同じ運命
「貫け、『鋼矢』」
息をするかのように、いとも簡単に短縮詠唱を行なってみせる。
魔法により放たれた矢は、魔導石を貫通し、門の柱に突き刺さった。
「ふぅ・・・・・・・・・・・・」
一息ついた感じを装ってみるのだが、ここまで高速で駆けてきても息一つ上がってはいない。
警報システムから南門までの距離は、決して近くはない。一般人の足なら持久走ペースで走ってきたところで息は荒れるくらいの距離はあるはず。
「はは・・・・・・。化け物だな、私も」
掠れた声で、寂れた笑いが漏れた。
幼い時から自分が普通の人じゃないことは薄々分かっていた。
努力はすればするだけ成果は綺麗に現れた。いや、綺麗すぎたのだ、きっと。止まることを知らない飽くなき向上心は、それに伴う美しい花という名の結果は、私をいよいよ人間より高位の存在にまで押し上げてしまった。
私のことをよく知りもしない、姿の見えない人々は私に惜しみない賞賛と、無責任な期待をくれた。私をよく知る者たちは、私のことを心を持たぬ機械だと、戦うために生まれた狂戦士だと言った。それを踏まえて彼らは私を天才だと言った。
それは賞賛なんかじゃない。畏怖だ。自分たちとは一線を画した別次元のものに向けるような。彼らはそう言って私から一歩遠ざかっていたんだ。
いつからか私は周りを見ることを忘れ、ひたすらに自分を高めることにばかり執着していた。だから最後まで気付かなかったんだ。私の周りには誰も居なくなっていたことに。
私を知る者は私から離れ、私の容姿しか知らない者たちは私を素晴らしいと褒め称え、希望の女神だと崇める。姿の見えない者たちは私に天才と、国一番という烙印を貼り付け、綺麗で美しいニセモノの私を創り上げようとする。
もうたくさんだった。
私が欲しかったのは期待でも、賞賛でもない。いくら要らぬものを与えられたところで本当の私が薄れて消えていってしまうだけだった。
ただ一人でいい。ただ一人、
本当の私に寄り添ってくれる人が欲しい。
そんな想いを口にはできず、私は消えようとしていた。
今の私の口から代弁することはできないが、
━━━━違う。
私は機械なんかじゃなく、狂信者でも狂戦士でもなく、ただのどこにでもいる年相応の少女だったんだ。
だから私は何度も、何度も、身も心も引き裂かれ、その度に継ぎ接ぎを繰り返し、ボロボロの姿でそこに立ち続けていた。
何のために。何が欲しい。何を守りたい。そんなことは考えないようになった。中身が空っぽのまま、道端を転がり続ける紙袋のようになって、本当の私を失くそうとしていた。
それでも立ち続けた。
何のため? 何が欲しいの? 何かを守りたいの?
それらが当時の私に、本当に見えていたのかは分からない。
ただ、今ならこう言える。
私は待ち続けていたんだ。
━━━━━━貴方に出会うために。
その人はきっと、ずっと、私よりこの世界を知っていた。
その上で私に似た顔をしていた。
彼は私の努力を気高く、純粋で美しいと言った。そして、
『本当に美しいものって大半の人から理解されないものさ。ただ━━━━
━━━━たった一人でも理解してくれる人がいたから、今も輝けるんだろ』
彼がどんな思いでその言葉を口にしたのかは分からない。
ただ幼き日の私はその言葉に涙を流した。声を上げて泣いた。
たったその一言ですべてが報われた気がした。
いたんだ。本当の私を見てくれた人が。
彼は突然泣き出した私を見て、優しい笑みを浮かべてそっと頭を撫でると宥めるように告げた。
『よし、こうしよう。君が欲しいもの何でも一つあげる。そしたら君は泣きやんで、明日からは胸を張って前を向いてまた歩き出すんだ。いいかい?』
私は涙を拭ってこくりと頷き、今までずっと誰にも言えなかった想いを打ち明けた。その言葉はしどろもどろで、たどたどしくて、上手く言葉に出来なかったけど、彼に届いていただろうか。
「私を・・・、私をっ・・・!」
「私のことを・・・見ていてください・・・・・・!」
