勘と生死の天秤
戦場では一分一秒が命取りになる。
そんなことは基本中の基本だ。
例えば自分が危機的状況にいたとしても、敵が考える時間を与えてくれる訳はない。そこにある短い時間の中で思考と決断の折り合いをつけなければならない。
しかし思考の時間が短かったとて、安直な作戦を決行すればそれは死を招く。だからといって思考に没頭してしまえば、何も出来ずに殺される。
試行の暇なんてもちろんない。考え出した策もやってみなければ、吉と出るか凶と出るかなんて分からないのだ。凶と出てしまえば、次のチャンスも反省することもできず死ぬのみ。
そこに明確な解答なんてない。
命を賭けた戦場とはいつだって理不尽極まりないものだ。
幾つもの修羅場を越えてきた強者たちはそれを理解した上で賭けをしてきた。
生きるか死ぬかの究極の賭け。
しかしそれは何度経験しても慣れるものではなく、勝つ秘訣なども見つからない。
ただ毎回勝つのに必死なのだ。
初めて窮地に立たされた時と何ら変わらない。
生か死か。50%のその賭けに。
カツーン、カツーン。
何者かが石段を一段、また一段と上り、こちらに近づいて来るのがわかる。
カツーン・・・・・・
足音が止まった。
そこは恐らく先程まで1人と3匹が話を交わしていた所だ。壁には誰かが外したのか、躱したのか銃弾の跡が残っている。
外した本人はそこにいる侵入者の仲間の1人だ。
仲間だからこそ分かる。撃った本人はこの塔の間という近距離で彼が外す男ではないと。
ならば撃たれた者が奇跡的か、意図的か銃弾を躱したのだ。普通なら考えられない。そんなことができるのだとすれば相手はかなりの勘と技量、経験を積んでいる。
しかしその者の姿は見えない。
「大人しく出てきたらどうだ! どこへも逃げられんぞ!」
敵の諦めの悪さに苛立つ様子の侵入者が叫ぶ。
しかしその言葉は塔に反響して、ただ虚空に消えていくのみ。
「ちっ・・・・・・」
男は舌打ちをしながら、また石段を上り始める。
そのまま男は塔の最上階付近まで石段を上り続けた。
しかしここまでに人間の気配など微塵もない。本当に人がいたのかとさえ思わせる。
(飛び降りて逃げたか・・・?)
男はその考えに至る。
ここから地上まではかなりの高さがある。
しかし高所からの転落など風魔法を放って、着地の衝撃さえ和らげてしまえば誰でも生き延びることが可能だ。
敵が全くの非武装状態ならそうする可能性が最も高い。彼らもその線を一番に考え、この塔の下に1人仲間を配置している。
返り討ちに会う心配など露ほどもしていない。この場合逃げ切られ、自分たちが侵入したという事実を持ち帰られてしまうことが最悪なのだ。何としても察知した敵には死んでもらうか、捕まってもらう必要がある。
だから逃げることも許されない態勢をとった。
向こう側の塔にいる仲間は今頃、塔の頂きに上り、逃げ場をなくした袋の鼠はまだかと銃の照準を合わせているだろう。
塔下にいる仲間は飛び降りてくる火に飛び込む虫はまだかと待ち構えているだろう。
そして自分は生者を追い詰める死神。手には狙撃銃という名の鎌を持っている。
その自分はまだ生者の姿を見ていない。ならばそろそろ他の仲間が銃弾を放つ音が聞こえてもいいはずだ。
(これはどういうことだ・・・・・・)
男は構えていた銃を胸に抱え、考え始めた。
それこそが彼の見せた一瞬の隙。
男の側にあった吹き抜けの窓から飛び出す。
「なっ・・・!?」
飛び出したその瞬間に俺は既に男に肉薄していた。
彼が銃を構えるより早く、その長い銃身を掴む。
「貴様・・・窓枠に掴まっていたのか!!」
「そーいうこった、っと!」
