現実を以て幻想を打ち砕く
「ほんとにホントに何度も言うが、これはお前たちの今の実力を見るためで勝ち負けは求めない。だから私が『やめ』と言ったらそこで戦闘を終了するように」
まず始めに釘がさされた。
普通の生徒であればここまで念は押されない。
そう。普通であれば。
「よいか。ロイ・ウィレム。特に君だ」
「無論。俺とて狂犬ではない。限度くらい理解している」
もはや敬語でも何でもない口調で答える。その態度がスルーされるのも彼ならではである。
その顔は口角を吊り上げ、目は鋭く、余裕に満ちていた。しかし本人が余裕を感じるほど、その表情には威圧感が宿る。
「マックス・アルトライア。相手が誰であろうとやることは変わらん。君の全力を尽くすんだ。よいな」
「はい・・・・・・・・・!」
対するマックスは既に額に汗が滲み始めている。
まるで対照的。戦う前から心理的に優劣が決している。
ロイ・ウィレムという生徒がこれまでその頭角を現したことなど、入試試験以外ではなかった。
だがA組の連中とは、彼これ一年以上もどんな形であれつるんで来たのだ。誰もが何となくそれを感じ取っていただろう。
しかし、いざ目の当たりにするとなると全く違う。対峙するマックスは言うまでもなく、A組全員がその場を固唾を呑んで見守っていた。
「それでは両名、位置につけ」
壇上の2人が踵を返し、互いに背を向けあって歩き出す。
そして数歩数秒歩いてから、再度正対する。
「大丈夫・・・ですかね・・・・・・」
「さあな・・・・・・・・・・・・」
「え、なに? なに、この空気?」
周囲が深刻な面持ちの中、事情に詳しくない者だけが騒ぎ立てたり、談笑したりしている。
さすがにやり過ぎる前に審判が止めに入るだろうし、ロイも今のマックス如きに本気になるとは思えないが・・・。
ステージの端を見やれば、緊急時に出動する教師陣の数が一層増えていた。
「それでは・・・・・・始めッ!」
今、ここに火蓋は切って落とされる。
────────
「燃えろ! 龍炎ッッ!!」
あまりに短い詠唱。もはや無詠唱と言っても過言ではない。
しかしマックスにはそれだけで足りるようで、彼の両拳には炎が灯った。
「彼は火属性遣いです。ここ一週間で炎を打ち放つよりも、身体に灯火し、接近戦で戦う方に適性を見出したようですね」
アリスが事細かに解説してくれるが、さすがにそれくらいは承知している。
「格闘術の成績ならお前に次いでいたからな。そこに繋げたかったんだろう」
炎の格闘士となったマックスはそのままロイへと突撃していく。その姿は赤旗に釣られる闘牛に例えよう。
闘牛は闘牛士に釣られるだけ。
「フッ・・・」
哀れな闘牛を鼻で笑ったロイは迎撃する様子もない。
「いちげきいいいい!!」
ガスッ!
