憧れの犠牲
兵士でもなければ、戦うということを知らない。
大半の国民は兵士が死に物狂いで戦っている時に、そんなことは露知らず日常を過ごす。
彼らもまた以前はその1人だった。
「始まったな」
「・・・・・・ああ」
展開された円形台地の中央部、負傷者が集められたテントの中で言葉を交わすマックスとギル。
オークに頭を殴打されたギルは頭に包帯を巻き、完全に負傷者だった。周囲には似たように体の節々に包帯を巻いた負傷者たちが深刻な面持ちで休んでいる。寝転がる人もいるが、その意識は張り詰めたままだろう。
テントの外のすぐ側では、兵士たちが必死で命のやり取りをしている。彼らが負ければ、ここも襲撃され道連れだ。そんな中でぐっすり休めるほど図太い者はそういない。
今、この瞬間も誰かが死んでいるかもしれない。そう考えると、自分は負傷者とはいえここで悠々と寝てていいのかと罪悪感に駆られる。
「サクラとミカの様子はどうだった・・・?」
不安気なギルは尋ねながらも、顔を俯かせている。
「ミカももう意識は戻ったらしい。ただ・・・、解毒はしたんだが、何せ傷口が酷いそうだ。治癒魔法で即時回復させるには当人の体力が危ない。そして何より心の方がな・・・」
「らしい、そうだ、って実際には見てないのか?」
「まぁ・・・、女子用のテントには入れないんでな。サクラは無傷だったんでサクラに聞いた」
あぁ・・・、と納得するギル。何に対しての納得なのかはよく分からない。
昨日、オークに腿を食われたミカはギルよりも遥かに重症だった。
オークの不衛生な口腔には細菌毒があり、その解毒は出来た。しかし傷の酷さはどうにもできない。そして何より、初戦闘の少女の心に大きな傷を残すには十分な出来事だったろう。
その心中を察した二人の間に沈黙が訪れる。
こんな壮絶なことになるなんて、誰が覚悟していただろう。誰が予想していただろう。
結局、軍の言葉も響いてなどいなかったのだ。誰もが緊張こそしていたものの、どうせまともに戦うことなんてないと思っていたんだろう。
今も学生たちは無傷の者でも、他のテントに固められている。戦っているのは兵士だけだ。
それでも学校側が意図した「戦うということを知る」という目的は十分に叶えられただろう。
「なぁ・・・。戦うことの意味って・・・なんなのかな・・・・・・」
「どうしたんだよ」
沈黙をかき消すようにマックスが呟いた。
「なんで俺たちは毎日必死に魔法を勉強してた?」
「そりゃ、魔法が人の役に立つからじゃないのか」
「魔法は・・・、なんの役に立つんだ・・・?」
「そりゃ・・・・・・」
何でも。そう答えようとしてギルは止めた。
マックスが何を言おうとしているのか察したから。
魔法は何の役に立つんだ。生徒からそう問われて、長考する教員はきっとそう多くはない。
魔法は人生において全ての役に立つ。即答だ。
しかしわざわざ魔法を学ぶことの意味を問うてくる者なら、そんな無難な解答を望んでいるわけではないだろう。
彼らは問いかけの言葉を間違っているのだ。
彼らが本当に知りたいのは、魔法の善悪について。
魔法は人々を幸せにしただろうか?
答えは反論の余地もなく「Yes」だ。
しかしこんな逸話がある。
とある所に、トンネル工事を効率化するために爆発魔法を生み出した男がいたそうだ。その男のおかげで作業は格段に早くなり、その技術は世界各国の採掘や工事の作業を良くした。
間違いなく魔法が人を幸せにした一例だ。
しかし人とは百人いれば百人が異なった考え方や視点を持つもの。
その技術を知ったどこぞの軍人は、爆発魔法の威力の中の殺傷能力に目をつけた。そしてそれを兵器や、攻撃魔法に転化させて使った。
これにより戦場では爆発魔法を応用した攻撃が一般化し、一度の戦争で果てる命は激増。まさに魔法が人の首を絞めた一例だ。
「俺さ・・・、今まで魔法は人を笑顔にして、幸せにしてくれるもんだと思ってた」
マックスは、自分が魔法を放つ拳を見つめ、ぐっと握りしめる。
「今やってるこの戦いもきっと誰かを幸せにするんだろうな。それは分かってる。でもさ・・・、考えてたのと・・・違ったんだ」
そしてやり切れなさを押し殺すように強く歯を食いしばった。
「多分、最初から気づいていたんだ。でも知らない振りをしてた。魔法にはどういう力があって、今世界ではどんな使い方をされてるのか」
「・・・学校側も、先生たちも、それを教えるのを遠ざけてたんだな。で、今日この日にそれを身をもって知ってもらうつもりだったんだろう」
続けてギルは、「多分、帰ったら次の授業から内容は一新されるな」と推測する。
もちろんそこで自分には向かない、出来ない、と思い描いていた進路を変える者は多い。
全ては致し方ないことだ。人に良心というものがあり、どうしても血を好まない者に戦うことを強制は出来ない。
「なあギル・・・」
