暖と冷
ぽつぽつと降り始めた雨は間を置かずして、豪雨となった。
途中まで小雨に濡れるのもまた一興とかカッコつけて歩いていたので、屋根のある場所まで避難するのに時間がかかってしまった。既に服も髪も、滝にでもうたれたかのようにずぶ濡れである。
「ちょっとこれは、ヤバいな・・・」
水滴を垂らす服を絞る。
恐らく今頃、現場検証に当たっていた魔導師たちも一時避難を余儀なくされているだろう。
「雨、かぁ・・・・・・」
雨は好きだ。その理由には俺の得意とする氷魔法の効きが良くなるということもあるが、それを差し引いても情状的に好きなのだ。
沈んだ心を急かさず、肯定し染み込んでいく雨。
沸いた闘志を優しく撫で、収めて行く雨。
己の去り際に、まっさらな空に虹をかける雨。
それら全てが好きだ。
それに対して、晴れはあまり得意でない。
戦場の晴れ間は氷を溶かし、熱気を伴って闘志に薪をくべる。敵も自分も戦意を沸き立たせぶつかり合う。
しかし心の奥底には、冷めた目でこちらを眺めている自分がいるのだ。その違和感が嫌いだった。
生きるために熱く燃えるように戦う自分がいれば、それに下らないと呆れている自分もいる。
本音と建前はいつだって張り合っていた。
ただあの頃のありのままの自分は、無情で、無慈悲に敵を葬っていた。ただ哀れで、何も知らぬまま雨にうたれていた自分。
「はっくしゅっ! なんか冷えてきたぁ・・・・・・」
明確な冷気が身体を襲った。
足早に研究室へと駆け出す。
ヤバい、テスト前に風邪引いたら校長だけじゃなくてうちのクラスの奴らに怒られる・・・。
なんせ2-Aには成績優秀者が多い。テスト範囲の授業はほとんど終わらせたのだが、それが終われば地獄の質問攻めが待っている。担任が離脱すれば、質問攻めの対象がいなくなるのだ。他の先生も同じように、質問攻めの的となるので中々捕まらない。
身体の寒さに加えて、それらを想像したことによる悪寒を感じた。
さっさと着替えて、暖炉に火をつけて、温まって・・・。研究室に帰ってからの動きを先んじて考えながらも足は止めない。
そしてようやく研究室へとたどり着━━━━
「あ・・・・・・」
━━く前に足が止まった。
研究室のドアの前。
1人の少女、アリスが立ちすくんでいる姿が見えた。
もう彼女の視界の端には、俺の姿が捉えられているはずなのだが彼女は微動だにしない。
人の目は物体を映し出すガラス玉でしかない。映した情報を脳が解析することで、それは「見る」という動作になる。
つまるところ彼女は今、何も見えていない。
「人の研究室のドアがそんなに面白いか?」
軽く驚かすつもりで横から声を掛ける。
「ひゃっ! せ、先生・・・ってずぶ濡れーー!?」
・・・別の意味で驚かれた。
「どうぞ、これ使ってください!」
一旦教室に戻って、鞄を持ってきたアリスがその中からタオルを取り出し、差し出してくる。
「いや・・・流石にタオルくらいある━━」
「四の五の言わずに早く!」
勢いとその剣幕に押され、つい受け取ってしまう。
渡されたタオルで顔を拭くと、鼻腔を蕩かす芳しい香りと包み込むような肌触りが、ただならぬ高級感を漂わせていた。
「あぁー、もうこんなに濡れて・・・。困りますよ、風邪なんてひかれたら・・・。あっ、でもそうなったらお見舞いに━━」
「来んなよ」
「ぶーっ」
唇を尖らせながら、彼女はもう一つタオルを取り出してきて、濡れている服を拭こうとするが、
「服はいいよ。着替えるから」
そう断って、濡れたシャツを脱いだ。
脱ぐ方が男なら問題ないだろう、という自分の浅はかな考えに気づくのが少し遅かった。
「・・・・・・・・・」
言葉も発さずにアリスがこちらを凝視してくる。
その目が獲物を見つけた肉食獣のように思えて少し寒気が増す。
「先生って、意外といい体つきしてますね・・・。一発ヤらせてください」
「おい待て、それは絶対女が男に言う台詞じゃない」
さすがに今の一言には名家の教育を疑ったよ!?
「いやだなぁー、軽い冗談ですよぉー・・・5割くらい」
「聞こえたぞ、半分本気じゃねぇか」
密室に男女が2人きりなら、普通は女の方が身の危険を感じるはずだ。それは男女なら基本、男の方がパワーバランス的に優位に立っているからである。
しかしそれは基本や普通の範疇にすぎない。
今俺の目の前にいるのは普通ではなく、国一番の魔導師である。力的優位は圧倒的に向こうにあり、俺は彼女の足元にも及ばない。
よってこの場合、男である俺が身の危険を感じているという結果になっていた。
「まぁまぁ、子供の言うことですし」
「17歳の言うことを『子供の言うこと』とは言わないと思うが・・・」
しかも彼女は戦場に出ているだけあって、その精神面ではもうそこらの大人を超えているだろう。
「ていうかお前、この間この部屋にわざと自分のシャツ置いていったろ」
というのは先日彼女がとんでもない服装で登校した時のことだ。
あの時、俺は彼女に自分のシャツを着るように指示したのだが、その後研究室に帰ってくると、机の上には一回りサイズの小さいシャツが丁寧に畳んで置かれていたのだ。
「あっ、あれその後どうしましたかっ?」
「持ってると変態だから燃やした」
「なんでぇー!」
というのは嘘で、何も知らないヴィネアにあげたのだが。流石にそれを言うと怒りそうなのでやめた。
外はまだ雨が降り続いているが、暖炉が燃えているからか研究室の中は暖かかった。