後ろの狐
長く、短い夜は明けた。
東の空に血のように紅く眩しい日が昇る。周囲の空も照らされ、燃え盛るように輝いている。
「隊長。周囲の確認終わりました。現段階でこちらを目掛けてくる魔物はいませんが、まるでこちらに警戒を示していません。逆に奇妙です」
「ハハ。すでに統率済みらしいな。そいつらも十分敵だ。警戒しとけ」
「はっ」
短く答えて、状況を知らせた副隊長は再度隊に司令を出しに戻る。
すでに隊は戦闘配置についている。陣形は昨日の段階で無くなり、今は中央に団子状態だが。
しかし片付けたベースキャンプには動くことの出来ない負傷者もいる。その者達がいる限り、動ける者にも敗走という選択肢はない。
だからこの戦いは割と時間との勝負だ。
「行動手順は昨日話した通りだ。手はず通りに頼むよ」
横に並んだアリスとシューザに声をかける。がしかし、
「大丈夫です!」
「というか手はず通りにやれば、一番大変なのはお前だぞ? むしろそっちが頼むぜ」
という力強い答えが返ってきた。
作戦の立案者は俺だが、この作戦の要は間違いなく俺だ。一言で表すと、俺がやるか、皆がやられるかである。
しかし皆がやられないために、この2人に背負わせる役割もそこそこ重い。それでも彼らはやり遂げられるだろう。そうでなければ困る。敵の波状攻撃にくだけてしまうような盾では困る。
「やることはやるさ。お前らも俺が帰ってきたら、お空に上ってましたー、なんてやめてくれよ」
「ぬかせ。魔獣なんかに殺されるとか死んでも死にきれん」
「先生が生きて帰ってくるのなら死にませんよ、私は」
これが最期の言葉だったなんてことは互いに避けたい。そう祈ったのは今回だけじゃない。
どれだけ頼もしい返事をされようと、死ぬ者は死んだ。何気ない日常会話が最後だったなんてよくある。
だからこそ人は強がるのだろうか。
今、次に話す言葉が最後かもしれない。そう覚悟しているからこそ、人は、戦士は恐怖を心の奥底に押し隠し、笑顔で強がりを効かせる。
その笑顔は死を悟らせない。
だから生き残った者は皆「まさか」、「そんな」と終わってから、心境を綴る。
信じることしか出来ないのだ。
互いに信じて帰る、帰りを待つ。そして相手が屍になっていたとして、それを後悔することしか出来ない。
でも信じて互いに精一杯を尽くす。
それしかないから、それだけだから。
「来ました! 北東から! 大中小入り乱れて、魔獣が押し寄せます!」
見張りの言葉が隊列を縦断する。
「さあ・・・、戦いの刻だ」
────────
東方の戦場を模した盤上遊戯では、真っ先に歩兵が敵陣に突貫していくそうだ。
まるで使い捨て。しかしそれでも敵を削る重要な役割が与えられている。
「第一陣! ワールウルフの群れが突っ込んできます!」
見張りがそう叫んだ。
望遠魔法で限界まで遠くを見渡しているので、まだ敵とはかなり距離がある。しかし足の速い狼達がここに接触するまで、そこまで時間はかからない。逆に図体が大きい、巨大モンスターたちは接近するのにかなり時間がかかる。その時間差内に攻撃に対処仕切らなければ、波状攻撃に押され、こちらの負けだ。
そしてそれは中々に不可能な話。
それを限りなく可能に近づけるには。
知恵のない者、ただ誰かの言いなりにしか動けない者が敵なら。そして巨大な魔獣の群れに対し、1つの指示を共有しているのなら、それは簡単なことだ。
『敵はこちらを攻撃することだけを目標にしてくるだろう。ならいかに不利な状況も省みず、 駆け引きや足を止めることもしまい。敵にとって不利な状況を作るんだ』
随分簡単に言ってくれる。シューザはつくづく旧友に対し、そう思った。だが、
まぁ・・・、簡単なんだけどな。
「地上舞台」
陸軍とは地を駆り、敵に迫るものなり。ならばその隊長は「陸」を司り、「地」を揺るがす。
無詠唱でシューザの唱えた魔法により、陣形を中心にして、周囲の大地が円形にして盛り上がった。まるでそこに山ができたかのように。そして兵士たちはその頂上で敵を待ち受けるように立つ。
「おいてめぇら! 昨日ほとんど寝てねぇからって寝惚けて落ちんじゃねぇぞ! 陸軍隊長特性、殺戮部隊ならぬ殺戮舞台だ!」
