それぞれ
「う、んっ・・・」
ゆっくりと目を開き、体を起こす。
最近は見る回数も減っていた夢も、見ることがなくなったわけではないようだ。
月日が経つにつれて忘れていくこともあれば、月日が経つほどに脳裏に刻まれていくこともある。忘れるべきことがあるなら、決して忘れてはならぬこともある。夢はきっと警鐘を鳴らしているのだ。
「んなことしなくても忘れられないんだっての」
そう言って掛けてあった毛布を剥ぎ取って、立ち上がった。
ん・・・? 毛布?
「やれやれ・・・」
向かいのソファで本を読みながら落ちたのだろう、アリスがすーすー寝息をたてている。
人を気遣っておきながら自分が最終的に気遣われるとは世話ねぇな。
「ていうかここに毛布なんてあったっけ・・・」
彼女が常備していたのか、まさかエレイスさんが持ってきたとか言わないよな・・・? 時計を確認すると、俺が眠りについてから3時間程度経過しており、もう夕暮れ時にさしかかっていた。
その眠り顔はおとぎ話の白雪姫を彷彿とさせるアリスに、毛布をかけてやり、窓から外を眺める。
降り出した当初に比べて大分収まったものの、雨は降り続けていた。
中庭には現場検証を再開している魔導師たちの姿が見える。といっても中庭は今回の件にはあまり関わりがなさそうなので、ベンチで歓談している者の姿もある。手抜き作業だ。
大きくひと伸びすると、窓に映る自分と目があった。
鋭く尖ったような眼光。微塵も吊りあがらない口角。
試しに片方だけ吊り上げて、笑顔を浮かべてみるが・・・
「・・・下手かよ」
窓に映るのは不器用に引きつらせた顔。笑っていると言うより、にやけている。何だか怪しい笑顔だ。
「上手く笑えなくなったのは、いつからだろうな・・・」
頬をむにーっとつまんだり、口角を指で押し上げてみた。
すると窓の奥の世界、自分の背後にいる誰かと目が合う。
「!?」
それはつまり現実の自分の背後、ニヤニヤしている誰かがいたということ。
「先生にもかわいいところあるじゃないですかぁ〜」
「・・・何も言わずに忘れてくれ」
危うく「なんでもするから」と言いそうになったが、踏みとどまる。コイツにそんなことを言えば俺の身が保証されるかわからない。
「忘れませんよ♡」
そう言ってニコッと笑うアリス。間違いなくここ最近で一番の笑顔だ。その笑顔、そこらの男なら一発で心を撃ち抜かれそうな威力だが、俺の背中には一雫の汗が伝った。
いかん・・・。隙を見せたら喰われるな、こりゃ。
まるで魔獣か、といわんばかりの言い様だが。
「ていうかそろそろ帰らなくていいのか?」
とにかく話題を変えたくてそう切り出す。
「ん、そうですね・・・。じゃあ先生・・・」
「一緒に帰りましょう!」
あらやだ。
アリスがいる間もさりげなく在室していた2匹と1羽を連れ出し、鍵をかける。
「こんな子たちいたんですね。全く気付きませんでした」
彼女は舌を出して喜ぶクロをわしゃわしゃしている。こいつ相手がヴィネアだと嫌がるのにな・・・。撫で方というか何かが違うのだろうか。
「2匹とも真っ黒だからな、客人の大半は気づかないまま帰るんだよ」
彼女も一人で帰っていれば気づかぬままだっただろう。
2匹とも暗闇に溶け込めるほど黒なのだ。ちなみにクロはお腹が白い。そのおかげでクロとカイは何とか見分けがつく。まぁ性格が真反対なので慣れれば一目でわかる。
カイは撫でようとしてきたアリスに、そっぽを向くことで拒否の姿勢を見せる。
「スズメちゃんまでお利口ですねー」
カイに避けられた彼女はローザを指で撫でだす。
「ほれ、行くぞ」
そのまま校舎の玄関までたどり着くと、やはり外はまだやや雨模様だった。
俺も傘を持っているわけじゃないので、氷魔法で即席の傘を造る。
同じように彼女もそうした。
「分かってはいたが、傘いらねぇんじゃねぇかよ・・・」
「えへへ・・・」
アリスははにかみながら誤魔化す。
人には生まれながらにして魔力を持つ。しかし魔力にはそれぞれに適性がある。
例えば氷魔法で傘を造ることは初歩的なことであるが、適性がない者には氷を生み出すことすらできない。同じように紙を燃やすことは炎魔法に適性がある者には造作もないが、適性のない者は火を生み出せない。俺はできない。
しかしアリスは氷魔法の適性を持っていたようだ。
つまり彼女が帰らなかった理由は最初から一つだったのである。
「先生はいつも研究室で寝泊まりしているんですか?」
校門をくぐったところでアリスが尋ねてくる。
「週の半分はあそこが生活空間かもなぁ」
「ダメですよー、ちゃんと布団で寝なきゃ。あんな枕もクッションもないところでずっと寝てたら、首とか腰とか悪くしちゃいますよ」
さっきは顔が若く見えるって言ってたのにもう年寄り扱いしてるし・・・。まだ首やら腰やら、関節にくるほど年では無いのだが。
「誰か一緒に住んでる人とかはいないんですか?」
家に帰るべき理由を解説した後からの自然な流れでのその質問。何気ない様に聞こえるが、彼女には重要な意味を持つその質問。しかしどんな質問であれ、俺にできるのは正直に答えることのみ。
「いるよ」
「えっ・・・」
アリスの表情が消えた。
そう、俺には同居人がいるのだ。
「爺ちゃんと婆ちゃん」
アリスの顔に表情が戻った。
「なぁんだ」
「小さい頃から育ててくれた親代わりなんだ。何も言わないからとはいえ、たまには帰ってやらんとな」
「・・・そうですね」
祖父母が親代わり、つまりそういうことである。声のトーンからは読み取らせないように気をつけたが、恐らく既に察したのだろう。そして避けるべき言葉を避けた。全く利口な子だ。
「カートレット家は同居人多そうだな」
重たい空気を振り払うように切り出した。
「そうですね、父に弟、妹。それにエレイスみたいな住み込みの使用人も多いですから、ざっと十数人はいますよ」
「お母さんは?」
「母は仕事で各地を転々としてますから」
「へぇー」
下の兄弟がいるのは少し意外だった。あの日もどこかにいたのだろうか。
「先生はご兄弟はおられないんですか?」
「妹が一人いる。まぁ別居してるけどな」
「たしかに長男っぽいですもんね」
それはよく言われる。ちなみに突っ込まれる時があるがヴィネアは妹にカウントはしてない。
そんな話に盛り上がるうちに別れ道に来てしまった。
「じゃここ俺真っ直ぐだから」
「あ・・・はい、そうですね」
彼女は少し名残惜しそうな顔になる。
「じゃあ先生、また明日から頑張りましょうね」
「ああ、また明日な」
そう言って互いに背を向けて歩きだす。そうできるのは互いに明日があると信じているから。また明日会えると信じて疑わないから。
だから「さよなら」ではなく「また明日」なのだ。
明日からお互いにまた忙しい日常が待っている。
雨の中、空を見上げて歩く彼女の鞄には、一冊の小説があった。