八方塞がりの中で
その日は────悲惨な一日となった。
日は落ちて、結局事態に収集はつかなかった。
陣形はボロボロに崩され、死傷者は多数。特に左翼端部から中央部にかけては、半数の兵士が帰らぬものとなったそうだ。しかし魔獣に囲まれた中、彼らが殿を務めたおかげで、早めの撤退を示された生徒たちは全員無事だった。
どう考えても例年通り、事は進んでいない。今現在、全小隊には陣形中央部に集まるように指示が出され、陣形は放棄された。
こんな状況に追い込まれたら撤退が普通、だと考えながら、自分の小隊より一足先に陣形中央部にたどり着いた俺は、
「撤退はしない。っていうかできねぇ。というわけで何とかしろや元策士」
首脳部に呼び出され、此度指揮をとっていた陸軍隊長にそんなことを言われた。
「お前、それでも軍の隊長かよ・・・。追い込まれたら、部下頼みとか威厳も何もないぞ・・・」
「自分にできそうにないことは人を頼る。これの何が悪い。むしろ威厳にしがみついて、大事な部下を死なせてしまうことの方が威厳がないぞ」
その通り。その通りなのだが・・・。
どうもこれだけ潔がいいと感じられる情けなさも気のせいな気がしてくる。
「で・・・、なんで撤退しないんだ。威厳にしがみついて人を死なせる方がダメなんだろ? 今、引けば威厳はないが、人は死なんぞ」
もちろんそんなことは彼も分かっているはずだ。
「魔獣大行進なら大丈夫だろう。たしかに奴らの数は充分には減らせていないが、今引いても奴ら、国には攻め入って来ない────」
「国に遣わした先遣隊が帰ってこなかった」
・・・・・・・・・は?
「どういうことか分かるな?」
「おいおい・・・、俺の今考えてることが全部当たってたら・・・・・・、この状況かなりヤバいぞ」
先遣隊がやられたことといい、何か異質に感じていた今日の雰囲気や魔物の様子といい、今の俺の予想が正解ならすべてに辻褄がいってしまう。
もしそうだったなら・・・・・・。
「そうか。じゃあその考えていることとやらは、参加者が全員揃ってから披露してもらおうか」
「参加者・・・?」
現在、陣形を崩し、中央部に集まった全員で小さなキャンプを構成している。その更に中央部にあるこのテントには、今は俺とシューザしかいない。
そのテントの中を、ひょっと覗き込んだ顔と目が合った。
「あ、アリス」
「あ、先生・・・・・・」
なんとなーくだが嫌な予感がする。まるで、興味を持った物にとびかかろうとする猫を見たような・・・。
「無事だったんですね〜! 先生ぇぇぇーっ!!!」
「ステイ!」
止まらない。愛に飢えた狂犬は止まらず、俺の懐にダイブ。そして押し付けた顔で、その感触を確かめるようにぐりぐり。
「良かった・・・! 無事で本当に良かった・・・!」
「そりゃ、こっちの台詞だ。俺は右翼中央部だから何ともなかったが、お前、左翼だったろ」
まぁ、心配なんて欠片ほどしかしていなかったというのが本音だが、ここで口に出すのは野暮だな・・・。
彼女ほどの魔導師が、狼程度の下級魔獣を相手取って負けることなど万に一つもあるまい。しかし、俺はそうはいかない。
そりゃ、心配もされますか・・・。
「彼女がいなかったら、左翼側ではもう数百人は死んでたかもな」
「へぇ・・・。頑張ったんだな」
「はい、頑張りました。だからもう少し、このままでいさせてください・・・」
俺の黒コートに顔を埋めたままで、彼女はそう答える。
「やれやれ・・・・・・」
うんざりという様子をしながらも、そっとその頭を撫でてや────、ってから後悔した。
「あ・・・・・・、うふふ」
まるで計画通りですとでも言うように、そっと上目遣いで微笑むアリス。
「イチャコラもその辺にしといてくれ。もうそろそろ元帥も来るだろうしな」