若干ハイになったシューザが叫ぶ。
しかし有利を取るとはいえまったく登れない山では不十分。故に少しだけ傾斜を緩めた、狼なら時間をかけて登れるような山だ。
「第一陣、台地に接触します!」
真っ先にたどり着いた狼達が、山肌に爪をかけ、登り始める。メヴィウスの予定通り、狼達は足を止めさえしない。
なら予定通り進めるだけ、と。
「予定通りだ! 一斉射撃!」
タイミングを見計らった副隊長の一声と同時に、円形台地の崖に並んだ兵士たちが、各々銃や魔法である程度山肌を登った先陣の狼を狙撃する。
「「ギャア!」」
それを食らった狼達は息絶え、息は残ったとしても山肌から足は離れ、崖を降り落ちる。
そして下に並んでいた狼達にとって、肉壁ならぬ肉落石となりて襲いかかった。
「よっしゃあ! 上手くいった!」
「見ろよ! 下の奴らも潰れたぜ!」
一石二狼をとった兵士たちは騒ぐ。が、
「油断するな! まだまだ来るぞ! すぐに構えろ!」
副隊長の激が飛ぶ。
そしてただの言いなりに過ぎない歩兵たちは、陸軍に傷一つ付けられないまま、次々と効率よく殲滅されてゆく。
しかし歩兵をただ浪費するほど、彼らの黒幕は能無しではない。
「隊長! 南の空から第二陣! グースホークの群れが来ます!」
「はいはい騒ぐな。それも予定通りだろ」
地が駄目なら空から。
誰にでも想定できる敵の攻め方。しかし想定したところで、対処できる訳では無い。だからこそ敵も定石通り攻めてくる。
だが対処できなければ、わざわざそれを誘発するように地からの攻めを封殺したりはしない。
「これを飛んで火に入る夏の虫・・・、とでも言うのでしょうか」
円形台地の中心に足を揃えたアリスが言う。
「滅びよ命、冷たき雨で、厄災の元に。『氷時雨』」
台地の上の兵士たちの上、まるで傘のように氷の膜が張る。その氷膜からは竹のように、鋭い氷柱が生え始める。
「地は空へ浮かび、空は地に墜つ。『掌上の世界』」
台地の遥か上の上空に、怪しげな球体が現れる。
すると、
「グエアアア!?」
台地の上空を目指していたグースホークの群れたちが焦りの叫びをあげ始める。
「なんだ・・・、鷹たちがあの球体に吸い寄せられているのか・・・!?」
兵士の一人が驚きの声を上げた。
空からの攻撃への対応。それぞ重力操作で鷹たちを一点に集めると同時に妨害、そして一気に撃ち落とすこと。
これも簡単なことじゃない。しかしここに稀代の魔導戦乙女がいたのが敵にとっては運の尽き。
普通なら考えもつかない重力を操作するという魔法を彼女は使いこなす。
「おお・・・おおお・・・・・・!」
氷膜から生えた氷柱が、重力を操る球体に吸い寄せられ、鷹を次々と貫く。
それでもたじろぐことの無い鷹たちはどんどん吸い寄せられ、次々と貫かれていく。もはや自動の域で討伐され続けることしか出来ない。
地からくる狼は地の利で、空からくる鷹は圧倒的な魔法で寄せ付けない。
今のところ敵の波状攻撃は、何の成果も見せていない。
「しっかし・・・。後門のデカブツだけはちと骨が折れるな・・・」
「あればかりは定石の範疇ではありませんからね・・・」
高みの見物とばかりに腕を組んだシューザと副隊長が呑気に言葉を交わす。
見据える先では、巨大な亀のような魔獣が列を為して、着々とこちらへ向かってくる。
その高さは、今形成したこの台地とほぼ変わらない。奴らが大挙して押し寄せれば地の利は崩れ去る。そこからは安全性のない自力の戦いになるだろう。余計な犠牲を避けるためには、早期決着しかない。
「まったく情けねぇ。こんな魔獣共相手にちょっとでも本気になる必要があるとは・・・」
シューザが皮肉でもなく、本気の口調でつぶやく。
「だから・・・、お前も本気でやれ」
────────
盤上遊戯においても、王将が直接前線に出るなんてことはほぼない。いつだって王将は、黒幕は最後まで高みの見物、動かない立場だ。
「あらあら〜、随分と長く遊びたいのねぇ」
1箇所だけ隆起した大地を遠目に見つめ、妖艶な声が告げる。
「てっきり凡人の集団なら昨日の夜のうちに撤退するかと思ってたんだけど・・・。策士でもいたのかしらねぇ?」