そのまま銃を掴んだ腕をぐっと引くと、同じように銃を掴んでいる男の上体が引き寄せられる。
「ふっ!」
自分に引き寄せられた男の鼻っ柱にそのまま拳を叩き込む。
「ぐああああぁぁぁっ!」
人間の急所ともいえる顔面に攻撃を受けた男は苦痛の悲鳴を上げた。
その一瞬、反射的に男の腕から力が抜けたのを狙って銃を奪い取る。
「しまっ・・・!」
主武装を奪われた男は涙目になった顔面を左手で押さえ、焦りながらも右手を腰部にかけようとする。
「させるか!」
恐らく腰にかけてあるホルスターに仕込まれた拳銃を取り出そうとしたのだろう。
しかしそのせいで防御がお留守になった土手っ腹に後ろ蹴りを入れる。
「ぐぼぁっ!」
モロに蹴りを入れられた男の体勢が大きく後ろに逸れる。
今戦いを繰り広げているこの場所は螺旋階段の途中だ。転落を防ぐ手すりなどもない。
1歩、2歩、3歩と後退した男の左足が空を踏んだ。
「おわあああぁぁぁぁぁ・・・・・・!」
螺旋階段の真ん中の空間に落ちていく男の悲鳴がこだまする。
まぁ死ぬ事は無いだろう。しかし一足先に塔の下には俺の仲間を2匹ほど配置している。1匹は既に下にいる男の相手、1匹は今落とした男の捕縛の役割だ。
恐らく下にいる敵も銃を装備しているのだろうが、犬は人間の及びもつかない程に耳が冴える。敵がその引き金を引く音すら聞こえるだろう。ならば躱すことも可能だ。そもそもあいつらなら撃たれても大丈夫なんだろうけど・・・
そしてもう1匹の鳥類には向こうの塔にいる敵の集中を逸らすように指示してある。今の戦いの中で撃って来なかったのはそのおかげだ。
あとはこれで終わりだ。
俺は敵から奪った銃を構え、窓から見える巨大な鐘に埋め込まれた共鳴石に照準を合わせ、わざと少しズレて着弾するように引き金を引く。
ガァァァァァン・・・・・・
ライフル特有のとびきり五月蝿い銃撃音と共に放たれた銃弾は、狙い通り石を微妙に外したところに着弾する。
そのまま1マガジン銃弾が尽きるまで撃鉄を鳴らす。
ガァァァァン、ガァァァァン・・・・・・
幾回も近所迷惑な銃撃音が真夜中の街に響いた。
するとどうだろうか。
ゴォォォォォン、ゴォォォォォン・・・・
銃弾から振動を与えられた共鳴石によって、機械工の組んだシステムが反応し、鐘を鳴らした。
1日2回、学院のためにしか鳴らされることのないこの鐘は鳴らせば街中にその音色を轟かせる。
恐らく今の音で、何人もの住人が叩き起され、今までない悪戯に、役人も何事かと出動を余儀なくされているだろう。
もう人がここに押し寄せるのも時間の問題だ。
すると向かい側の塔から━━
「やられた! 撤退するぞ!」
そんな叫びが聞こえた。下にいる他の仲間達に向けてだろう。
そして下からも━━
「クソッ! この犬風情が! すまねぇ、ジェイ!」
「ま、待ってくれぇ!」
そんな声が聞こえた。察するにクロかカイに押さえられた片割れを見捨てて、逃げたということだろうか。良くやってくれたよ、ワン公。
その後音もなく侵入者たちは撤退したのだろうか。
それから間もなくして、塔の周辺は先ほどまでとは打って変わって沈黙さを取り戻した。
緊張感から解き放たれ、その場にゆっくりとへたり込む。
「ふぅ・・・・・・・・・」
大きく息を吐く。たったそれだけのことに生を感じるのは今まさに死地を乗り越えたからか。
この感覚は実に久しぶりだ。
今回も俺は賭けに勝った。俺は生きている。
昔もその感覚を幾度となく積み重ねてきて、今の俺は生きている。
遠くから学院の門が大きく開け放たれた「ガシャアアアン」という耳障りな音が耳に入って来た。