異色も灰色
店を出れば、思っていたより時間が経っており、すでに昼休みをオーバーしていた。
「料理すっかり冷めちゃってましたね。出されたてはすごく美味しいんですよ?」
「そうなんだろうな」
「だからもう1回! 今度もう1回来ましょう! 2人で!」
「1人で行ってくるね」
「何でですかーー!」
何やらぷりぷりしているアリス。しかし俺は頭の中で店主の親父さんとの会話を反芻していた。
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『教員ってのは難儀なもんですよ。とびきりの不良をだろうが、出来すぎた優等生だろうが、楽な生徒なんていません。教育ほどに正解のない、抽象的なものはないと思いますよ』
親父さんから何を感じ取ったのか、談笑の途中に愚痴っぽくなってしまう。まだ今日さっき知り合ったばかりのはずなのに、なぜだろう。そんな気がしない。
『ハッハッハ! そりゃそうさ! なんせ人を教え育てるんだ。いわば子供の人生を作ってるみたいなもんだ。楽していいはずがねぇ。手塩にかけて大事に育てたはずが、反発して不良に育つこともある。放ったらかしでもいい子に育つこともある』
『・・・・・・娘さんですか?』
『あの娘は俺の元では出来すぎた子だ。俺ぁ、この店を開く前は炭坑に篭もりっぱなしでほとんど家に帰らなかった。母親もそんな俺に怒って家を出ていった。それでもあの子は俺を見捨てなかった。母親については行かず、誰もいない家で俺を待ってくれたのさ』
そう言いながら「くっ・・・泣けるぜぇ」と熱くなった目頭を押さえる店主。
過去にあったそんなイザコザを乗り越えて今の彼らの親子としての絆があるのだろう。
『きっとお父さんのことが大好きだったんでしょうね』
『よせやい。恥ずかしい』
親父さんは少し照れた顔をそっぽに向けて、手で顔を扇ぐ。
『俺たちは親子だが、なんちゅうか教師と生徒ってのもそんな感じなんじゃねぇか? 親子のような血の繋がりはなくても、何か別の繋がりがあるだろうさ、きっと』
別の繋がりか・・・・・・。
教師と生徒。その距離は近いような、遠いような。近すぎてはならない。しかし遠すぎてもならない。何とも不可思議な関係。
しかしどちらが望んでいたとて、近付きすぎることは許されない。教師は皆、生徒との間に大きな1つの壁を造る。それが良い選択なのか、それとも逆なのか。果たしてその壁にはどのような思いが込められているだろうか。優先させるのは職務か、己が感情か。
『まぁ教育に私情の一つや二つなくて何が教育か、ってんだ。育てられる側が人間であるように教える側も人間なんだ。別にそこに愛着が湧いたって、役割を超えてしまうような感情が生まれたっていいだろうさ』
『・・・・・・・・・・・・』
まるで考えていたことを見透かされたようだった。やはり接客業ってのは人の心理には敏感なのだろうか。恐るべし。
加えてその言葉には表現できないような説得力がある。育てる側として感じた重み、圧はきっと彼も俺も変わらない。
親の心子知らずとは言うが、きっと教師の心も生徒は知らない。生徒がただ笑い、ただ遊んだような授業の裏にも教師の意図がある。彼らの知らぬ間に培われている能力がある。そんな風に。
『それが父親ってものですか・・・・・・?』
『ああ。そうとも』
『・・・・・・そうですか』
互いに相槌を繰り返して、少しだけ笑えた。
そう考えると教師も皆、生徒に片想いしているのかもしれないと思ったり──────、
「・・・んせい、先生!」
「ん、ああ悪い。ちょっと魂抜けてた」
「え? 先生、憑依の魔法でも使えるんですか?」
「真面目にとらえないで・・・・・・」
憑依の魔法なんて実際にあるんだろうか? あったとしたら生命操作魔法に属するだろうから、それは禁忌に値する。もっとも他者の身体を乗っ取る魔法の式なんて想像もできないのだが。
「そういえば、お店で先生と一悶着あった人・・・、普段はあのお店で見かけるんですが、どこか儀礼の場で見たような気がしないでもないような・・・。結局、誰だったんですか?」
「ああ・・・あれね・・・・・・」
そういや、あいつずっと伸びてたから存在感なかったなぁ・・・。会うのも割と久々だったはずなんだが。
