堕ちし者
「よォ先生。またあったなァ〜」
光から解放され、視覚より早く聴覚から情報が入ってきた。
「初めましての間違いじゃねえか? アンタみたいな悪人面の人間と知り合った覚えはないんだが」
「寂しいこと言うなよォ〜。俺ぁここんところずぅ〜っとォ、あんたに逢いたくて仕方なかったってのによォ」
悪人らしい声でラブコールを送りながら、長身痩躯の男は背負っていた物を外す。
「それは・・・!」
男が下ろしたのは、特徴的な細長い銃身のスナイパーライフルだった。
「思い出してくれたかァ? 嬉しいぜェ〜」
メイシャの鐘で俺が突き落とした男が持っていた物とは異なる。それは恐らく俺を狙撃したあの銃だ。
「あの時は外してくれてありがとよ。助かったぜ」
「 外したァ? 冗談キツイぜ、あんたが躱したんだろォ? 俺ぁこの仕事を始めて十数年、外したことぁねぇんだ。あんたが初めてなんだよォ、先生・・・・・・」
穏やかな文面で語るが、口調には明らかな怒気を混じらせている。
そのまま彼はライフルの銃口をこちらに突き付けてくる。そこそこの距離があるので手で銃身を弾いたり、以前やったように掴んで近接戦闘に持ち込むこともできない。
「参ったな・・・・・・」
使えるものはないか、と辺りを見渡してみる。
どうやら中庭に飛ばされたようだということに今気づいた。飛ばされる前に居た場所からここまでは直線距離にして数十メートルというところ。やはりあの短時間で形成した小さめの魔法陣ではこの距離が限度だったのだろう。
しかし中庭は校舎内に比べて見通しが良過ぎる。
つまり銃を装備した敵にとっては最適な場所。
(さて・・・どうしたもんかな・・・・・・)
考える。
今、俺の身体はアリスがかけた防壁魔法で守られている。彼女の張った防壁ならライフルの銃弾も三、四発なら受けられるだろう。
しかし本当に敵が外さないなら三、四発じゃ足りない。
「考えてるなァ〜」
その声はまるで思考に入り込もうとしてくるようだった。
「だが、必死さはまるでねェ」
「・・・・・・」
「先生よォ。あんたも元軍人なんだろォ? 銃弾を躱し、銃を持った敵を近接戦闘で撃退する。あの夜あんたがやって見せたことは確かに、とても一般人の所業じゃなかったしなァ」
内通者からの情報がなくとも、恐らく彼はあの瞬間にそれを確信していたのだろう。
「だったらあんたも分かるはずだァ。相手の目を見れば大体何を感じてるかとかなァ〜」
そうだ。分かる。
今まで幾人もの敵を相手にしてきた。
戦場という命を懸けた場では人の本心が顔、特に目に出る。例えば新兵なら敵を前にした緊張の色、家族がいる者は絶対に生きるという決意、戦闘狂なら純粋な喜び。たくさんの「目」を見てきた。
だから嘘偽りのない目なら、見るだけで思考が分かってしまう。
「だから俺には分かっちまう。あんたはこの状況に全く危機感を覚えていねェ。何とかなると思ってやがる。
その裏には一体何を隠してんだァ〜? 怖いねェ」
いよいよ敵が引き金に指をかけた。
それを見て俺は敵と反対の方向に全力で駆け出す。
「フアハハハハ! そうかそうか逃げるってかァ! いいねいいねェェェ!」
普通なら横に不規則に走って、照準から外れるながら逃げるのが定石だが、今回は小細工なしの直線全力疾走だ。筋力をフル稼働して物陰へと一目散に駆ける。
一発。
鈍く、鋭く発砲の音が響き渡る。
放たれた銃弾は防壁によって俺には届かない。だが防壁は明らかに悲痛の叫びを上げた。もってあと二発というところだろうか。かなりの威力だ。
敵の持ってるあのライフルには見覚えがある。
威力や殺傷能力、制度は極限まで高められている。薄い防具の兵なら胴体撃ちでも即殺できるだろう。鉄の鎧も容易く貫通するはずだ。
しかし一つだけ大きな欠点がある。
それはボルトアクション式であることだ。あの銃は一発撃つごとに銃の側面にあるボルトを引き、薬莢の排出と次弾の装填を行う必要がある。つまり連射できない。
「チッ!」
仕留めたと思ったのだろうが、銃弾を防壁に弾かれ、敵は苛立ちながら装填を行う。
(今だっ!)
