嵐の前は台風
嵐の前の静けさ、という言葉があるが、それが本当なら定期テストは嵐などではないのかもしれない。
だって今来てるもん、嵐。
「先生! 私、ここの魔導術式がよくわからないんですけど!」
「先生っ! 私はここの式の掛け合わせ効果の原理が納得できません!」
「せんせぇっ! 俺、今日快便っ!」
今、最後に発言した奴は後で首筋氷漬けの刑に処す。
朝、俺は学校に来た瞬間に生徒に取り囲まれていた。
鼻息荒く、生徒たちは各々の質問を遠慮なくぶつけてくる。
もちろん一人一人丁寧に答えるのだが、まだテスト週間初期の朝でこの様子では後が思いやられる。毎回毎回教師にとっては死地に赴くようなものなのだ。今回も生き抜ける保証はない。
そもそもここはまだ中庭の途中だ。教室にすら入っていないし、大半の生徒にはまだ見つかってすらいない。
「分かった分かった。とりあえずここじゃあれだから教室行ってからでいいか?」
ひとまず教室に入ってから答え━━━━━━
「「ダメです!」」
させてはもらえないようだ。
氷漬けに悶絶している1人を除いた2人に、即却下された。
「「だって教室に行ったら、先生に答える暇が無くなりますから」」
だそうだ。
つまり教室に行けば、恐らく彼女らのような、テスト週間の魔法で獣と化した生徒たちが俺を待ち構えているのだろう。どうやら戦場の真っ只中にいるのは教師だけではないらしい。そこのところは大体いつも通りだ。
やれやれと溜息を吐きながら彼女らの質問に答えてやると、2人とも一礼してから足早に教室へと駆けて行った。また新しい質問を探すのだ。
一つ分かればまた次の疑問が生まれる。真面目な人間の探究心に終わりはない。俺たち教員ができるのは、その疑問にどこまで付き合い、どれだけ教え、伝えてやれるか。
だが生憎この時期はどの教員も繁忙を極めるので、担任の他に生徒が質問して良い教員はあらかじめ決められている。それでもやはり授業を行う担任が一番捕まえやすいので、結局はほとんど担任にかかっているのだが。
担任たちの間で担当クラスの成績で勝負をしているわけでもなく、結果次第で学校からボーナスが出るわけでもない。
ただ生徒の熱意には答えなければならない。それだけだ。といってもこの学校の生徒は熱意が熱すぎる。教員は焼かれるばかりだ。
だが今回は何かが変わる気がした。
うちのクラスには元々、常に学年1位を守り続けている優等生がいたのだ。それが今回、クラスに打ち解けてくれたことによって教員の負担を和らげてくれると━━━━━━
━━━━いうわけでもなかった。
「先生、火弾のような実体を持たないものに加速をかけて高速化することはできるんですか?」
「いや火弾は炎を凝縮する過程で核が構成されているんだ。だから実体がある。つまり加速の対象だ。だがお前の言う通り、実体のないものに加速はかけられない。それを覚えておくんだぞ」
「先生! 崩壊の複合活用による有用性の論文を発表したのは誰でしたっけ?」
「そんなもんは自分で調べろ! エピクレストだ、バカやろう!」
「せんせいっ! サクラの絵描いたんだけど、どう!?」
「おう、サクラの大人っぽい雰囲気が描写できていて・・・じゃねぇ! 勉強しやがれアホッ! 美術はテスト科目にねぇよ!」
いつも通り、いやいつも以上に余計なのが多い!
━━━━一方で。
「アリスさん、ここの魔導方程式の答えがどうしても合わないんだけどわかるかな・・・?」
「えっとね・・・あっ、ここの運動系魔法の公式は移行するときに形を変えるの。応用公式だから授業で証明はやってないと思うんだけどね。こうして、こうなって・・・・・・・・・」
「そういうことだったんだ! ありがとう、わかりやすいよ!」
「アリスさん! 私も分からないところあるんだけどいいかな?」
「アリスちゃん、俺も俺も!」
ちくしょう! 真面目な奴らがほとんど向こうに! だからこっちにはいつも以上に余計な奴が回って来てるのか!
