望んだ日常
「祖の炎は、地を焦がし、地を焼き払わす。『龍炎』ッ!」
学院の敷地内。実戦場にて一筋の炎柱が立ち上る。炎柱だけではない。周囲を見渡せば、氷やら雷やら、なんなら木まで生えてきたり、撃ち落とされたり。一般人がこの場を見たら、地獄か、とでも勘違いしそうな光景だ。
普段ならこんな暴挙は許されるはずもないのだが、この時期だけは許可が降りる。それは偏に実戦が迫ってきているから。
「先生どうですか? 俺の龍炎」
「・・・・・・・・・しょぼ(ボソッ)」
「にゃにぃ!?」
「ま、まあ法名なんざイメージできれば何でもいいんだしな。むしろ実際に威力が弱い魔法も、強そうな法名を名乗って強くイメージしようとする試みはいいかもな」
「暗に威力弱いって言われてるし!」
人間には遥か昔から魔法が授けられていた。
しかしその仕組みは、魔力というエネルギーを元に行使されているということ以外は謎に包まれている。
人が持つ魔力が、「気砲」と呼ばれる魔力を放出する器官を通って、人の想像を形づくる。それが魔法だ。
つまり魔法とは、魔力を燃料に、想像を設計図にして造られる、一つの芸術のようなもの。想像力、イメージ力も大事な要素だ。イメージなくして魔法は使えない。
「まだまだやっぱり実戦不足だな」
「授業では出力の調整しか練習してきませんでしたしね・・・・・・」
「そりゃ魔法の出力なんざ、ある修行を積めば誰でもある程度までは伸びるからな。それを念頭に置いて、1年の時には知識とコントロールを培い、2年では魔力の限界値を底上げし、1年の時に得たことをモノにするってのが学院のカリキュラムだ」
誰でも伸びる、という甘い言葉に反応したのかマックスは少しだけモチベが上がった様子だ。
「誰でも伸びる修行ってどんなやつですか!?」
「肉体強化とか気砲の肥大とか、ま、目に見えてスパルタだな」
「あははー、・・・・・・分かってましたよ」
上げて落とされたマックスは肩を落とし、見るからにモチベが下がった様子で修行に戻った。
魔法の威力は魔力の出力に比例する。そして魔力とは体力や筋力と同じように、人間の生命力に属するものだ。
魔法の行使で消耗した魔力は、呼吸によって体内に取り入れられた大気中の微細な魔力を元に、心臓で生成され、元通りとなる。だが過剰に使用し、魔力が欠乏すれば生体活動の危機となり、完全になくなれば即死だ。
ところが人間の体はそれを許さない。普段はリミッターをかけ、最悪の状態にならないよう保持魔力の中に、使わせない魔力というものを残すようにしている。だから人間が普段、どれだけ頑張っても使える魔力は能力の六割程度に留まる。
つまるところ魔法の威力を上げるためには、使える魔力のリミッターを押し上げていけばいい。
魔力は生成された後、筋繊維に蓄積される。後の工程はお分かりいただけるだろう。
というわけで特別解放された体育館のトレーニング室に行くと・・・・・・
「んぬヴァァァあぁああぁぁあああ!!」
「はい、あと2かーいィィィ!!」
「せ・・・先生っ・・・俺、もう・・・無理・・・・・・」
「馬鹿野郎ッ! もう無理と思ってから2回が勝負なんだよッ! そこで筋繊維を引きちぎるんだァ! さあ歯を食いしばれ! 目も食いしばれェ! あと2かァァァい!」
その瞬間俺は扉をそっと閉めた。何も見てない。変なテンションの熱血教師も獣のような叫び声を上げる生徒もいなかった。
そのままその場から走り去ろうと━━━━
「メヴィウス先生じゃあありませんかぁ!」
「あ、リック先生お疲れ様です。じゃ━━━━」
その瞬間、肩を掴まれた。
「ちょうどA組の生徒も筋トレに励んでますよ! どうぞ先生もご一緒に!」
「い、いや別の指導がありますし、ちょっと様子見に来ただけなので・・・。それに身体強化は専門外ですし・・・」
振りほどいて逃げようとするが、握力が強い! 離れそうにない! ヤバい!