ここぞとばかりに脚に力を入れて、地を蹴る。
視界の先には中庭に植えられた大きなサクラの木が何本か見えた。あそこに隠れられれば反撃でき━━━━
「え・・・・・・・・・?」
何が、起きた・・・?
突如視界がふらつき、膝から力が抜け落ちる。
支えを失った体は、前に進んでいた推進力をそのままに転倒する。
「クソッ、あれだけでかよッ!」
倒れているのに視界はぐらつきが収まらない。
魔力不出症の中で魔力を使った反動だ。
さっき氷剣を生み出したせいなのだろうが、いつも通りならこうはいかなかった。
しかし一つの忘れ物がいつも通りを崩している。
ズダアアアアン。
銃声音と共に防壁が軋んだ。
「おーいおーい、先生よォ。運動不足かァ〜?」
転倒しているうちに距離を詰められてしまった。
「ていうかァ、その防壁魔法硬すぎるぜェ。一体誰に張って貰ったんだァ?」
ズダアアアアン。
放たれた銃弾は俺の目の前で防壁に止められ、力なく地に落ちた。
そして軋みの音は広がり、銃弾を受けた所からヒビが入り、バリバリと音を立てて防壁は崩れる。
「このライフルの弾を三発かァ、性能良すぎだぜェ。そんなもん張るやつが戦場にいたらと思うと恐ろしいったらありゃしねェ」
鉄をも貫通する威力だ。普通の防壁なんて紙同然だろう。
「いるんだよ」
力を込めた声で言ってやった。
「あァ?」
「いるんだよ、この世には天才って奴が」
その声には誰に向けたものかも分からぬ怒りを込めた。
「上には上がいるんだよ。自信があるみたいだがきっとアンタの射撃技術も世界中探せば、上なんて星の数いる」
「・・・・・・挑発のつもりかァ?」
敵は挑発だと見切ったつもりだろう。それでも若干頭に血が上っているようだが。
だがこれは挑発じゃない。
「ただの自虐さ。どんだけ努力しようが、人が元から持ってる物の差は埋められない」
人は生まれながらにして平等なんかじゃない。
「でも戦場じゃそんなことは言ってられねえんだ。どんだけ強い相手を前にしても戦う。戦わなくてもどうせ死ぬしな」
「何だァ〜、悪足掻きの覚悟でもしたつもりかよォ?」
悪足掻きか・・・・・・。
少しだけ口元を歪めながら、俺は独り言を続ける。
「運良く死を免れたこともあった。だがその度に何かが犠牲になってゆく。その度に何かを失う」
沸々と自分の周囲に黒いオーラが湧き出ている気がした。
「強大な力を前にして俺は、いや俺たちはあまりに無力だった・・・・・・! 何がいけなかったのか、どこから間違っていたかも分からない!」
自然と声を張り上げていた。
いつからか降り注いでいた雨の冷たさも知らず。
「そうだァ! 弱え奴ァ自分がなんで死んだのかも分からねェまま死ぬんだァ! 全く哀れだよなあああァ!」
敵はついに銃を構え、照準を定めた。
俺は視界の隅に映る、棚引くカーテンを確認し、
「汝、契約の時来たれり、我が命に於いて━━━━━━」
「ヒャアハハァ! 何だァその魔法はァ? ていうかアンタは魔法つかえねェかあァ!」
彼はボルトを引いた。もうあとはたった引き金を引くだけ。
だがその引き金は重い。
この苦しみは、彼なんかには理解出来ない。
「━━━━その牙を解き放つ」
男の視界の端で、何かが一瞬煌めいた。
それは一陣の風。