というわけで。アリスによって負担が軽減されることを目論んでいたのだが、結果的には生徒たちの待ち時間が短くなっただけで負担は変わらなかった。てかむしろ増してるかも・・・・・・
━━━━━━次の日、水曜日。
「えっとここなんですけど先生。魔導力学的に発動条件が・・・・・・」
「んー、ここがS(x-y)=√a+kb+cの公式を起動式に置き換えてるからだな。これは起動式じゃなくて・・・・・・」
━━━━━━木曜日。
「先生、重力魔法の魔方陣の形成なんですけど・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「あの? 先生?」
「あ、えっとな、ここの部分だが一部、力調整がこの魔方陣じゃ不充分で・・・・・・」
━━━━━━金曜日。
「せんせ、トライブ語の訳でさ。ここの部分が文法わかんなくて・・・・・・」
「あぁここは○×△¥☆✳︎?〜」
「せんせぇーーーいっ!?」
━━━━━━そしてその放課後。
「ああ、終わった・・・。もう最後意識なかったわ」
「はますむすみきめう?」
「おい、しっかりしろ。戻ってこい」
もはや理解不可能な言語を使用するヴィネアをデコピンで復帰させる。
「はっ! 今日の昼ご飯はカレーだった!」
「お前、昼は学食で粉チーズまみれのパスタ食ってただろうが」
「そうだよ、ペペロンだよ!」
「あれはボンゴレだった気がするんだが・・・・・・」
うん。平常運転だね。
実際、この時間帯に正気を保ってる教員は稀有だ。
職員室には重苦しくも狂気じみたわけでもないが、形容できないような異様な空気が漂っている。なんて言うのか、宇宙人が舞い降りたみたいな・・・・・・。
その異様な空気を割って、職員室の戸が開かれる。
「失礼致します」
ドアの一番近くで無意識のまま経を唱えていた先生が、入ってきた生徒の姿を視認し、現世に連れ戻される。
誰しも男なら美人を見れば、気は自然と引き締まるものだ。相手が生徒でも、手の届かない高嶺の花のような存在でも。
「メヴィウス先生っ! 質問があるんですがいいですか?」
高嶺の花、アリスは俺の姿を確認すると早足で近寄って来て、仔犬のように笑顔を輝かせた。
「・・・どんとこい」
彼女の質問はとんでもなく高レベルのものだった。正直解答者が俺じゃなかったらまともな解説は与えられなかったのではないかと思うほど。自慢じゃないから!
「すごい・・・・・・! 分かりました! 分かりましたよ、先生っ!」
この興奮度合いからするに、まともな解答を貰えるとは期待していなかったらしい。彼女の予想を俺が上回ったのだ。そう考えると教員としての達成感が感じられる。
「それは良かった。今週の礼を返せて良かったよ」
「礼? 私、先生に何かしましたっけ?」
「いやクラスの奴らの質問責めの負担を減らしてくれたことさ。大変だったろ?」
実際、負担がそんなに変わらなかったことは言うまい。
「いえ、クラスのみんなの役に立てて何だか嬉しかったです。みんなとも仲良くなれましたし」
受け答えまで優等生。涙が出ちゃうねこりゃ。
「それに私も良かったです。今週は先生がずっと忙しそうで中々お話できなかったので、今こうしてお話できて」
そう言ったアリスは横の席でこちらを伺っていたヴィネアを一瞥する。
その時ヴィネアと視線がぶつかったようで、妙な雰囲気が漂う。
「と、とにかく! お前も自分のテストがあるのにすまんな! 他に分からないところはないか?」
「いえ、今のが最後です」
「他は全部分かってますから」
そう言ったアリスは一礼して職員室を去った。
「・・・・・・恐ろしいやつだな」
つい声に漏れてしまう。
今彼女が質問したことも、今回のテスト範囲の内容などとは比較にもならないほどのレベルのものだ。無論テスト範囲ではない。
つまり彼女は今回のテスト範囲で分からないことなど最初からなかったと言ったのだ。
おそらく今回の質問の目的は俺と会話することだったのだろう。
「ほんと・・・恐ろしい子ね・・・」
「それはどう言う意味で・・・?」
あまりに険しい顔でヴィネアが言うので、つい聞き返してしまった。