あの日も、今も、私と彼の関係は変わっていない。彼は私の━━━━
━━━━先生だ。
「くそっ・・・・・・!」
焦燥感が悪態となって、口から漏れた。
額から湧き出した汗が頬を伝って落ちる。
西門の魔導石に仕組まれた魔法陣は中々手が込められており、盛大に時間稼ぎの役割を遂行していた。時間さえあれば解くことはできる。そこに確信はある。
時間に追われた中でどれだけ早くこれを解けるだろうか。
何か魔法そのものを無効化する魔法でもあればこんなことを考える必要すらなく、解けてしまうのだろうか。しかしそんな魔法を編み出すのは途方もなく、誰かがやってのけたなんて聞いたこともないわけで。
そこでふと頭をよぎったのは先刻、アリスがランディに使った魔法。
あれは魔力の流れを支配する魔法だったか。すでに魔力が供給され切っているこの魔法陣では、あの魔法を持ってしても無効化は叶わない。しかしやろうとしていることは同じなのだ。彼女なら魔法を無効化する魔法も、既に編み出していたとて不思議はない。
「待てよ? 魔力の流れ、無効化・・・。・・・・・・そうか」
解き方の思考に詰まっていたところに一筋の光が差し込んだ。
光に導かれるように解法は進む。
「こうこうこう、そしてここはこうして、魔力の流れを変えて・・・・・・」
結果的にまた彼女に助けられた気がした。
先程までとは比べ物にならないくらいの順調さで思考が疾走する。
このまま順調に進めば━━━━
「なっ⁉︎」
順調さに歯止めをかけるかのように、光の柱が赤くその姿を変えた。
それはすなわち起動の時間がすぐそこに迫っているということ。
「クッ・・・・・・!」
そしてその変幻が功を奏し、俺の思考には再び靄がかかった。
「先生!」
更にそこに光明のようにアリスの声が聞こえた。
━━━━良かった。彼女なら何とかしてくれる。
一瞬でもそんなことを考えそうになった自分を殺してやりたくなった。
━━━━また、彼女に助けてもらうのか?
そう囁いた悪魔を、喜んで受け入れた。
普通ならできる人がいるなら任せた方が良かった。失敗は許されないから。だからそれは悪魔のささやきだ。
それでも譲れないから。後ろは振り返らなかった。
三度、彼女が俺を走らせる。
眼球を動かし、指を滑らせ、解法は進む。
生徒に頼ってどうする。俺はこの子の教師だ。人の能力は教師だ生徒だので決まるものじゃないのは重々承知だが、教師が生徒に頼ってしまったら、この子は自分が迷った時誰に頼ればいい? だから虚勢でもいい。格好をつけさせてくれ。
「よし解けた! オラァァァァァ!」
魔法陣が薄く消えていくのを見計らって、ノータイムで拳を叩き込んだ。
拳骨を当てられた魔導石は音を立てて砕け散る。
「あぶねー、間に合った、っておぶぉ⁉︎」
額の汗を手で拭ってホッとしていたところで、背中に衝撃を感じた。
「よかった・・・。間に合ったんですね・・・・・・!」
後ろを振り返らなかったので距離感が掴めていなかったが、アリスがすぐそこまで迫っていたようだ。腰に手を回され、がっちりホールドされている。
まったくこの子は・・・・・・。
時に人を導くような力強さを見せたかと思いきや、時にはただの少女に戻る。ギャップというか、皆が想像する天才とは違うというか。いや、これが本当の彼女なのかもしれない。
「そっちは・・・・・・聞くまでもないか」
「・・・・・・少しは聞いてくださいよ」
「今失敗しましたって言われても仲良く昇天コースだからな?」
「先生とならどこへでも♡」
地獄までもってか? やめてくれ、シャレにならん。
「むふふ〜♡」
腰にスリスリされてる・・・・・・。
もはやそこに戦女神の姿はなかった。戦いの時が終わってスイッチを入れ替えが早いのは良いことだが、ギャップが酷い。
「・・・・・・・・・・・・?」
そこの切り替えも早かったのか、すぐに俺から離れるアリス。
いや何かが違った。その表情には再び修羅が宿っている。
なんだ・・・・・・?
微かに空気の震えを感じた。気のせいか?