「まあまあそう言わずに!」
「いや本当に遠慮しときますから! ええい離せぇ!」
もはや荒っぽい態度も言葉遣いも気にしない。とにかくここから逃げねばならぬ。
「私は気づいてますよ、実はその服の下・・・かなりいい身体をお持ちですよね・・・専門外なんて謙遜のはず! さあ一緒に筋繊維を引きちぎりましょう!」
「うるせええええ!!!」
筋繊維よりもアンタの手と俺の肩の接合を引きちぎりたい!
いい大人の男同士で白昼から激しい取っ組み合いという、熱いというかむしろ暑苦しい構図が繰り広げられていたところ━━━━
「うるさいのは先生ですよ。もう・・・・・・」
やたらスポーティな格好をして、呆れた様子のアリスが現れた。
髪をアップにして首元にはタオルを巻き、半袖半ズボンだ。上にはシャツ一枚らしく双丘の主張がいつも以上に激しい。半ズボンからすらっと伸びた白い脚は、やはり名戦士らしく程よく鍛えられているのが分かる。
「なんだ。お前も筋トレ中だったのか?」
「はい。いくらもう学生には収まれぬ身でも、身体強化は欠かしてはなりませんから。先生はどうなさったんですか? もしかして薄着で息を荒くする私を見に、とか?」
「お前それ絶対、他の奴らに口外すんなよ? 違うからな?」
こいつ・・・もう素でそんなことを言うように、いや最初からだったか。
未だリック先生と取っ組み合ったままで釘を刺す。というか早く離してほしい。暑い。
「ややっ! メヴィウス先生、もしかしてA組の生徒を見にこられたのですか!? それは失礼! 早とちりで共に汗を流しに来たのかと思ってしまいましたぁ!」
いや最初から、見に来ただけって言ってたんですけど・・・。
何はともあれ離してくれた。しかし取っ組みあったシャツの腕の部分には、自分のものではない汗でシミができている。これもう捨てよう。
そのままリック先生は「気が向いたらお待ちしておりますー!」とトレーニング室に姿を消したが、おそらく気が向くことは未来永劫ない。
というわけでこの場にアリスと2人取り残された。
そこから静寂が訪れる━━━━ことはなかった。
『計期』の魔法を使ったアリスの目の前に、光の時計が現れる。時計は既にこの授業の終わりと、昼時を示していた。
「もうお昼時ですね」
「確かにもう魔力の反応が無くなってる。みんな昼飯時かな?」
魔力を使い続ければ空腹は促進される。人間、生きてるだけで空腹にはなるのだ。今頃、学院食堂は高等部2年生で溢れかえっているだろう。
「先生はお腹すいてないんですか?」
「いや・・・そんなことはない・・・けど・・・」
そこまで答えて、自分が見事に彼女の思惑に乗ってしまったことに気づく。もう遅い。
それを聞いて、少しだけ口の端を釣り上げたアリスは、
「学院の近くにおいしいお店があるんですよ。良かったらご一緒にどうですか? 見たところお弁当もなさそうですし、学食もとても今からでは間に合いそうにありませんし」
もう逃れる余地もない。
なんて俺はこの子の罠に引っかかりやすいんだろう・・・。
学院を離れ、少しだけ歩くとそこには学生や役員などを狙いとした食堂が立ち並んでいる。表通りにあるような食堂なら、よほど早く来ないと席は埋まる。
実を言うと学院の学食はかなり美味で、栄養も考えられているものの、なにぶん高い。
学院に通っている生徒には名家出身の生徒も少なくなく、経済的には豊かな者が比較的多い。だからこそ学食も高価な物にだんだんと変わっていってしまったそうだ。
しかし、もちろんそんな生徒ばかりではない。中には名家どころか、学院に通うだけで精一杯な経済事情の家から、一家の期待を一心に背負って来ている生徒もいる。そういった生徒には、国や学院から返済不要の奨学金が下りているが、それでも経済的余裕はさほどなく、名家出身の者たちのようにはいかない。