「もう来てます、隊長」
「おお、いたのか。見苦しいものを見せちまったな」
「いえ、私は既婚ですので、そんなことは」
「なんだ、可哀想なの俺だけじゃん」
少し距離を置いた場所から、陸軍重要役職さん方の話し声が聞こえた。その後、隊長だけが暗い表情になっていたのは気のせいだろうか。
────────
「というまでが今日の流れでした」
「「なるほど、やばいな」」
一通りの状況整理を終えて、出た結論がそれ。もう語彙力がなくなるほどにはマズイ状況でした。
まず、接敵したのは左翼端部。敵は例年通りの狼の群れだった。しかし倒せど殺せど終わりが見えない。
よって、いつしか数に押され、左翼端部は被害を出し始めた。
必然的に左翼中央部は救援へ向かうこととなる。そのタイミングをまるで見計らったように、人数の薄くなったそこに上級魔獣の群れが押し寄せる。
そして悪い流れは重なり、左翼ほぼ全体が壊滅。
以上の流れを汲んで、本陣からは国に遣いを出し、緊急撤退の旨を伝えようとした。
しかし、先刻陸軍隊長が語った通り、彼らは帰ってこなかった。
「で・・・、さっき言ってたお前の考えてることってのはなんだ」
「それな。今の状況報告を聞いて、益々現実味を帯びて来ちまった」
元帥は頭を抱えながらこちらに耳を傾け、アリスも深刻そうな顔とすがるような目をこちらに向けてくる。
「1つ・・・、今回鉢合わせた魔獣たちには、明確な戦意を感じた」
「それが異質なことなんですか?」
「ああ。考えてもみてくれ、今回我々が奴らの相手をしているのは、発情期を向かえた奴らが街に近づかないようにするためだ。奴らの目的は、人を殺すことではなく、街の付近に集まろうとすること」
元帥はうんうんとうなづいて話を聞き、シューザは瞑目している。その横でアリスはお茶を煎れていた。
「そう。つまり奴らにとっての我々は、壁。目的地へと進む足を止めようとする邪魔な壁。壁が自ら道を開けているのに、そこに追撃するなんてことはしないはずだ」
兵隊たちも壊滅してまで撤退しようとしなかったわけではない。それなのに壊滅したのは、守ろうとしたから、そして奴らが執拗だったから。
「奴ら・・・、何かが違うんだよ。そして左翼側にだけ度を超えた攻撃、無知能のはずの魔獣が時を見計らったかのように、こちらに都合の悪い展開。そして、こちらを逃がすまいと、連絡網を断つ。まるで────」
その瞬間、この場の4人全員の視線が合う。
「誰かが、魔獣を操っているみたいだ」
考えたくはない。そんなことが可能だとすれば、今この瞬間にも敵は着々とこちらを追い詰める牙を研いでいる。いや、既に手を下されていてもおかしくない。
「魔獣を操る・・・。『奏獣者』の魔法はありますが・・・、どんなに優れた人でも狼一匹程度操るので精一杯のはず・・・」
「そうですな・・・。ましてや何体もの魔獣を一斉に、そして上級魔獣まで操ることなどもはや神の所業に近いでしょう」
アリスと元帥が疑心暗鬼といった様子で、各々の知識を並べる。
「確かに馬鹿げた話だろう。だが俺もこの戦場の裏で、敵の糸を引いている奴の存在を疑ったから、今撤退の指示を出せていない」
シューザが賛同の意を唱えた。
「それに、そう考えれば確かにすべてに辻褄がいってしまう」
「その通りですな・・・」
元帥も納得し、その後は全員が黙り込んでしまう。
全員が分かっている。今回の作戦が異質なのは、間違いなく人為的なものだと。いくら運が悪かったとしても、ここまで上手くいかないことも、例年通りいかないこともあるはずがない。
しかし、人為的であると考えても、敵の全貌がイメージできない。
敵は人ではないかもしれない。
だとしたら、どうやって太刀打ちすればいい?