そしてポケットの魔導石が反応していたことに気づく。
「ギルか? 何か変な感じが━━━━」
「展望台だ!」
それはランディの声だった。そんなことはどうでもいい。
展望台とは学院の中央にそびえ立つ総合校舎の屋上のことだ。そして今、正しくその展望台から、新たな紅い光の柱が天を貫いた。
「やられた!西門の石と合わせて2段重ねの虚勢だったんだ! 」
現れた10本目の柱。
恐らく展望台の警報システムに埋め込まれた魔導石が元なのだろう。ランディも知らなかったということはまたあの小悪魔の仕業か。
思えばなぜ奴はああもあっさり逃げ出したんだ?
例え転送魔法陣を起動させたところで、発動前に阻止される可能性は考えるはず。そしてそれを考えれば、ここにとどまって何かしらの妨害をするのが最善じゃないか?
それをしなかった理由がこれだ。奴は俺たちが思っていたより周到だった。
さすがのアリスも足が止まっている。今から駆けつけたところで確実に間に合わない。
「「先生ー!!」」
振り向くとサクラの率いる班も、マックス、ヴィネアが率いる班も集まっていた。ダメだ。もう一番近い班が駆けつけるという手も使えない。
終わった・・・・・・?
嫌な癖がでてきた。諦めている時ほど頭がクリアになっていく。
思考は既に転送を阻止できず、送られてくるであろう敵をどう対処するかにまで発展していた。
やめろ・・・・・・。まだ諦めるな・・・。まだ、まだ・・・・・・。
やはり思い出されるのは過去の記憶。
あの日こうしておけば、あの時諦めなければ。そんな記憶がまた一つ増えようとしている。
後悔するのは簡単だ。ただ過ぎてしまったが故にどうにもできない。そのもどかしさが更に自分を闇へと突き落としていく。
縋るような瞳でこちらを見てくる仲間の姿が脳裏をよぎる。
駄目だ・・・・・・ 。そんな目で見ないでくれ・・・・・・。俺には何も・・・。
「・・・・・・!」
顔を上げるとやはり皆がこちらを見ていた。しかしその顔は思っていたのとは違って、
「先生! ど、どうすりゃいいんだ⁉︎ あそこまで走るか⁉︎」
「わたくし、狙撃魔法には自信がありますのよ先生! まぁ届きませんけど・・・」
「この石投げたら当たるかなぁ・・・・・・」
皆はなぜか躍起になっていた。状況は極限まで切迫しているのに。誰一人として俺が何とかしてくれる、と重圧をかけてくる者はいない。
「これ・・・。ここにくる途中で拾ったんだけど。私にはできないから・・・・・・」
ヴィネアが両手で抱えたそれを渡してくる。
「先生。私に出来ることはありますか?」
アリスがそう優しく問いかけてくる。
「・・・・・・結局、俺かよ」
結局、美味しいところを貰うのも責任を負うのも俺らしい。やれやれ。
両手でスナイパーライフルを抱えて、駆け出す。
「アリス! 俺をあそこに乗せてくれ!」
「はい! 踊れ風よ、『竜巻』」
足元から風が吹き上げ、身体を宙に浮かす。そのまま近くにあった校舎の屋上に着地する。
ここからなら展望台が見える。スコープを覗き込み、魔導石を確認する。弾道を妨げるものはない。撃ち抜ける。
スコープに写した獲物が揺らぎ出す。その揺らぎはまるで心の揺らぎが現れたように。
ゆっくり大きく息を吐き、目を閉じる。
視覚からの情報を遮断すると、後ろから声援が聞こえた。それでも集中は途切れない。むしろ段々研ぎ澄まされて、意識の臨界に溶け込んでいくように。
もう失敗しない。もう後悔したくない。
そんな想いも連れて、目を開く。
視界の中心に映る赤い十字の印の少し下、標的が映る。今だ。
ズドン!
引き金を引き、放たれた弾丸は降りしきる雨粒を掻き分け、突き進む。
そして光を霧散させた。
「「よっしゃあああああ!!!」」
そびえていた柱は、雲間から差し込む光に溶け込み、ただの光と化す。
地上に水溜りを作った雨は、光を反射し輝いて見える。
雨はまだ止まない。が、光に照らされた。この天気は一体何と呼ぶのだろうか。
ただすごく自分に似ている気がした。雲はまだ晴れず、雨は降り続けている。だが一筋の光が手を差し伸べた。だとしたら俺はその雨に打たれ光を眺めている人間だろうか。
地上に満ちた歓喜の声と咲いた笑顔の華に釣られて、今、空に虹が姿を見せた。