世界で一番の敗者
幾度土を削り、木をなぎ倒し、岩を砕いたか。もう分からない。
元いた場所の地形は見る影もなく変わり、もはやただの荒野と化そうとしている。
「・・・恐ろしいわね、あなた」
「その言葉そのままお返しするよ。ここまで粘られるとは思わなかった」
開戦の時からすでにかなりの時間が経った。予定ならもう黒幕を始末して、魔獣の山に追い詰められてる向こうを助けに行くはずだったが。
「ええ、いくらでも粘るわよ。だって殺すのは日常茶飯事だけど、殺し合うのは久々だもの。愉しくて仕方ないわぁ!」
狐が駆動すれば、蹴られた地は凄まじい勢いで剥がれる。
その推進力そのままに接近してきた狐を蹴り返す。が、
「! これは・・・」
「ふふふ・・・・・・」
蹴った足に、朱色の魔法陣が刻まれていた。これは・・・、
「起爆魔法か!」
咄嗟に足を地に叩きつけ、強制起爆させる。爆風が更に地を砕いた。
「やるわねぇ。もう少し判断が遅れていれば、内側から足が吹き飛んでいたわ、よっ!」
隙を与えず飛んできた蹴りをしゃがみで躱す。回避したものの、蹴りの風圧が髪先を持っていった。とてもじゃないが、人間の反射神経と動体視力で躱せる蹴りじゃない。
カウンターで脚刈り蹴りを繰り出すも、敵も人間ではないためあっさりと躱される。
「変わったわねぇ、あなたも。数年前のあなたとはいろんな意味で大違いよ」
「ほう、どの辺が変わったか詳しく教えてくれ」
戦闘の中でも普通の会話が進むのは、まだ両者余裕があるから。
「あなたは強くなった。あの頃より遥かに。けどその代償としてそれ以外何も無くなってしまったのね、可哀想」
狐が何かを誘うように、口の端を吊り上げる。
「あの時はそれでも構わなかったのでしょうねぇ。けど振り返ってみて今はすごく後悔している。だってあなたの手元には何も残らなかったのだから」
これは・・・煽りだ。誰にでもわかる。
けど、その声が、嗤い声が、妙に癪に障る。まるで痛い所を優しく抉り返すように、眠っていた古い記憶を甘い囁きで起こすように。
「結局あなたは欲しいものを欲しいとも言えず、無言になって無我夢中で手に入れようとしては、逆に何かを失っている。そして欲しいものは手に入らず、持っていた大切なものだけを失っていく。それは────」
「黙れ────」
喉元に抑えていた言葉が吐きでた。
反射的に足が地を蹴った。低い姿勢で低空を跳び、弾丸のように狐に突っ込む。
一瞬冷静さを欠いた。分かっていて罠に飛び込んでしまうのなら、それは鳥や猪よりも馬鹿だ。
俺は・・・・・・馬鹿だ。
さっきまでそこにあった狐の姿が消えた。
気配だけが身を震わせる。上だ。もう遅い。
「あなた、強くないわよ」
「!」
その一言、冷めた言葉と同時に振り下ろされた蹴りが俺を地に落とす。
「ごッ────!」
叩きつけられ、地が砕けた。
喰らってみて分かる。さっきまでのは前戯。こいつは・・・、少しも本気を・・・。
「こーんな見え透いた罠に飛び込んでくるなんて。結局、あなたが過去を清算出来てないじゃない。そしてあなたが一番その過去を気にしている」
「ぐ、ああ・・・!」
手をついて、膝をついて、立ち上がろうとするけど、力が入らない。
「あなたはどっちで生きるの? あなたは選んだつもりで、どちらかを捨てたつもりかもしれないけど、選べていない。捨てれていない。だからあなたの手元には何も無い」
「黙れッ!」
「いいえ、黙るべきは私じゃないわ。あなたの中にいるどちらかの自分よ」
地につく手から、身体中から力が抜けていくようだ。まるで自分の身体が自分じゃないように。
「いい? あなたが自分に用意した2つのものは両方一緒に持って生きることが出来ないもの。だからどちらかを取らなければいけない」
どうしてこんなにも身に刺さる?
「私はあの頃のあなたにそれが出来たと思った。でも期待はずれ。あなたは結局どちらにも触れただけ。そして触れて得た力で生きている」
どうしてこんなにも傷つく?
「どちらかから手を離さなければならないのに、離せない。そしてどちらを取ることもできない。中途半端なのよ。昔から」
こいつは、何者なんだ・・・。
「残念ね。お坊ちゃん。お別れにしてあげる」
目の前の相手を見上げる。ゆっくりと降ろされた何かに太陽が隠されて、視界を影が覆った。
額から流れた血が瞼をすり抜けて目に入った。視界はただひたすらに赤く染まった。
何も見えない。
痛みと匂いと味だけが感覚を覆い尽くす。頭部に痛みを感じて、手足は力が抜けた。頬に冷たい地の感覚がひんやりと伝わる。
土の味と匂いがした。意識は遠ざかろうとしている。
俺は、また・・・・・・負けるのか。
『だから言ったんだろ。この中途半端が』
遠ざかる意識の中で鮮明に声が聞こえた。
こんなことが前にもあった気がする。
ゆっくりと目を開く。
目の前には「俺」そっくりの「俺」がいた。
『選べないからお前は弱い。勝てないまま。あの日から何も変わっていない』
彼は黒い。なんだか分からないけど黒。
彼は歩く。歩いた先に何かがあった。
あれは・・・氷?
『俺はどっちでもいいと思うんだがな。どっちを選んでも今のお前よりまともに生きられる』
彼はその氷をコツコツと叩いてそう言う。
その氷の中にはもう一人、『俺』が眠っている。
『過去にお前は俺を選ぼうとした。だが寸前で踏みとどまったお前は・・・俺を捨てることはしなかった。だから中途半端。だから勝者にはなれない』
「どうすればよかったんだろうな・・・・・・」
『もう遅せぇよ。お前は取り返しのつかない道に進んでしまったんだから。もう自分じゃ抜け出せない。雁字搦めだ』
俺は怒られてるのか。いや、きっと違う。彼と俺は他人だから。
『お前が英雄なんて志すからこうなった。いいか、俺は英雄が嫌いだ。ありもしない幻想を見せて、人々を扇動し、人々を1人ずつ不幸に落としていく英雄が嫌いだ。そして奴らは空想の中にしか存在しないから、責任なんて取らない』
彼は怒っている。目に見えない何かに。
『そしてお前もその1人だ。その結果俺がいる。そして残念ながら俺は英雄じゃない』
「じゃあお前が英雄ならよかったのか・・・?」
『さあな。そういうことは本当の英雄に聞け』
彼はこちらに一歩一歩足を進める。
『俺は英雄じゃない。お前が敗者を逃れるために生み出した理想だ。だからお前が敗者であることを嘆くというのなら──それは俺の出番だ』
彼が頭を両手で押さえてくる。そしてその言葉が強く頭に響く。
『お前自身は敗者だ。世界で一番のな。だが俺は違う。だからお前は選べる。敗者で生きるか、一矢報いて見せるかを。あの日のお前の中途半端が選べなかったせいで、今のお前が選べるようになった道だ』
彼は心に語りかけてくる。
過去に俺がした事は。今の俺に、あるものは。
『「さあ────選べ(選ぼう)」』
ゆっくりと目を開いた。