日常と黄昏
校長室で励まされてから3日。
途中から耐久戦となり、決着に一月かかる可能性もあると推測されたヴァルトピアとアリネシアの戦争は、予想よりも遥かに早く幕を下ろした。
なんでも消耗戦の途中で、危険種の魔獣が戦場に乱入し、両軍予期せぬ損害を受けたのだとか。それが決定打となり、両軍折り合いをつけ撤退したそう。
結局、ヴァルトピアから仕掛けた資源争奪戦争は何ももたらさずに終結した。
戦争が行われていたのは国外であり、首都ヴァナスにはなんの影響もなく、その間も我がヴァルトピア国立魔導学院では平常進行で授業が行われていた。
必然と教師である俺も普段となんの変わりもない日常を過ごした。
日中は生徒達を相手にいつも通り授業を進行し、放課後は研究室に籠る。至っていつも通りだ。
校長室でかつての恩師から激励を受けた後はなんだか希望に満ち溢れたような感じもしたが、5日間そんな生活を続けたせいからかその熱もすっかり冷めた。
戦争が終わってからもう二日が経つ。
恐らく戦争に参加していた兵士達もさすがに安息の地に着いていることだろう。
それは彼女も例外ではない。
昨日は金曜日で今日は土曜日。つまり明日は日曜日。
国立の魔導学院とはいえ週末の土日は休みだ。
まぁ部活やら研究やら、勉強やらで登校してくる生徒は何人もいるのだが。
研究室の窓からは昼下がりの陽が差し込み、そこからは美しく整備された中庭が見える。
換気でもするかと窓を開け放つと、半閉じになっていたカーテンが風にたなびく。
それと同時に管楽部の奏でる音色、魔導競技部固有の野太いかけ声、中庭のベンチに腰掛け、会話に花を咲かせる女生徒の声など様々な音が聞こえた。
窓枠に肘をつき、それらの音に耳を傾ける。
ゆっくりと目を閉じれば、穏やかな風が頬を撫で、様々な音のコーラスが耳を包み込む。
これが青春か、と言いたい。
だが俺は青春を知らない。なぜならほとんど学校には来れなかったし、友達と呼べるような人もいなかった。
もしあの頃、普通の学校生活を送れていたなら今の自分はどうなっていたのだろう。
目を閉じながらそんなことを考えてしまう。
過去に戻れるような時間操作魔法など存在していない。そんなこと考えるだけ無駄なのは百も承知だ。
ただ問いかけたいだけなのだ。
知ることと知らなかったこと。どちらが幸せだったのだろう、と。
もし何も知らずに育った自分を見たら、今の俺は何を思うのだろうか。
何も知らない愚か者だと鼻で嘲笑ってしまうだろうか。
俺は、そうは思わない。
恐らくただただ羨むだけなのだろう。
ただ無邪気で、無知で、純真で輝かしい自分を。
そんな回想はバサバサと羽ばたく、何者かの羽音で打ち切られる。
ゆっくり右手の指を差し出すと、その者はそこに着地した。
「おかえり、ローザ。散歩はどうだった?」
「チュンチュン」
「そっか。そりゃよかった」
指にとまったスズメに問いかけると、いかにもスズメらしい返事が返ってきた。
スズメは俺に返事だけすると、研究室の天井に取り付けられた巣箱に自ら入っていった。
「うーん。今日の日差しはなんかいい感じらしい。俺たちも行こうか、クロ」
ゆっくりと背伸びをしながら、部屋の隅で寝ていた黒い犬に呼びかける。
「ワン!」
普通の人ならそれは犬風情の返事代わりの鳴き声にしか聞こえないだろう。
だが俺にはそれがしっかりと意味を持つ言葉として聞こえる。
「何? ずっと待ってたって? じゃあ早く言えよー」
窓は開けたまま、研究室を出ていく。