拳が何かを捉えた音がした。
しかし──────
「な!?」
驚きの声を上げたマックスの炎拳は、まるでロイのかざした右手との間に突き破れぬ壁でもあった|かのように止められていた。
「所詮素人。その程度で俺に触れられると思ったか?」
かざした右手はそのままに、左手で拳を握る。
「己の拳は、己が身で受けるがいい」
ズドッ。
通らなかった拳とは違う。重く低い、柔らかいものを捉えたような音。
「がッ!?」
鳩尾を捉えられたマックスの足が、一瞬地から離れたようにも見えた。
「ごはっ! ごほっ! ぐ、ああああ!!」
激痛に喘いだまま、両膝を地につき嗚咽を漏らす。
その姿に談笑を繰り広げていた連中も静まり返り、青い顔で壇上を眺めている。
「己の非力さに感謝するといい。生半可でなければもっと苦しかっただろうからな!」
高笑いを響かせ、天を仰ぐ者。苦しみ悶え、地に膝をつき俯く者。そのコントラストが力の差の明確な象徴だった。
「今のが・・・そうなんですか?」
俺の横、左側に座っているアリスが落ち着いた口調で質問してくる。
「ああ。俺も入試の時にしかまともに見た事はなかったが・・・」
見えない何かに阻まれたマックスの攻撃。明らかに軽く殴ったように見えたが、想像以上にダメージを与えたロイの攻撃。そして彼の口ぶり。
「ロイは・・・・・・・・・適性属性を持っていない」
「え!?」
驚きのリアクションを見せたのは、俺の右側に腰掛けているヴィネア。
「じゃ、じゃあ・・・今のは何だったの!? てっきり風魔法の類かと・・・・・・」
「確かに今のは風魔法のそれに酷似していたな。だがあいつは正真正銘の無属性魔導師だ」
人類の中で行使できる魔力を有しているのは全体の8割程度だと言われる。つまり残りの2割は魔導師にさえなることが出来ない。
そして八割の魔導師たちは己の有する魔力の属性で型分けされる訳だが、魔導師全体の1割は型分けすることが出来る属性魔力を持たぬ、無属性魔導師であるそうだ。
無属性とはいえ彼らも魔法を行使できる魔導師に他ならない。しかし火を灯すことも、風を吹かすことも、地を凍らせることもできぬ彼らは戦力にはなれず、土木などの作業で重宝されるのがほとんどだった。
だがロイ・ウィレムはそのほとんどから外れた稀な例外である。
「今見た限りだと、彼の魔力はいわゆる『力魔法』といったものでしょうか」
「その通りだ。魔力を用いてあらゆる物体にかかる力を吸収したり、増幅させたりできるらしい」
「じゃあさっきのは・・・・・・」
マックスの拳にかかる筋力を吸収し、それを自分の左腕に集め、返したというところか。
「例外も例外。恐ろしく戦闘向きじゃないか」
「そうですね・・・。まあ魔法である以上、魔力で扱える力の大きさには限界があると思うので、それを超えられるかが鍵なんでしょうが・・・・・・」
後に続く言葉はアリスの口から出てこなかった。
きっと今のワンシーンを見ていたこの会場にいる者なら、もう全員が察しているだろう。
今舞台の上では、ようやく膝をついていたマックスが立ち上がりつつある。それをさながら、のたうち回る死にかけの蟻を見るような目で見下ろすロイ。
マックスはロイの魔法を破れない。
誰が見ても勝負は決していた。
「これでもまだ終了させないって言うの・・・・・・?」
ヴィネアがそう呟く通り、審判が動く様子はない。
ロイの実力は誰もが知るところ。見方を変えればそれは、マックスに対し『まだやれる』と言っているように見えた。
「まだ終わらせるには早い。格下にとっての勝負は死にかけてからスタートってくらいで丁度いい」
「・・・・・・随分厳しいんですね。ふふっ」
「ただの・・・・・・・・・経験だよ」
────────
「すぅーっ。はぁーっ、げほっ!」
大きく息を吸って吐けば身体が悲鳴を上げ、反射的に肺から空気が漏れる。
やられた後はただ熱を感じていた腹部も少しずつ普通に戻ってきた。意識もはっきりとしてきて、すっかり引き気味になった物静かな周囲の様子を伺える。
「もう一発喰らわなきゃあ終わらせてもらえないとは不運だな、お前も」
目の前に立ちはだかるロイがそう声をかけてくる。その言葉は同情しているが、声は嘲笑うようだった。
「大人しく降参の一声でもあげるか? 俺的にもそっちのが残酷ショーにならなくていいんだがなぁ」
「しねぇよ。降参なんて」
考えるよりずっと早く、その言葉が出てきた。
「この間・・・、何があったかお前も知ってるはずだ」
「・・・・・・・・・あ?」
