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心頭に薪を焚べ

「よせ! もう止めろ!」


必死に声を張り上げた。


ランディの足元に描かれた魔法陣は白い光を放ち始めた。つまりそれは、ただの文様に過ぎなかった陣が発動し始めているということ。それすなわち、彼が陣に魔力を注ぎ始めているということ。


「もうお前がそれをやる理由はないだ━━━━」


「!?」


何かを察知したアリスが辺りを見渡す。


何か聞こえる。これは・・・羽音・・・?


上か!



「やーあ先生ぇ。また会えたなぁ・・・」



「!!」


声の主は、俺を転送魔法陣で飛ばした男だった。声色もその小賢しい面構えも何一つ変わってはいない。ただ、ある一箇所だけが異常な雰囲気を醸し出している。


男は背中から漆黒の翼を生やしていた。


「アンタ、契約魔獣か・・・・・・!」


「御名答。まぁ気づくのが遅かったようだがねえ」


それは人間の形をしている。しかし人間ではない。


魔獣とは魔力を持った獣のことである。そして魔獣の中には人並みの知能を持ったものが存在する。グリフォンやケルベロス、またドラゴンなどの一級種魔獣がこれにあたる。


彼らの前では人間など眼中にすらない、矮小で非力な存在。しかし人間はそれ故に魔法を、様々な兵器を開発した。結果、彼らは人間に狩られる存在と成り下がった。一級危険種たちは人間の知恵と協力性に敗北したのだ。


しかし一部例外はいなくもないが、人間一人では彼らに遠く及ばないのが普通だ。そこで知能ある一級危険種たちは生き残る術を探した。


それは「人間の契約魔獣となる」こと。


契約は魔力の強い方に優先権があり、死地に追い込まれ、無理やり契約を交わさせられた人間はその身体を魔獣に乗っ取られる。乗っ取った魔獣は人と遜色ない風貌になり、「人として」生きる。


結果として一級危険種たちは本来の力をある程度失うが、人間に狩られる心配がなくなる。彼らは人という、彼らにとって矮小な鳥籠の中で、蛙の中の蛇として生きるのだ。


「我はガーゴイル(小悪魔)。魔族なり」


口調が変わった・・・・・・。


「小娘。先ほどのことは礼を言っておこう」


「・・・ッ!」


アリスがギリッと歯を食いしばり、後悔するような顔を浮かべる。


「さすがの我でもあれは危なかった。もしお前が我の生死確認を怠っていなければ、殺されていたであろうな。しかし、こんな学院にお前のような猛者がいるとは・・・。油断していたよ」


その短い説明で全てを理解した。


おそらく彼女は勝ったのだ。しかし彼女の捨てきれぬ優しさが仇となり、とどめを刺し損ねてしまったのだろうか。


「すみません・・・・・・先生っ・・・・・・!」


悔しそうな表情を残したまま、彼女の顔は青ざめていく。奴を仕留めていれば、すべては解決していた可能性が高い。思えば先ほどのランディの言葉はそういう意味だったのか・・・。


優しさを残した戦士アリスと奴との相性は、ある意味で最悪だったのかもしれない。


「すべては成し遂げられる! やれ!」


「・・・・・・・・・はい」


小悪魔がランディに命じ、ランディは静かに頷く。


「円環は無数の空間を繋ぎて、その扉を開かん。魔の流れよ、今ここへ━━━━」


足が動かなかった。


頭はひどく冷静で、今走ったとて間に合わない、そう諦めていたのかもしれない。あと四詠節程度で魔法は発動するだろう。


失うのは死ぬほど嫌な癖に、失ってからいつまでも後悔を引きずる癖に、いつも諦めだけ早くて。その瞬間だけ鮮明に脳裏に焼き付けて。だからいつまでも振り返ることをやめられない。



『また、嫌な思い出だけ刻み付けるのか?』



声が聞こえた。心は奮い立たない。足も動かない。



「廻れよ還れ(ことわり)の元へ」



声が聞こえた。確かに聞こえたその声は、強く、気高く、響く。


「なっ!?」


驚きの声を上げたランディの腕には、白く輝く筋が浮かび上がる。


あれは・・・魔力の流れ・・・?