その声は少しだけ落胆しているように聞こえる。
「ざぁんねん。撤退していれば、街の近くで血祭りが見れたのに・・・!」
その声は狂気に満ちていた。人など虫けらのように殺すだろう。
彼女にとってこれはただの「戯れ」でしかない。その過程で誰が死のうと関係ない。構わない。
だってそうだろう。
今、遠目に映る、必死で戦う兵士たちの表情も、血飛沫をあげて殺戮される魔獣たちも、所詮彼女の玩具の一部だ。彼女にとって彼らは、面白いか面白くないかでしか価値がない。
壊れても面白ければそれでいい。
「命は有限。だからこそその輝きは尊い。けどこの世にはたぁくさん命があるんだもの。少しくらい消えたっていいじゃない」
あまりに理不尽。あまりに非道。
だが人が獅子や虎を見世物にするのと同じことだ。なら彼女はこの世の弱肉強食で、人を超越したものと言えるだろうか。
「ねえ? あなたもそうは思わない?」
「・・・・・・・・・・・・いいや?」
ようやく拝めたその黒幕の姿は、まるで人の物ではない。
「そんな非人道的な考えは、若くなくなった頃に捨てたよ」
「へえ・・・、あなたは賢い人だったのね」
「しかし・・・なんてこった。人の技じゃないとは思っていたが・・・、まるで姿形まで人じゃないとは」
「あなたこそ人の技じゃないわよ? あの位置から私の居場所を突き止めるなんて、随分と鼻が利くのね」
そう言って道化は笑う。
いや・・・。その姿を見た今、彼女を形容するなら・・・、道化ではなく、「狐」と言った方がいいかもしれない。
「人じゃないのはお互い様だな。その女狐姿、よく似合ってるよ。アンタの性格に似てな」
「ええそうね。あなたもその黒い魔の姿、似合ってるわよ。あなたの本当は残酷な性格と業に似てね」
その口調からして彼女は俺の事を知っているようだ。
それも問いたいが、今はそれ以上に問いたいこともある。
「で、おままごとは楽しいか? こちらからすると大迷惑甚だしいから止めていただきたいんだがね」
「ええ、すごく楽しいわ。けどまだ駄目。私にだって目的があるの」
「目的? お遊びじゃなかったんだな」
「いえ。お遊びも目的のひとつよ。けどそれは本当の目的じゃないの」
彼女は戦線を眺める。凡人の目からすればここから兵士たちなど豆くらいにしか見えないが、その目にはどこまで見えているのだろう。
「それにしても・・・、人ってやっぱり群れると厄介なものね。群れればそれだけの知恵が集まり策が浮かぶ。それなのに人はどうして同士討ちなんて真似をするのかしら? 謎でしかないわ」
惨め惨め、と彼女は嘲笑う。
その一言で頭の中に先日の出来事が思い浮かび、疑問がぽっと口から出た。
「まさか・・・、この間のヴァルトピアとアリネシアの戦争に介入したのもアンタか」
あの戦争は危険度の高い魔獣が戦場に割り込んできたために早期集結したそうだ。
あまりに不可解な終焉だとは思っていた。
危険度が高い魔獣ほど知恵がある。知恵のある魔獣なら、己がいかに強くとも、人の集まる所に飛び込んでいくような真似はしないだろう。
もし他者の思惑が潜んでいたのだとすれば、それは両国・・・、果ては世界に対する挑戦だと思いつつも、そんなことができる者はいるはずないと鼻で笑っていた。
だが・・・、
「ええ、そうよ」
・・・ああ、そうか。
どうも敵を甘く見ていたのは、俺の方も同じだったらしい。
彼女は狐なのだ。
人を惑わし、誑かし、意のままにする狐。そこに感情も情けもない。
人がこの世界を作っていると言うのならば、彼女は「世界」までも意のままにしてみせるだろう。
だが人は、世界は、あやつり人形なんかじゃない。人を舐めるな。世界を甘く見るな。
「聞きたいことは幾らでもあるんだ。アンタとゆっくり話がしたいな。牢の中で」
「あら奇遇ね。私もあなたに興味があるの。できればお茶でもご一緒したいわね。一緒に来ない?」
両者沈黙の時が訪れる。
お互いに譲る気などない。ならば行く先は1つ。
「できれば降伏していただきたいね。勢い余って殺したくないから」
「残念だけど、私は捕まらないわよ。だって狐ですもの」
両者足元の土を抉った。
蹴り出しの音が慟哭のように激しく響く。