イチコから後ずさってみせた。
「ひかないでよ」
イチコは唇をとがらせた。
「いつから?」
「うーん……いつからだろ」
彼を好きだと自覚したのはつい最近のことではあるが、好きになった時点についてははっきりと線引きできるわけではなかった。境界などはなく、徐々に甘酸っぱいものに心が満たされていったという方が正しい。けれども、そうなるきっかけについては、はっきりと分かった。彼と出逢った日の夜の出来事だ。3年も前――今よりも子供だったあのころ。あの日、星空の下で語るトワリに、イチコはなんて聡明で純粋な男の子なのだろう、と思ったものだった。
「まあ、あんたの変わった趣味については後で追求するとして――なんで告白したのがいけなかったの」
「困らせちゃったのかな、って」
イチコにとっても、あの時の告白は思いもよらなかったものであり、いわば事故のようなものだった。けれど、先ほどのトワリの反応を見るに、それが彼の心の重荷になってしまったのかも知れない。そう考えると、自分はあの時告白すべきではなかったのだろうか、そんなふうに思えてしまう。
「ま、さっきの雰囲気を見るに、相当イチコに対してよそよそしかったしね」
「でしょ。嫌われちゃったのかなぁ。そしたらもう、友達でもいられないのかなぁ、って思っちゃって」
イチコがそう話した時、ミノカは大きくため息をついた。ミノカの反応に解しかねて、イチコは少し首を傾げてみせる。
「あのねえ――トワリもトワリだけど、イチコもイチコ、だわ」
「……?」
「私はあえて何も言わないわ」
「えー、いじわるぅ」
イチコは甘えた声を出す。ミノカはややうんざりした顔を隠そうともしないで言った。
「こればっかりは私がどうこう言う話じゃないの。イチコが自分で考えて、自分で解決しなきゃね」
「う……」
ミノカに反論する術はなかった。トワリとのことは、自分の問題である。ミノカはもちろん、神様に尋ねても明確な答えは得られないだろう。
「まったく、神様とさえつながれる力はあるのに、人とはからっきしなんだから」
なおも困った様子のイチコに、ミノカは呆れた口調で言った。