想像の中でさえ敵を倒すイメージができないのなら、現実では言わずもがなだ。
「ですが・・・、操っている人がいるのなら、他の魔獣は相手にしなくて良いということですか?」
お通夜状態と化した中に、アリスが光明を差そうと試みるが、
「いや・・・。操りの魔法が解ければ、奴らは本能的に活動を再開して、街に接近するだけだろう。俺たちの勝利条件は2つ。親玉を仕留めると同時に、ある程度の魔獣を倒し、街への被害もなくす。もしくは、親玉が操る対象もいなくなるほどに魔獣を殲滅する」
「どちらも非現実的ですな・・・・・・」
どんなポジティブ発言も、今は虚しく、会議は進まない。
話し合うほどに敵の像は大きくなるだけ。
「何かないのか、元策士」
「ここで俺に振るのか。この鬼畜隊長」
「なんの為にお前を読んだと思ってるんだ」
この野郎。頼れるものは頼りまくって使い潰す気か。
大体、俺が策士ってもう何年前よ・・・。俺たちもう29だから、おおよそ12年ほど前だぞ。アリスなんかまだ初等部にも入れない年齢であったほど前だ。策士としての脳なんてほとんど残ってない。
だが・・・、
「まぁ・・・、策がないわけでもない。けど・・・・・・」
「またお得意の博打になるのか?」
「仕方ないだろ。作戦なんてほとんどが博打だ。打開しようとする状況が大きいほど、リスクも大きい。絶対に勝てる戦争とか作戦なんて無いんだよ」
その言葉に、元帥も強く頷いている。なんかあの人とは気が合いそう・・・。
「あのー・・・・・・」
おずおずといった様子でアリスが手を挙げる。
「押し通ってでも撤退する、というのはダメなんですか?」
「「「そりゃ、一番ダメだな(ですな)」」」
「えっ・・・・・・」
言い出しっぺの彼女以外の三人が、声を揃えて否定する。
「なぁアリス。おかしいと思わないか? なんで今俺たちはこうしてのうのうと作戦会議なんてしてる」
「へ? それは今は安全だからで────」
「それがおかしいんだよ」
ぽかん? とした表情を浮かべるアリス。さすがの優等生と言えど、まだ若く、本当の意味で戦争慣れしていない。
それは彼女は誰かの指揮の元、己の力を奮ってきたにすぎないから。だから今も綺麗なまま、生きている。
だが大人たちは違うんだよ。
「敵が魔獣を操れるのなら、消耗している今をなぜ狙いに来ない?」
「それは・・・、夜間は魔法が使えない・・・とか?」
「まぁそれも否定はできんが、多分違う。敵は俺たちにわざと、考える時間を与えているんだ。そして八方塞がりで、いよいよ無理やりでも撤退するしかないっていう方に持っていこうとしてる」
尻尾を巻いて逃げるときほど無防備になる。そこを打ち崩すのは容易だろう。
付け加えるようにシューザが口を開く。
「ひょっとしたら、今日の段階で俺たちを殲滅しなかったのもわざとかもな。だとしたら、敵はとんでもねぇ愉快犯か快楽殺人鬼だ。はたして人間の道理が通用するかねぇ」
「そんなもん敵の姿さえ見てねぇんだから、いくら言ったって無駄だろ。やれることはやろうぜ」
「そうですな」
大人三人は敵が狂人であることを確信しているが、なにぶんその「狂人」の類を見たことのないお子様一名は、話を理解できていない。
だが、これ以上敵の推測を並べたところで時間の無駄だ。分からないなら分からない方がいい話もある。
そのまま作戦の説明に移り、誰も異を唱えぬまま、作戦会議は幕を下ろした。