人間がどのように魔力を行使して、どの部分から魔力を放出しているのかは、現代の人体学では定かにされていない。しかしそれは確かに魔力の流れのように見えた。


彼の腕から魔法陣に注がれていた魔力は、術者の意図に反し、魔法陣から彼の腕を通り、元あった彼の体内へと戻っていく。


「これは・・・?」


「彼の魔力を操作しました」


・・・・・・・・・・・・は?


「彼の魔力操作の主導権は私にあります。もうあなたはその陣を起動させることはできませんよ」


他人の魔力操作権を奪った? バカな、ありえない。


「う、嘘だ! くそっ! なんで! なんでっ!」


右手を左手で抑え、力を込めて魔力を行使しようとするランディ。


しかし微塵にも、魔力が流し込まれていく気配がない。どうやらアリスの言ったことは冗談でも、馬鹿げた絵空事でもないようだ。


「はっ、ははっ・・・・・・・・・」


感情のこもらない笑いが漏れ出た。


魔力の行使さえ詳しく解明されてすらいないのに、そんな中で他者の魔力を操る?


そんなことできると考えもしなかった。


「間違いない・・・・・・・・・これが天才か・・・・・・」


意識せずその言葉を口にした。


ただ傍観するだけだった周りの生徒たちも、つい口が開いてしまっている。


経験したこともない状況の中で、とんでもない魔法を見せつけられた。上空を飛ぶ規格外の存在ですらも、その顔に驚きを隠せない。


何より、足が動かなかったあの時、彼女だけがあの状況を打開する希望を持っていた。彼女だけが━━



━━誰かを救おうとしていた。



そこに越えられない壁を感じた。


英雄か、凡愚か。


才能や、強さ、人望、地位、名誉。そんなものじゃない。


選ばれた者が持つその力は。


俺にはない。


誰かが困っている時に迷わず手を差し伸べ、今にも友が殺されそうになっている時に颯爽と現れ、救い、強大な敵を相手に一歩も臆する事なく立ち向かい、戦いの中で成長し、打ち勝つ。


それが英雄。


だが夢と現実は相違している。


誰かが困っていても手を差し伸べる余裕はなく、友が殺されそうになっている場には間に合わない。居合わせても助けるどころか、足手まとい。強大な敵を相手にすれば、吹いて飛ばされる。


負けてばかり。守れたものはない。


暗い顔をした俺と、全く同じ顔をした者がいた。


「じゃあ、僕はもう・・・・・・・・・」


ランディはまるで支えを失ったかのように、膝から崩れ落ちる。


彼がいくら陣を起動させたくとももうできない。


方法があるとすれば、それはアリスを倒すことくらいだが、元々戦闘の経験も適性もない彼が、英雄少女に勝つことなど天地が逆転してもありえない。


魔力媒体を失った魔法陣はもはやただの落書き。仰々しくも虚しくそこにある存在は、異様な雰囲気を醸し出していた。


「あとは、お前を片付けるだけだな、烏野郎」


上空から高みの見物をしていた小悪魔に向かってそう告げた。


事実上の勝利宣言だ。魔法陣はもう起動しない。そして直接戦闘もこちらの完勝。今から奴一人で挑んできても負ける気はしない。


大人しくこのまま逃げ帰るだろう━━━━誰もがそう思っていた。


「やれやれ、これだから無能は・・・・・・」


小悪魔が首を横に振って呆れた様子で言う。


化け物風情が・・・人間みたいな態度をしやがって・・・・・・。


「頼む、妻と娘を返してくれ!」


両膝をついた状態のランディが、上空に飛ぶ化け物風情に乞うように言う。


「返す? 契約を守れなかった奴の願いを聞く義理はない。用無しは消えろ」


「用無し? この人がいなきゃあなた達の目的は果たせないんでしょ? 消えるのはあなたの方よ!」


化け物の言い分に憤りを感じたのか、アリスがいつもは見ない強い口調で言い返した。


「果たせない? ハハハ。誰がそんなことを言った?」


「何だと・・・?」




「私が奴に期待したのは魔法陣を描くところまでだ。契約内容は陣の起動までだがな。要は描いてさえしまえば、それを()()()()()()を用意するのは他愛もないのだよ」