反応してくれたところを見るに、どうやら俺の与太話に付き合う気があるらしい。少し怒り気味ではあるが・・・・・・。
「お前とあと数人はお家の事情とかテスト免除とかでいなかったが・・・俺や他の奴らは、生まれて初めて死の危険ってやつを味わったんだよ」
学院襲撃事件の全貌も何もかも、俺たちは説明されてはいないが、敵からは明確な殺意が感じ取れた。
あってはならぬ事件。しかしその死地をくぐり抜けることに成功した今では、いい経験だったと言える。
「敵は銃を持ってた。魔法も人を殺せるようなものばっかだ。怖かったよ、死ぬほどな」
「・・・・・・・・・・・・」
あの件の話はクラスでは御法度とされている。話せばきっと誰もが死の恐怖を思い出し、顔に影を落とすだろう。
しかし事件に居合わせなかったロイは険しく鋭い顔を浮かべるだけ。
「けど・・・終わってみて、色々考えさせられたよ。俺たちは魔導師の卵だ。その道を選べば、将来あんな奴らを相手どって闘わなきゃならない時が来るんだってな」
まだ先の話だ。けど先というのはきっといつかは来てしまうことの裏返し。
「正直、今は全く考えられねえ。だってさ、あの時だって先生が庇ってくれなきゃ、その後アリスがあいつを倒してくれてなかったら俺は今ここにいない。それくらい何も出来なかったんだ、俺は」
自分で口にしてみて虚しくなった。
今まで自己満足するためだけになんか気取って、更生して次は机に向かって。それで順調に進めているつもりだった。
「それが────俺の現実で、幻想だったんだ」
あの日、俺は初めて「強さ」っていうものを意識した。
闘うための強さ。自分を、誰かを守るための強さ。どれも俺は持ってなかった。
そんなこと分かっていたはずなのに、淡い幻想の中で気づけずにいた。
「お前はっ・・・・・・強いよな。うん強え、いてて・・・」
やはりまだ回復しきってはいなかった腹部を押さえつつ、よろよろと後ろにふらつきながら立ち上がる。
まだ一発もらっただけだし、始まって間もないんだけどロイとの差は明らかだ。
「もし・・・あの日あの場所にお前がいたらどうなっていたんだろうな・・・? もし俺がお前みたいに強く在っていたら、誰も傷つかずに済んでいたかな・・・?」
「はっ、知ったことか。終わってから事を嘆くとはさらに弱輩らしいじゃねえか」
話の終わりが見えたらしいロイは、もうこれ以上付き合う気は無いと、口を開いた。
その通りすべて終わったことだ。結果として俺は弱かったし、先生は傷ついた。
ただどうしても呪わずにはいられない。あの日の俺の弱さを、
────ただ勘違いしていた、バカな俺を。
「だからさ、俺はこの痛みが嬉しい。ただ守られるだけの奴ならこの痛みは受けられないからな」
誰かが傷つく事に心を痛ませるというなら、俺に向いているのはきっとそっちじゃない。
こんな身体の痛みも、あの苦しみに比べれば、
きっとずっと、浅く、軽い。
「ぬぅああああっっ!!」
一度消された炎をもう一度、右拳に灯した。
まだ魔力集約がなってないので、叫び、全身に力を込めることでしか火力を上げられない。腹部に鈍痛が走る。
「吠えるか! いいだろう、弱者なら弱者らしく醜くかかって来いよ!」
「いくぞおらああああっ!!」
よろついて空いた彼との間隔を駆け、猪突猛進、さっきと何も変わらないフォームで拳を突き出す。
「バカか! 一撃目で何も学習していないとは」
ドゴォンという衝撃音と共に、拳はやはりロイに届かない。そこに分厚い壁があった。
「これで学習するといい。何度やっても同じだ。お前は俺には叶わない」
告げるようにそう言って、ロイは伸ばした右手を引っ込めようとする。
「まだだああっ!!」
力の抜けかけていた右腕に力の念だけ込めた。すると、
「逆、噴射かっ・・・!?」
右腕の拳、ロイとは逆方向に炎が噴出する。炎は噴き出すほどに拳の推進力を後押ししていく。
「うおああああああああっっ!!」
すっかり力を吸収しきったと思い込んでいたロイも、もう一度右手に魔力を込め直す。
「ぬうああああああああッッ!!」
どれだけ求める強さが遠かろうと、弱者は手を伸ばし続ける。惨めでも、醜くても、手を伸ばさなければ掴むことも出来ないから。
届かせるんだ、その場所まで。
何も知らなかった、何も出来なかった、あの日の自分を超えて。
「ああああああアアア!!!」
もう一度、想いで力を込めると何かが砕ける音がした。
拳は軽くなった。炎は消えていない。
「クソがッッ!!」
そして軽くなった拳がそのまま走り、届かなかったものを掠めた。