過去は過去のままに今は進む
「ハァハァ、それなら、先に言いなさいよ、ハァハァ・・・」
「有無を言わさず、スタートダッシュきったのは誰だよ・・・」
研究室を飛びだしてから2分足らずでヴィネアを確保した俺は、中庭のベンチにて誤解を解くことに成功した。
「それはそうと、どうするつもりなの? 彼女が入学してからもう1年以上経ってるのよ。周りのコミュニティだってもう定まってるわ。そこに彼女を溶け込ませていくのは至難の技だと思うけど・・・」
事情を洗いざらい説明されたヴィネアもアリスが今までどのような学校生活を送ってきていたかは知っている。
この学院の教員なら、ずっと1人で学校生活を送ってきた彼女をなんとか救ってやりたいとは思ったことだろう。
しかしそれを行動に移せないのは、教員すらも簡単には近寄れない、彼女の高貴さ故にだ。
国一番と評されるその実力は一教員とは比べ物にならず、家は名家で、容姿は超端麗。
持つものもそこまで持ち揃えていれば、自然と「自分なんかが・・・」と誰もに感じさせてしまう。
おまけにそれなりの態度を周りからは求められているので、彼女自身からなりふり構わず周囲に接近していくわけにもいかない。
それらの要因が複雑に絡み合った結果が、今のこの状況である。
しかしこの一連の流れ、彼女に責任があるわけではない。
別に周囲が彼女に対して、悪感情を抱いているわけでも、彼女が嫌われているわけでもない。
ならば彼女と周囲の壁を壊すことは難しくはない。そう俺は思っている。
くだらない偏見に縛られて、彼女が周囲に歩み寄っていけなかったなら、周囲を引き寄せればいい。
あとはその偏見を超えて、彼女が1歩を踏み出せるかだ。
「優れた能力ってのは元々人を引き寄せる力を備えてると思うんだ」
「・・・何の話?」
急な話の転換についていけていないヴィネアは首を傾げる。
「でも優れた能力は、人に羨まれ、妬まれてしまうこともある。その良い例がお前だ」
「私?」
「ヴィネア、お前は飛び級を重ねて、12の時に魔導学院高等部に入ってきた。それだけの能力がお前にはあったんだ」
あまりこの話は彼女にとっては良くない話なのだが仕方ない。
「だがお前は入ってきた直後、上級生、俺の同級生から集団イビリにあった」
「・・・そうね、そんなこともあった」
思った通り少し伏し目がちになってしまうヴィネア。だが━━
「でも、そんな私をアンタが助けてくれた」
すぐに前よりも明るい顔でそう語り出した。
「だから私、あの後からずっとアンタにくっついてたっけ。まるでお兄ちゃんにくっついて歩く妹みたいに」
「あのせいで俺も周囲から、やれロリコンだのからかわれたんだからな・・・」
お互いに昔の話になると、ついつい笑顔になってしまう。こいつと飲みに行ったりするといつもそれで話が長引くのだ。
「でも・・・不遜だけどあの時はアンタがすごく格好よかった」
「なにそれ詳しく」
今までこいつとは幾度となく昔話をしてきたが、そんなことは初めて聞いた。酒も入ってないのに・・・
「でも今は今、昔は昔。昔の私と今の私は違うのです」
彼女はふふっと笑って誤魔化す。
「でも・・・あの時はホントにありがとね」
そして穏やかな笑顔でまっすぐこちらを見つめて、礼の言葉を述べてくる。
その煌びやかな瞳に向かって俺は、まっすぐ「どういたしまして」と返す━━
「って違う!」
「な、何が?」
これじゃまるで俺がヴィネアに自分の英雄譚を語らせるために言い出したみたいじゃないか。
そんな自慢したがりじゃないよ、俺。
ヴィネアがいじめられっ子だったことを持ち出したのはそんなことのためではなくて・・・
「要するに俺が言いたかったのは、お前が苛められたのはお前に一種のステイタスがなかったからだ」
「ステイタス?」
不思議そうな表情を浮かべるヴィネアにわかりやすく説明していく。
「例えばプロの魔導競技選手がその優れた実力を遺憾無く発揮して、活躍しているのを見て誰が妬ましく思うだろうか」
「まぁ、思う人が皆無とは言えないけど、そんなにいないよね」
「そうだな。それは何故か。それは彼らが『プロ』だからだ」
少しずつ理解してきたヴィネアが俺の言わんとしていることを察して続けた。
「確かに、プロという名目があれば負けても仕方ないって思えるものね」
「その通りだ。しかし何のステイタスも持たない者は自分と何も変わらないわけで、そんな奴には誰しも負けを認めたくないものだ。だから否定して、蔑んで、自分の心の中にある劣等感を誤魔化そうとする」
そして優等生達はなんの罪もないまま、その悪意の標的にされるのだ。
あまりにも理不尽極まりない。
しかしそれは人間の根本である自己中心的思考のせいであり、変えられない物に嘆いていたって前には進めない。
その優等生になら誰もに待ち受ける壁を越えて、彼らは歩いて行かなければならない。
そして彼らがある種のステイタスを得た時、彼らへの罵倒や非難は、いつしか賞賛へと姿を変えていくのだ。
「だが、アリスはこの問題を既にクリアしている」
「国一番の魔導士に負けたところで誰も悔しがりはしないわよね」
至極真っ当な意見である。
「しかも彼女は今まで、この類のことを恐れて、その実力をひた隠しにしてきた。何も知らない生徒達の間では彼女の強さを示す噂だけが飛び交っている状態だ」
「つまり、彼女の実力を解放してやれば自然と人が集まってくるわけね・・・」
今ようやく俺の言いたかったことが、全てヴィネアに伝わったようだ。
「そこまでは簡単だけど、その後は大丈夫なの? 結局その後の彼女の対応次第なのよ?」
「それについては問題ないと思う。家庭訪問で俺に見せてくれた本当の彼女さえいれば」
「あ、ホントに家庭訪問したんだ・・・」
元々、家庭訪問のアイデアを持ち出したのはヴィネアだ。だが本当に決行するとは本人も思っていなかったらしい。
「まぁ、アンタがそういうなら安心ね」
「一応、担任だし、何とかしてやりたくてな」
そう言うと、またヴィネアはクスリと笑った。
「何だよ?」
「やっぱり人間、どんなに辛い、苦しい経験をしても根本的なところは変わんないんだなぁーって思って」
突拍子もないことを言い出す彼女。
「例えば━━
困っている人を放っておけないところ、とかさ」
何かを言おうとしたが、その言葉は彼女の瞳にかき消された。
「それって誰のこ━━━━」
キーンコーンカーンコーン。
次に出た言葉も、1限の始まりを告げる鐘の音にかき消される。
・・・1限?
「「あ・・・・・・・・・」」
こうして自分のクラスを放ったらかしにしていた教員2人は、追われ、追いかけてきた道を再度走って戻ることとなった。