まぁいいか・・・。もう誰かとの再会に喜ぶようなんて、そんな年でも柄でもないし。
「確かにアリスなら儀礼の場で会うこともあったかもな。あいつは──────」
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洋式特有の柱が定間隔を保ちつつ、幾本も並び立つ。その一本一本はかなりの巨大で、一本でも豪邸の大黒柱を語れるほど。この建造物の規模はそんな文章で語り尽くせるだろう。
柱の間から柔らかな陽射しが差し込む。陽射しに照らされた廊下は荘厳な雰囲気に包まれ、陽射しの合間に美しく整備された中庭も見える。
その長く、幅広い廊下には足音がよく響く。
「で、どうだったの? 会ったんでしょ、彼に」
どこか艶めかしくも、品のあるような声が問いかける。
「ああ、何時ぶりだったかな。元気そうだったよ」
答えるは、先日とある飲食店でとある一教師に伸された男の声。あの日の陽気な声とは打って変わり、この日の男の声にはどこか風格が宿っていた。
「それは何よりね。最後に見たのは、まるで行所を無くした旅人のように生気のない顔だったもの。彼が自分で居場所を見つけて、今も元気にやっているなら一安心ね」
「・・・・・・・・・そうだな」
どこか浮かない様子で男は生返事をする。
「で、また負けたの?」
「・・・・・・・・・」
返す言葉もない男にはそれを否定できない。その様子を察した女はクスクスと笑い出す。
「ふふっ。やっぱり勝てないのね。彼もまだそれほど鈍ってないってことなのかしらね」
「あれはレンガの凹凸を整備してなかった道路工事のやつのせいだ・・・・・・」
「『負けた時の言い訳はしない』じゃなかったっけ?」
「・・・・・・アイツの言葉か」
男はチッ、と舌打ちをし悪態をつきながら、足取りを少しだけ速める。
「確かに鈍ってはいなかった。格闘技術はあの頃のままだ。そしてどこか冷めていて、冷静で大人びている。口数少なく、敵を鋭く貫くような目をしている」
そこで少しだけ間が空いたのはなぜだろう。それは偏に哀しみや憐れみがあったからなのかもしれない。
「そんな奴は、俺は知らない」
「!!・・・・・・・・・」
聞いていた女は少しだけ驚いた表情を見せるが、それはほんの一瞬のこと。彼女はすぐに哀しそうな表情を貼り付け、相槌を打つ。
「そう・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
空虚と化した空間には、変わらず歩き続ける2人の足音だけが響き渡る。
煌びやかな装飾も、高級感漂う名画も、それだけで芸術のような中庭の風景も、今だけは意味をなさず、人の目を惹くことはできない。荘厳な雰囲気も、なぜか寂しく感じられる。
少しだけ前を歩む男が、今どんな表情をしているか女には伺えないが、その背中はいつもより小さく見えていた。
たが彼と彼女も往年の付き合いだ。だからこそ彼女にだけは、男の後ろ姿に、ジリジリと燻る炎が見えていたかもしれない。
「・・・・・・変わらずには、いられないのね。誰も」
そうポツリと呟いた彼女もまた小さく見える。
「いいや。人はそう簡単には変わらない。あれは、
人が変わった、とは言わねぇよ」
彼は悔しげにそう吐き捨てた。
「分からねぇわけないのにな・・・・・・・・・」
それ以上はお互い何も言わなかった。もう充分に言いたいことは言い尽くし、聞きたいことは全て聞けたのだろう。
男は真っ直ぐ前を見て歩いていた。
女は少しだけ視線を斜め前に落とし、歩いた。
足取りはお互い変わらず、いつの間にか二人とも並んで歩いていた。
長く、どこまでも続いているのではないかと錯覚させるような廊下の先に3人の鎧を着た兵士の姿があった。兵士はずっと歩き続けていた2人の男女の姿を確認すると、
「お帰りなさいませ! アルフレッド軍曹長、シルヴァーニ師団長。国王陛下がお待ちです。どうぞお通りくださいませ!」
一言一句、ズレることなく3人でその文言を読み上げてみせた。しっかりと敬礼も忘れていない。
2人は兵士の壁を通過し、柱の間から拝める首都ヴェネスの街並みを一瞥し、また歩き続けた。