恩師
授業の準備は済ませてきていたので、そのまま教室に留まり1限を行う体であったが、事情が変わった。
足早に校長室へと向かう。
この魔導学校はこの国唯一の国立魔導学校だ。
つまりそれ相応の投資がされている。そのため校舎は荘厳な雰囲気を漂わせ、そこに通う生徒もそれなりの素質がある者達ばかりだ。
教室のドアも中々にご立派であったが、校長室のそれはもはや比べ物にならない。いい大人が本気で蹴りつけたところで破ることは到底不可能だろう。
その大層な扉をノックすると、中から穏やかな声で返事があった。
「失礼します。校長」
「やぁやぁご機嫌よう、メヴィウス君」
中にいた初老の紳士が自分の名前を親しげに呼んだ。
「校長・・・一応貴方の教え子ですが、自分はもう一教員です。先生をつけてお呼びください」
昔は自分ももっと親しげに彼に接していた。
しかしそれも昔の話だ。今の彼と俺の関係や立場は昔とは全く違うのだから。
「寂しいことを言わんでくれよ。もはやかつての教え子は君だけなんだから・・・」
「そう・・・でしたね」
会って何気ない挨拶を交わしただけのはずなのに、雰囲気が重くなる。
別にそんな昔話をしに来たわけではないのだが・・・
「校長。アリス・カートレットの件ですが・・・」
重苦しい雰囲気を断ち切って本題を切り出す。
「そういえば、今日もだったね・・・」
「アリネシアとの戦争、ですか・・・」
「きっと今回も無事に帰っては来てくれるだろう。だが長くなりそうだね・・・」
我国、ヴァルトピアと隣国、アリネシアは今現在貴重な魔力資源の奪い合いで戦争の真っ最中である。
それに加え、首都ヴァナス周辺での魔獣の出没、山賊や謎の組織の暗躍なども立てこみ、兵力が不足している。
更には、魔導のアリスと共にヴァルトピア二大巨塔を張っていた、剣将ヴェルフリートが負傷で戦線離脱していることもあり、我が国最強魔導師と謳われるアリスの背負う物は大きい。
思えば昨日、朝教室に入った時に彼女の姿を見たが、いつも以上にその表情は硬かったように見えた。
恐らく昨日の段階で出撃令は下されていたのだろう。
「私には彼女の置かれている状況も心情も推し量れん。しかし同じ経験をしていた君ならば彼女の負担を少しでも軽くしてやれるやもしれん」
だからこそ俺を彼女の担任にした、ということなのだろう。
「しかし、彼女の戦休は日を追うごとに増えています。ただでさえ接する機会もなかったのに、これでは・・・」
元々彼女は戦争などの過酷な状況に身を置いているからか、中々人に心を開かない。生徒達に話を聞いたが、「話したことがないからよく分からない」、「話しかけづらい」というような声ばかりだった。
そんなわけで担任である俺も中々彼女とコミュニケーションが取れなかったのだ。
「それでも頑張って欲しい。君にしかできないんだ」
「俺にできるでしょうか・・・?」
「できるさ。私だってできたんだ。だからこそ今の君との関係があるんだろう?」
今日会って初めて校長から明るい笑顔が見えた。
年相応に無邪気なその笑顔に、こちらまで軽く微笑んでしまう。
「ありがとうございます。ケネス先生」
かつての呼び方で校長に礼を言って、背を向ける。
校長室の巨大な窓から差し込む光が足元を照らしていた。