そんな生徒たちに優しいのが、学院周辺の食堂である。
安く、量も多く、値段の割にはコスパがいいのが最大の特徴。なんせ店側もそれを計算しているから。中には、学食には及ばずともかなりの美味を提供してくれる店もある。それを求め歩くのも一つの楽しみかもしれない。
もっとも名家の人間はそれを実行する手間よりも、金銭的負担の方を軽く考え、そんなことしないのだが、ここにいるお嬢様はその趣味がありそうだ。
鼻歌交じりに歩く彼女に連れられて歩くと、表通りを通り抜け、裏路地に入った。
距離的には学院からそこまで離れていないが、人の寄り付きにくそうな裏路地にその店は佇んでいた。
「ここです!」
そう言って彼女は木製の戸を押す。戸はかなり古いようでギィィィと高い音を立てながら開いていく。
「いらっしゃー・・・あらアリスじゃない!」
アリスが店に踏み入ると同時に、カウンターにいた女店員が慣れた口調で歓迎する。
「ウルティカさん、お久しぶりです。2人なんですけど空いてますか?」
「ああ奥のカウンターが空いてるよ! 座りな座りな」
どうも常連だったようだ。
店の中は多少混んでいて、席に余裕があるわけではない。しかしその席を埋めている客のほとんどが大人の男たちだ。学院の関係者などおそらく1人も居ない。ゴテゴテした格好から見るに、国の役員などもいないだろう。冒険者か戦士たちだろうか?
「あら珍しい。殿方と一緒かい!こちらはお兄さん?」
「私の先生ですよー」
「あら! 魔法学院の教員さんかい!」
「どうも。この子の担任です。以後お見知りおきを」
紹介に預かり、一応挨拶し一礼しておく。また今後この子の策に引っかかることもあるかもしれない。
「もともとこの店ではもの珍しい魔法学院の関係者での常連さんが2人に増えるとはねぇ。うちも有名店の仲間入りかねえ?」
来店初回で常連認定された。これではまるで強制的にまた来なくてはならないみたいな流れではないか。これもアリスの計算のうちか?
「じゃあウルティカさん、いつもので」
「あいよ! いつものだね」
何それかっこいい。
いつもの。それはある一種の無詠唱魔法のようなもの。普通なら詠唱してイメージを高めてからでなければ発動できない魔法(注文)を、何度も繰り返し使用(来店)することによって、いつしか無詠唱で発動(注文)できるようになるという、その魔法に熟練した者(常連)でなければ成せない業だ。
「で? 先生は何にするんだい?」
「あ・・・えっと・・・・・・」
常連認定されたものの、まだ常連ではないのでメニューをとって確認しようとする。
「この店は豚肉の香味焼きが本当に美味しいんですよ。もちろん他のメニューも美味しいものばかりなんですけど、初回のおすすめはやっぱり香味焼きですかね」
「へぇ・・・・・・」
常連さんの言葉だ。間違いはあるまい。
「じゃあそれでお願いしようかな」
「はいよ! お父さんー! いつものと香味焼き1つー!」
ウルティカさんはカウンターから動かぬまま、厨房に向けて声を上げた。
どうやらこの店は家族経営のようだ。彼女本人もかなり豪気なものの、年齢は俺よりも一回り若そうに見える。ヴィネアと同じくらいだろうか。
彼女はそのままカウンターに肘をつくと、こちらと談笑する姿勢に入った。
「それにしてもこの子の担任の先生とはねぇ。やっぱり生徒は教師に似るのかね?」
「え? 似てますか?」
唐突な言葉にアリスが問い直す。
「似てるさぁ。どことなく気品というか、オーラがあるよ。きっと先生の教えが良かったから良い方に似たんだろうね」
「いえ・・・。この子はとびきり優秀ですから。私からこの子に教えることなんてありませんでしたよ」
両者からの褒め言葉にアリスは少しだけはにかんだ。