「何だよ」
「お前は・・・、このまま魔導科にいるのか?」
酷く弱々しい問いだった。
「・・・生憎、俺はこんなもんだって思ってたからな。迷うこともないよ」
「そっか・・・・・・」
「お前は辞めるのか? マックス」
「・・・・・・どうかな」
問われても彼には生返事しか返せない。彼もまた英雄に憧れていたから。
おとぎ話の英雄譚には血みどろの表現は出てこない。だから子供は何も知らないまま、それに憧れる。いつからか現実を知って諦めがつく者は多い。
しかし諦められない者はどうするか。見て見ぬふり、知らない振りをする。そして現実を否応なく突きつけられた時、幻想と現実のジレンマに頭を抱える。
選択の時は待ってくれない。最終的にはどちらかを選ばなければならない。
そして選び取らなければ、何処へも進めない。
「どちらでもいいと思うわ。悩んで悩んであなたの選びたい方を選びなさい」
いつの間にかテントの入口に人が立っていた。
「ヴィネア先生。来てたんですね」
「ええ。一応B組の担任だから。まあ私は非戦闘員だから、裏方しか出来ないけどね」
「だからこうして傷ついた生徒の元を回っていると」
「さすがギル君。その通り」
比較的内心穏やかなギルは、普通にヴィネアと会話ができる。しかしマックスは虚ろに彼女の方を向くだけで、反応ができない。
そんな彼にヴィネアは教師として向き合う。
「ねぇマックス君、どうしても人に手を下せない人ってかなりいるのよ」
そんな言葉から始めた。
「でも戦場では待ってくれない。どれだけ強くても、心が身体に歯止めをかけてしまえば、その一瞬で自分が死んでしまうのよ」
戦場に自ら行ったことがない彼女は、前の言葉と次の言葉を「まぁ、受け売りなんだけどね」と繋ぐ。
「でもね、人になんの躊躇もなく手を下せることを心の『強さ』とは呼ばない。だから戦場でのその覚悟は自分の身こそ守れるものの、誇れることではないのよ」
受け売りでも、その言葉には重く響く力があった。
「誰かに優しくなりたいなら、戦場への道を離れて、魔導司書や研究者、統治軍への道もあるわ。誰もあなたに修羅の道を強制したりしない」
自分の道は自分で決めればいい。
そう優しく告げているようで、言葉の裏には中途半端なら止めた方がいい、という勧告が含まれている。
しかし半端な覚悟で臨めば、先はなくなる。これは命の選択なのだ。それなら後悔が残ったとしても、自分が向いている方を選ぶべきであり、教師としてはその道を薦めざるを得ないのである。
薦めたところで、人の生き方はそう簡単に変えられるものではないが。
「ヴィネア先生は・・・、好きな人・・・とか、大切な人っていますか・・・?」
「え、えぇ・・・いるよ、もちろん」
唐突に切り出された質問の意味をヴィネアは理解出来ない。
「男なら・・・、大切な人は、好きな人は守りたいって思うものなんです。そのためには強く在らなければいけない・・・。今ここで逃げてしまえば、もう一生ここに戻ってこれない、強くはなれない。そんな確信があるんです」
そう語るマックスの顔は、必死に何かを押し殺しているような、それでいて何かに突き動かされているような。そんな顔だった。
「先生、俺はね────────」
その顔をヴィネアは見たことがある。忘れるはずもない。
引き止められなかった。救えなかったその表情。今でもあの日を後悔している。
『ヴィネア、俺はね────────』
待って。行かないで。その一言が言えなかったあの日。
そして彼はうっすらと笑うのだ。とても哀しそうで、とても辛そうな最後の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「『英雄に、なりたい』」
・・・・・・ああ。
どうして・・・、私はそれを止められない。
とても哀しそうなのに、とても辛そうなのに。それでも人の憧れは輝く。
だから止めてあげられない。救ってあげられない。
今も昔も変わっていない。またいつの日か私は・・・、今日という日を後悔するだろう。
だからせめて、あの日とは違う結果を残したい。
「ねぇ、教えてマックス君。英雄・・・とは、あなたにとって・・・なんなの・・・?」
自分では分からない。ずっと守ってもらってばかりだった私には、理解出来ない。
「憧れ・・・かな。何にも変えがたい憧れ。ずっと追い続けていたい憧れ」
どんなに人を救ったって、幸せにはなれない。むしろ本人は傷ついて、最後には朽ち果ててしまう。
そうなれば一番救われないのは、その人のことを大切に想っていた人たちだ。英雄たちは見ず知らずの人たちをたくさん救う。けど自分と、その近しい人たちを救うことまではできていない。
選ばなければならない。二つに一つを。
そして彼らは必ず、できるだけ多くの命を選ばずにはいられない。
そうしなければ、英雄じゃないのだから。