小悪魔が服のポケットから何かを取り出す。それは━━━━魔力石(マナタイト)⁉︎


「しまった!」


悪魔によって投じられた魔力石は魔法陣の真ん中で砕け、七色の粒子を散らす。


そして━━━━



「なっ!?」



自分を取り囲んでいた紋様が再度輝き始めたのを見て、ランディが驚きの声を上げ、後ずさる。


「フアハハハハハッ! これで終わり! 全て計画通りだ!」


「クソがッ!」


おそらく奴はランディの魔力をどこかで回収し、魔力石に抽出していたのだ。そんな手は少し考えれば読めたはずなのに・・・!


しばらくの平和の中で、俺は自分の勘や思考を鈍らせていた・・・・・・!


「そう言えば、お前の妻と娘なぁ・・・・・・」


したり顔の悪魔がランディに向けて告げる。


()()()と留守番だからなぁ、もしかしたら━━━━」




「もう、いろいろ手遅れかもなァ・・・!」




そのまま嗤い声と共に飛び去っていく。


「はは・・・そうか・・・・・・」


絶望を突きつけられたランディの顔から、いよいよ生気が消えた。


それとは対照的に輝きを増した魔法陣が、光の柱を天へ伸ばした。


「先生! あれ!」


生徒の一人が指をさしたその先にも光の柱が見えた。


そして塔から学院中を見渡せば、同じものがあちらこちらから幾本も。


あれは何だ・・・? 一体何が起きている・・・? 魔法の底が見えない。


分からなかった。


しかし集った生徒たちは揃って不安げな顔でこちらを見てくる。誰しも考えていることは違わないだろう。その視線が、期待が怖かった。



俺は・・・・・・どうすればいい・・・・・・?



「先生・・・先生っ!」


「!?」


上の空になっていたのを、アリスの声で正気に戻される。


「これっ・・・!」


腕を掴まれ、何かを手に握らされた。


「これは・・・・・・」


「ここにくる途中でカイちゃんに渡されたんです。多分忘れ物だったんじゃないですか・・・?」


それは机の中に置き忘れた魔力結晶だった。いつもは肌身離さず持っているのだが、緊急事態だけあって持たずに部屋を飛び出してしまった。


魔力結晶は自らが魔力を持っている物ではなく、何かから魔力を吸収し、それを任意のタイミングで打ち出すための物。魔力は持っているが、行使できないという人が使うもの。つまりこれを渡すということは━━━━




「きっと・・・まだ闘えますよ。誰かのために・・・」




アリスは真っ直ぐに俺の目を見てくる。


「理想通りにはいかないかもしれないですけど・・・それでも闘えます。それに━━━━」




「私が、ついてますから・・・・・・!」




不思議だ。


微笑む彼女にあてられたのか、根拠のない勇気が湧き出る。


自信過剰。鼻の伸びた天狗。高く飛びすぎた鷹。


何でもいい。すぐに諦めてしまうよりはずっといい。


冷静さを欠けば死に繋がる。しかし、時に冷静さは好機を逃し、視界を曇らせるという。


何のために? 知らない。


今は━━━━




「いいだろう。騙されてやるよ」




利益。リスク。そんなドライな考えは捨てる。


盲目に、ただ熱く。よく分からんこの怒りに火を灯せ。


真っ直ぐに視線を向けた。


何処を見たのかはわからない。


この決断がどうなるのか。今は誰にもわからない。


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