「ははっ! 確かにこの子は名家の子だからねぇ。そりゃ優秀だろうさ。でも教師から生徒に教えることってのは勉強や魔法だけじゃないんだろう? きっと先生からは見えない所でこの子は先生から教えて貰ってるのさ」
「はぁ・・・・・・・・・」
なんだろうこの人・・・。豪気だけどとても鋭い。それでいて人をちゃんと理解している。会ったばかりだけど、それが何となく伝わってくる。
「最初にこの子がウチに来た時ゃ、そりゃ驚いたさ! なんせ人形みたいに美しい美少女が、こんなボロっちくて男臭い店に来るんだもんねぇ」
「ちょっとウルティカさん・・・。人形みたいだなんて・・・」
たて続く褒め言葉にアリス嬢はいよいよ恥ずかしくなってきたようだ。それでもウルティカさんは「いいじゃないか! ホントのことだし!」と止まらない。
「一目見てアタシゃ、『ただのお嬢様じゃない』って確信したよ。ただのお嬢様ならこんな店は目にもくれないし、見つけることさえできないからねぇ」
目を閉じ、遠い過去に思いを馳せるようにして彼女は続ける。
「何て言うのかねぇ、これが『本当のお嬢様』かって思ったよ。庶民の目も世間の目も気にしない、自由に生きる『気高きお嬢様』だ。だから女と見れば、声をかけに行くようなウチの男連中も思わず躊躇っちまった。落とせないと分かったからさ」
横では顔まで赤くした「気高きお嬢様」が机に突っ伏して、悶えていた。
「ただその時にゃまだ『固さ』があったんだよ。料理を出せば、ちゃんと全部食べてくれて、毎回最後には『美味しかったです』と言ってくれる良い子だったが、まだまともに話してはくれなかった」
「あぁー・・・・・・・・・」
あったあったそんな時期。別に悪い印象はなかったんだが何となくその高貴さに気圧されて、誰もが近寄れなかった時代の彼女を思い出した。
だがその殻を破ってしまえば、内に眠っていたこの子は意外と単純で━━━━、
「だがある日この子が店に来た時、雰囲気が変わってた気がしたのさ。それで『ここだ!』と思っていつもより話しかけたら、笑って返してくれたのさ。そこからだねぇ、この子と今のこの関係を始められたのは」
「色々あったんですねぇ・・・・・・」
俺も色々、紆余曲折を経てこの子と今の関係に落ち着いた。落ち着いた、のかどうかは謎だが、以前よりは遥かにマシな関係のはずだ。
「ううぅぅ〜〜! もう私の昔話やめー!」
「ははは! いつもに増して可愛いじゃないか!」
ついに堪忍袋の緒が切れたアリスを、ウルティカさんは笑って受け流す。きっとこの関係には俺の知らないストーリーがあるのだろう。どちらかというと俺もこんな関係が築きたかったなぁ・・・。やっぱりあの時、恋バナから入ったのがまずかったか?
「ほい、お待ちぃ! いつものと香味焼きだよっ!」
話に花を咲かせている内に調理は終わり、奥から娘さんに雰囲気そっくりな親父さんが注文の品を持ってきた。
目の前に置かれた、厚切りの豚肉を色とりどりの野菜と一緒に香味で焼き上げた料理は、鼻を刺激し、あまり湧いていなかった食欲をそそった。
そのままカウンターに残ったウルティカさんが、結局アリスの昔話をネタに会話を盛り上げ続け、終始落ち着けなかったアリスはきちんと全部食べきってから、謎の疲れに襲われていた。
自分が食べた料理の味は、正直あまりよく覚えていない。が、とても美味しかったし、なんだか家庭的な味がした気がする。それが料理によるものなのか、会話によって盛り立てられた雰囲気によるものなのかは分からない。
そして食べ終わって、のんびりと食後の時間を過ごそうとしている時━━━━、
俺たちが来てから、ずっと押されることのなかった店の押戸が押し開けられた。
「いやー今日も疲れたー! ウルさーん、いつものひとー・・・・・・つ、あん?」
「あ?」