伝えたいことは
言葉は一度口にしてしまえば、戻ることはない。
言葉は単なる意思疎通の手段ではない。
時には人を励ます魔法の薬であり、時には人を傷つける凶器にもなる。
何気なく発した一言でも、それが己の人間関係を大きく変えてしまうこともある。
━━ だからこそ己の発言には覚悟を持て、だ。
思春期の少女特有ともいえる輝きを秘めた目で見つめてくるアリスの言葉を遮るように、俺は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「おっとそろそろ帰らないと。もう夕飯時だな」
時計を確認すると、時刻は既に夕暮れ時を指している。窓の外も陽が落ちて暗くなりかけている。
「あんまり遅くまでいると迷惑だろうから、今日はこの辺でお暇させてもらうよ」
「あっ・・・はい、そうですね・・・」
彼女は勇気を振り絞って出した言葉を遮られたからか、少し気を落としたように返事をする。
「それと、ひとつだけお願いしたいことがあるんだ」
「?」
「もう戦場に出て立派な戦士として戦っている君に、一教師でしかない俺が言っていいことじゃないかもしれないけど━━」
「明日も、またこれからも学校に来てほしい」
「え・・・?」
アリスは少し不思議そうな顔になる。
「君の人生を、学生時代を戦うことだけで終わらせて欲しくない。きっと君の学校生活はこれから明るいものにして行ける。だから、さ・・・」
そこまで言って、続く言葉が出てこない。なんと言うか彼女を勇気づけられる表現が見当たらなかった。
そんな様子の俺を見て彼女はクスッと笑い、
「また学校で会いましょう、先生」
笑顔でそう言った。
━━━━
「伝えたいことは言えましたか、アリス様・・・?」
メヴィウスが立ち去った後、2人が会話していた客室に使用人が訪ねてくる。
「いいえ・・・言わせてもらえなかったわ」
「それは残念です・・・。男っ気のなかったお嬢様にようやく春が訪れた、という報告を楽しみにして参りましたのに」
「前置きが余計なのよ、もう!」
主に対してなれなれしい態度の使用人に彼女はふくれっ面になる。
「きっと━━
まだ遠いということかしらね」
窓の外に輝く星を眺め、彼女は微笑んだ。
すっかり日も暮れ、夜を迎えた街並みを学院に向かって歩く。
道の端々にたつ街灯が仄かに輝き、仕事終わりの人々を狙った居酒屋や飲食店が競うように明かりを灯し始める。
カートレット家の屋敷が学院からそこまで離れていないこともあってか、休日も部活や勉強目的で登校したと思われる学院の生徒達の姿がちらほら見受けられる。
明日からは普通に授業がある。
別れ際の彼女の一言には正直かなり安心した。
魔導学院に在籍している生徒達は卒業後、学んだ知識や身につけた技術を駆使して、戦士や研究者になったりする。
つまりアリスのような、学生の内から戦場に出たり、国の支援を受けて独自研究を進めているような者達は既に就職しているようなものなのだ。
彼らの中には、既に職を得たからという理由で学院を中退するものも少なくはない。
しかも彼女は多くの人から必要とされ、その戦果からもう充分な報酬を得ているだろう。正直、彼女が学院に固執する理由は何も無いはずだ。
最近、様々な国事から戦が増えてきたこともあって、学院側は彼女が中退を申し出ることも考えていた。
しかしそれを俺は許せなかった。
今回の家庭訪問は学院側から指示されたことではない。
もちろん彼女が自分のクラスに在籍している以上、担任である俺には彼女にかまう義務がある。
その義務も適当に済ませられるものだ。こんなことをせずに、彼女が中退したところで俺が責められることは恐らくないだろう。
それを加味しても、俺は彼女を放っておけなかった。
校長から激励されたからとかではない。もちろんそれもあるのだろうが、きっと俺は━━
彼女の姿に、過去の自分の姿を重ねたんだ。
あの日見た、教室の窓から夕陽を、まるで空虚を見つめるかのように眺める彼女の姿に。
あの日の俺と同じ、何にも期待していない、ただ何かに引きずられるように「自分」を生きている彼女に。
ただそれだけだ。
つまるところ俺が彼女に対して抱く特別な思いというのは「同情」なのだろう。
そこに愛情や友情などない。
だからこそ彼女の勇気をいただくわけにはいかなかった。
俺は戦場に長くいたせいか、何かしらの決意が込められた者の目を見るだけで感情を察せるようになってしまった。
最後の彼女の目に込められた感情は紛れもなく、
勇気に照らされた愛の目だった。
彼女が何を口にしようとしたのか明確にはわからない。だがその言葉は俺がもらっていいものじゃなかったはずだ。
俺はただ彼女に対して、誰かに心を開いてほしくて、ただその言葉を伝えたくて今日彼女に会った。
君の人生を戦うことで終わらせて欲しくない。
それだけは今日、彼女に伝えたかった。
だから最後の彼女の一言で、今日の俺の目的は果たされたのだ。それだけで充分。
周囲では自己主張の激しい光が薄くなり、薄暗い路地に続く道が目の前に伸びる。
足は止めない。それらの光に見向きもしない。振り返りもしない。
何かに期待することはもう止めた。
ただ目の前に広がる暗闇を見つめ返し、歩いていく。
こちらは闇だ。誰にもついてきて欲しくはない。
だからこそ━━━━
俺は、ずっと1人でいい。